災害ボランティアレポート②

木村担当 大井 春花さん

はじめ、宮城県にある亘理駅から相馬ボランティアセンターに行きました。所々で地震によって壁のタイルがはがれていたり、店のシャッターが開かなくなっていたり家屋の損害はありましたが、全壊の家屋が立ちならぶものではありませんでした。ただ、町に人がおらず、いるのはボランティアをしに来た人たちだけで、異様な静けさを感じました。相馬のボランティアが足りていたので新地町へ移動し、被災者のお宅の掃除を行いました。

やはり津波の被害は悲惨でした。塩とごみの混ざりあうにおい、木にひっかかる布団、べこべこになって倒れている自動販売機、何もない音。もともとこの場所が何だったのかを全く想像させない風景に、言葉がでませんでした。のちに、被災者のお宅に住むご年配の女性から、ビニールハウスが並ぶ畑だったことを聞きました。その女性は家屋の2階にいたから助かったそうでしたが、あの日を境にずっと高血圧で、外に出ることも人と話すのもおとといまでできなかったとおっしゃっていました。「遠いところから来てうちを掃除してくれてありがとう、ありがとう」と繰り返し頭を下げられ、私は何も言えませんでした。そのとき改めて人は支え合っていることを実感し、どれほど人の温かさが辛い状況下で必要なことなのか、身にしみて感じました。

代表がおっしゃっていたように「頑張ろう日本」と軽々しく言えないと切に思いました。しかし、被災者の方々、ボランティアに来る人、ボランティアに来た人たちに役割を振り分けるボランティアセンターの人たち、駅員さん、みな前を向いていて、今を生きていて、日本人の底力を感じて鳥肌が立ちました。今回、実際に現地へ行くことができたことを非常に感謝し、私が見てきたもの、感じてきたものをまわりに伝え、毎日を一生懸命生きること、それがいま、私にできることです。以上です。

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小原担当 菅野 真奈さん

私は今回の大震災から2か月弱、今まで感じたことのないあらゆる感情を経験しました。海のすぐそばで楽しい思い出しか残っていない祖母の家やその周辺すべてがもう何もないこと、その様子が、見えない場所まで続いていること、祖母が3週間以上安否不明だったこと、バスケットボールの大会でよくお世話になった体育館が遺体安置所になっていたこと、遺体安置所で祖母を探したこと、その安置所に友人が眠っていたこと…。福島原発のこと、毎日毎日普段は話題にならない福島がテレビや新聞に出ていること、それでも地元の人はいつも通り明るく過ごそうとしていること、東京の自粛ムード、就活の長期化…など、ここでは挙げきれませんが自分の頭には想像もしなかった現実が次々と目の前に現れ、ただ黙り込む事しかできませんでした。

震災後初めて地元に帰るときは、被災地の状況を東京の人、チームのみんななどに伝えようという想いで現地に入りましたが、東京に戻ってきたとき自分から被災地のことを多く話すことはできませんでした。メディアに映っていない部分が本当に凄まじく、話さないほうがいいと感じたからです。ただ、今回のことで私は本当にたくさんの人たちに支えられていることに気づかされました。頭では理解していたつもりでも、この環境で学んできたことが決して間違ってなかったと肌で、心で、実感しました。本当に信じれるものはなにか、少しわかったような気がします。

室舘塾ユース後に林さんと話し、東北(といっても一部ですが)を案内することに決めました。皆さんの行動がすばらしく、一日でしたがボランティアを通し、絆を深めることができました。ともにこれからもがんばっていきたい仲間だと思いました。この環境で出会えたことに感謝しています。工藤課長、本当にありがとうございます。

状況もある程度落ち着いたことですし、東北に行ったことがない人が意外とたくさんいることもわかったので、たくさんの人がこれを機にみちのくを訪れてほしいと思います。1か月近く、地元のお手伝いをしましたが、そこで関わった人たちの顔を私は一生忘れません。これからまた、世のため人の為に私は成長していきます。今後ともよろしくお願いいたします。

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小原担当 伊東 由美恵さん
今回のボランティア旅行にあたり私自身の目的は、①被災地の状況を実際に見て肌で感じ取る ②ボランティアでは自分の出来ることを精一杯するという二点でした。

まず始めに相馬市を訪れた際、人の少なさに驚きました。元から過疎地で、避難区域でもあるということは知っていましたが、人も車もほぼ居ない状況が不気味に感じられました。相馬市はボランティアが足りていたので、バスで新地町まで移動しましたが、その道中にテレビで見た様な光景を見ました。津波によって全てが無くなり、折れているガードレール、瓦礫だらけの一帯、予想はしていましたが言葉が出ませんでした。私は長野県出身で、海の無い所で育ったので海や津波の怖さを実感したことはありませんでしたが、全てが無くなった光景を実際に見て恐怖を感じました。

新地ではボランティアの受入れをしてもらえたので、我々はおじいさんの家の掃除をすることになり午前中は障子の泥落とし、午後は窓ふきをしました。毎日ボランティアをしている方々とは違い、自分は一日しかできないので、精一杯やらせてもらおうと心に誓いました。今まで生きてきた中で一番心を込めてお掃除させてもらったと思います。 

休憩時間やお昼休みの時に、被災されたおじいさんやお孫さんとお話する機会がありました。おじいさんは自分の人生を語って下さいました。お話の最後に「新地に来て、やっと落ち着いたのになぁ」と言いながら去っていかれて、胸がとても苦しくなりました。また、ボランティアをさせて頂いたお家の皆さんは、「休憩してください」とお声をかけて下さり、お茶も用意して下さって、被災して肉体的にも精神的にも辛い中でも気遣えるということは本当に凄いと思いました。

新地は海の近くなので、おじいさんの家の裏側は津波によって全てが流されていました。休憩時間にその一帯を歩きましたが、2か月近く経った今でも潮の生臭い匂いが残っていました。瓦礫の中には、自動販売機や冷蔵庫、唐辛子が残っているフライパンや泥だらけの野球ボール等があり、一瞬にして生活の全てが流されていく光景が頭に浮かびました。海側に向かって見えるところ全て無くなっていて、全部の瓦礫を撤去するまでに何年かかるか想像がつきません。

現在、被災地にボランティアが殺到して受入れ拒否が起こっているという新聞の記事やニュースを見ますが、ボランティアが足りていない区域も多くあるので、事前に調べて本当に必要な場所に行くことが大切だと思いました。行く前は、女性がボランティアに行っても何もできないのではと思っていましたが、被災者の方々は本当に身も心も疲れきっていて、掃除等の小さなことでも役に立てるので、我々若者は時間があるならばまずは行動するべきだと思います。そして、一時だけでなく継続して行うことが非常に大切です。GW後は一気にボランティアの数が減少すると予想されていますが、私は就職活動も終わり学校も週2回なので、時間を作ってまたボランティアに行きます。

今回、実際に被災地を訪れて、被災者の方々とお話させてもらい自然災害の恐ろしさを肌で感じてきましたが、この状況の中でも皆で協力し合って常に感謝の気持ちを忘れない日本人をとても誇りに思いました。そして、疲れている中でも被災者の方もボランティアの方も皆さん笑顔でお話されていました。被災地を訪れて感じたこと、思ったことをメンバーさんや周りの友達にも報告していきたいと思います。

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