イスラエル国護りツアー  その3

言いだしたのは 『ヘルツェル』

イスラエルは西暦73年に国を失った。

ヘルツェルが

『国をもう一度持とう!』

『念じればそれはすでに神話ではない。』


という強い意志の下、周りは巻き込まれていく。

ヘルツェル無しでは、イスラエル建国はありえない。
強い意志が現実になると言う事を深く感じた。

イスラエル建国のスタートは1893年頃。

その頃、ロスチャイルドもお金を出す事になる。

イスラエルは、他人の土地を奪ったのではなく、市価の3倍の値段で買った。

しかも、それは砂漠や沼地であった。


1906年最初の入植者がやってきたところが『テル・ハイ』という場所であった。

リーダーは、トゥルンペルドール。

日露戦争での負傷で、片腕の兵士だ。

彼は、

『片腕だが、自分の民族の国を持ちたい!自分が協力できる事なら何でもやりたい。
自分は鉄の固まりだ!必要ならネジになる。ボルトにでもなる。機械にでもなる。
警官もやる、兵隊にもなる、農業、建築、何でもやってやる!!!』

すごすぎて震えた。

1920年その『テル・ハイ』が武装したアラブ人に攻撃される。

ユダヤ人は、あまり戦う民族ではない。どちらかと言えば、すぐ逃げたり降参するほうらしい。(意外だ)

ところが、その数名のテル・ハイを開拓するユダヤ人は、なんと戦ったのだ!

逃げずに、『国を創るんだ!逃げないぞ!護るんだ!』と。

トゥルンペルドールは弾薬が尽きるまで、最後まで戦った。

8人が死んだ。

トゥルンペルドールは最後、医者に向かって

『国の為に死ぬ事は、良い事です。』 

と言って息を引き取った。

祖国を護るために、最後まで戦い抜く現代ユダヤ人の『精神と勇敢さ』のシンボルとなった。

後の独立戦争の不屈の精神は、このテル・ハイ精神に鼓舞されたからだと言われている。


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