八重山日報(10月14日版)に掲載されました

10月14日

この度、八重山日報に寄稿させて頂きました。

観光ということだけの沖縄ではなく、
沖縄の現状を東京でも知って頂けるように広めていくステップになればと思います。

–寄稿文–
八重山日報をご購読の皆様、初めまして。私は東京都の九段下で、主に二十代、三十代の若者にリーダーシップの基礎を教育する『しがく(志学)』を運営しています。
沖縄との出会いは、青森県の高校を卒業後に上京し、就職した先のスーパーに二十名程の沖縄出身の同僚がいたことでした。みんな明るく開放的で、寮で同部屋だった浦添商業高校出身の与那嶺君は顔つきも格好良かった思い出があります。
24歳の頃にスキューバダイビングを始めたのですが、最初は伊豆の海を潜り、慣れてきたところでダイバーの憧れでもある沖縄の海に行きました。真栄田岬で燕魚の大群に餌をあげたとき、海があまりにも澄んでいて、その綺麗さに感動したことは生涯の思い出です。水納島、粟国島、渡嘉敷島、今思い出しても興奮します。その頃は、沖縄というと「観光」というイメージでした。沖縄の歴史を学び、「観光」のイメージとは全く異なる一面を知るのはまだ先のことです。
少し自己紹介をすると、スーパーで働いていた頃に、日本を良くするというコンセプトのもとに実業家を育てる勉強会と出会いました。そこで学んでいくうちに実業家になることを志しスーパーを辞めました。修行の為にお世話になった会社では、完全歩合の営業職で成績が上がらず、職場では罵声を浴びながらも努力を続けました。なかなか芽が出てこなかったのですが、それまで夢見ていた将来像を全て捨てて飛び込んだ世界だったので「ここで諦めたら人生がダメになる」そんな気がして努力を続けました。すると風向きが徐々に変わっていき、数ヶ月後にはトップ営業マンになりました。しかし人生はそう上手くはいきません。会社の経営がうまくいっていなかったらしく、次第に給料が遅れだし、結局は止まってしまいました。240人いた社員があっという間に17人に減りました。使命感と意地で会社に残ったのですが、借金470万円、消費者金融のカード14枚というところまで追い詰められました。約三年が経ち、新しいオーナーが現れ、奇跡的に救われて会社は再起しました。私は24歳になっていました。その頃、会社のサービスの一環でスキューバダイビングが導入されて、沖縄に行く経験をしたのです。
そして十五年間の修行期間を経て独立し、株式会社キャリアコンサルティングを設立。2013年12月に創業十周年を迎えることが出来ました。十年を振り返ると、最初の三年は会社を安定させるために売上げを上げることだけを考えているような日々だった気がします。当然、売上げは伸びても、トラブルは減りません。苦悩の日々が続く中で支えてくれたのは社員と学びに来ているメンバーさん、講座を担当してくださっている先生方、取引先の方々でした。
「壁に直面したときは、原理原則に戻れ、歴史に学べ」何か上手くいかないときには、この言葉を思い返し原点に立ち返ってきました。私は日本を良くしたいと思って、スーパーを退職しましたし、会社を設立しました。最初の三年はそこから逸れていました。原点に立ち返り本物の教育を追求しようと決意し、様々な企画を全面に出しました。
その一つが、二十代が「国を護る」ことをテーマに演説をする「國護り演説大会」の開催です。安全保障、政治、農業、地域活性、教育など自分にできる国護りを熱く語るこの大会は、多方面から支持を得ています。
先人に感謝することの大切さを若者に伝えようと始めた靖国神社への参拝は、オフィスが近いこともあり毎日のように若者が行っております。毎年1月3日には、社員、生徒、OB、先生方など600名以上が集まり、昇殿参拝をしています。この人数で初詣の記念撮影を毎年行います。修行時代から始めて、今年で16年になります。
日本人のルーツである皇室、そして神話への理解を深めるということで、伊勢の神宮への参拝も毎年多くの若者が参加しています。皇居勤労奉仕は主に社員と行っており、今年の5月で11回を重ねました。社員の話を聞いて一緒にご奉仕したいという生徒が出てきたり、生徒だけで奉仕団を結成したりと、皇居勤労奉仕団の輪が若者にも広がってきました。
世界が憧れる日本の伝統文化に親しむということで、着物の着付けや茶道体験なども行っています。海の日には浴衣で着飾った男女700名が夏の風物詩を堪能するということで屋形船に乗っています。規模が日本一ということでニュースでも取り上げていただきました。
そして、しがくの特別講義では、アジアと日本の歴史、世界史、地政学、戦略学そして国防に関して、それぞれ専門の先生方に教鞭を執っていただいています。勉強をしていく中で、日本の歴史、地理的条件、国防など過去から現在まで大きな役割を担っているのが沖縄だということがわかってきました。ジャーナリストの井上和彦氏の発案で、沖縄へ國護りをテーマにツアーを企画すると多くの若者が参加し、更に沖縄の歴史を深く学んでいきました。沖縄は日本を護るという観点からとても重要であり「20世紀も21世紀も国防の最前線は沖縄である」と沖縄に心を寄せている若者が増えてきました。
最後に、各界の知識人、団体など素晴らしい方々が日本にはいらっしゃいます。しかしながら、一つでも相容れない部分を見つけると、その一部分を批判するという空気があるように感じます。そうではなく、良い所を見つけて、良い所を合わせて、更に良くする。日本人が古来より培ってきた美点凝視の和の精神で、国が「まとまる」ことが重要です。私は東京が拠点ですが、日本人として「まとまる」ことを意識して、沖縄に心を寄せる若者を一人でも多く輩出していきます。


八重山日報(10月14日版)に掲載されました」への4件のフィードバック

  1. 室舘代表
    八重山日報掲載おめでとうございます。
    こうして改めて活字になって読ませていただくと、しがくで学んだことが本当に仕事に生きているのを実感します。
    記事を拝見しながら、普段はもう無意識で使っていることや興味をもっていることもありますが「あ、そうか、ここで教わったんだ」と思うと、感謝の気持ちがこみ上げてきます。
    学んで考えが変わったことは本当に多々ありますが、あえて一つあげるなら、自分の意見を通す、相手の意見と戦って、相手を打ち負かし、勝つということに生きがいを感じていた私が、自分と相反する意見でも、少しでも受け入れてみることによってよいところを見つけてよりよくしていく。ということを考えるようになったのは、自分でも驚きです。まだまだ未熟ですが、記事の内容を読んで、改めてこれからがんばって学ぼうと思いました。

  2. 室舘代表、八重山日報での連載スタート、誠におめでとうございます。
    「原理原則に戻れ」、私自身この言葉には何度も救われた経験があります。人に感動を与え、そして日本を良くするために、本物のリーダーを目指していきます。
    そして自分の専門性を高め、日本がまとめる為に貢献していきたいと思います。

  3. この度、八重山日報への掲載、誠におめでとうございます。

    「壁に直面したときは、原理原則に戻れ、歴史に学べ」
    この言葉に限ったことではありませんが、室舘代表やスタッフの方々、先輩、後輩メンバーさんから様々な形で学び、気づかされてきたことが私の血肉になり、私を今日まで導いてきてくれました。

    最近は、室舘代表が以前にも増して外部で活躍されている姿を拝見させて頂くことができ、勘違いも甚だしいのですが、まるで我が事のように嬉しく思います。

    しがくで、私が学ばせてもらったことの一つに「貴方と私は違ってO.K.」という考え方があります。
    育ってきた環境が違う2人の話、考え方が合わないなんて当たり前。
    そう思えるようになった途端、以前にもまして多くの人と打ち解けることができるようになったと思います。

    日本人に代々受け継がれてきた和の精神は、事なかれ主義なのでは決してなく、代表が仰るような、大きな目的を達成するために、一つにまとまるという意味だと思います。

    代表のように、誰も彼も受け容れてまとまるような器を持てるよう、私自身も精進して参りたいと思います。

    改めましてこの度は本当におめでとうございます!

  4. ピンバック: 第56回室舘塾 | 室舘勲のブログ

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