第9回ちょこっとワールド~アイスランド共和国~

6月20日

本日は「第9回ちょこっとワールド 」が行われました。

今回は今までと違い、初めて大使館公邸で開催することができました。
これもひとえにアイスランド航空 の日本総支配人、坂田様 のおかげです。
坂田様本当にありがとうございました。

さて、今回の講師は東京東洋大学の留学生のベルグソンさん。
アイスランドのフォマールな衣装を着て講義を行って頂きました。

ベルグソン講師

私自身、アイスランドには一度行っていますが、当時の思い出に
浸りながら話を聞いていました。アイスランドの凄いところは
数えればたくさんありますが、一番はやっぱり「自然」です。

暖流の影響で平均気温も北海道より高く、地熱による温泉が豊富で
過ごしやすい気候です。
温泉に入りながらオーロラを見ることもできるそうで、これは私もまだ
経験しておりませんので、次回の旅行では実現したいと考えております。

講義風景

また、自然エネルギーを多く利用しているエコ国家でもあります。
2030年までに化石燃料を一切使用しない国造りを目指しているというから驚きです。

今年、日本とアイスランドは外交関係設立50周年記念 の年にあたります。

そこで、アイスランド航空は9月6日のフライトを記念直行便とし、
いくつかの使節団でアイスランドへ向かうというプランを立てています。

そして、「アイスランドをぜひ若者に知ってもらいたい」という坂田氏の熱いエールを受け、今回ベストからも、スタッフ7名を行かせることが決定しております。
せっかくなので、30名ほどで行ければと思っております。

若者向けということで、ここで公表できないほど一般の価格より安く行くことができます。一緒に行ってみたい人はぜひご連絡ください。

また、NGO東京アイスランド文化協会(申請準備中)設立記念として、日本から若者が読んでいる本を贈呈するという企画もございます。アイスランドの前大統領で世界最初の婦人大統領だったヴィグディス フィンボガドティル閣下が主宰される研究所で日本語の蔵書が増えれば大変価値のあることだと思います。

皆さんも、中古でも構いませんので、ぜひ本の寄付をお願いいたします。

アイスランド

永田社稷会にて

6月15日

今日は朝8時から、皇居の隣のパレスホテルにて開催されている「永田町社稷会」に参加しました。

今日もたくさんの政治家や議員秘書が大勢集まっており、自分にはもったいない朝食会です。

今回は弊社スタッフの細谷と高橋も一緒に連れていきました。
こうした会はさすがに場慣れしていないせいか、とても緊張した面持ちでした。

そして、なんとお招きいただいた丹野博士 の好意で、2人は最前列に座ることとなりました。
丹野博士 ありがとうございます。

今日の講師は、額賀防衛庁長官でした。その為か、かなりの人数が出席していました。

基本的に内容はオフレコのため、前回同様、詳しくは書けませんが、
沖縄基地問題の話しがメインでした。

個人的には横田基地、厚木基地の問題も気になってはいましたが、
そちらの話は残念ながら今回はありませんでした。

また、額賀防衛庁長官 の話もさることながら、沖縄の下地幹郎 議員も

大変良いお話を下さいました。

よく、「米軍の基地があるおかげで、沖縄の経済は成り立っている」と言われていますが、
下地議員によると、そんなことはなく、米軍が出て行っても十分やっていけるというのを数字をだして、強気に語っていらっしゃいました。

また、下地議員は、沖縄県からの選出議員でありながら、
「国は沖縄に気を使い過ぎている。出来ないものは出来ないと言うべきだ!」
というお話しが大変参考になりました。

弊社のスタッフをはじめ、若者にこうした場をどんどん経験させていきたいと思っています。

私自身も始めは右も左も分からない世界でしたが、「慣れたほうが良い」というアドバイスを頂いたので素直に実践してみると、この経験が人脈作りのポイントになると考えさせられました。

やはり、他人の話に耳を傾けて実践することは机上論では図れない経験になると思いました。

致知出版社へ

6月9日

今日は致知出版社の藤尾社長から、一緒に食事をしながら話をしようとの誘いがあり、青山にある致知出版社の本社へ行って参りまし た。

致知出版社は、
?五木 寛之, 稲盛 和夫 何のために生きるのか
?中条 高徳, 渡部 昇一 子々孫々に語りつぎたい日本の歴史

をはじめ、人間学に力を入れた本を出版されています。

特に月刊誌『致知』は人の生き方を探求する人間学の雑誌ということで、読者までもが誇りを持っている雑誌です。以前、中條先生聞いたのですが、他の雑誌を読んでいる人は「○○を読んでいます。」と言っては来ないが、致知だけは「致知を読んでいます。」と勢い良く言ってくるそうです。私も恥ずかしながら、以前中條先生の前で言ってしまいました。

致知

また、当社のスタッフは毎朝10分間、「致知タイム」という『致知』を読むための時間をつくり、全員で静かに読んでいます 。10分という短い時間ですが一つ、二つ発見することがあるのでとても不思議です。

私も以前から『致知』を出版されている藤尾社長とはゆっくり話しをしたいと思っていましたので、本社の前に15分前に着いてしまい、雨宿りをしながら緊張して待っていました。こういうときの15分は長いものだとつくづく感じました。

時間を見計らって致知出版社に入ると、想像以上にすばらしい丁寧なスタッフの皆様の挨拶。さすが『致知』を出版している会社だと感服いたしました。

藤尾社長と柳澤常務取締役と、食事をしながらお話しをさせて頂きましたが、
色々と質問して頂き、大半は私が藤尾社長と柳澤常務取締役に答えながら話す形となりました。

藤尾社長は『致知』のすごさを物語るエピソードとして、
『致知』の7月号にも掲載されている高校生の話をしていました。

この高校生は、奈良の高校を卒業し、今年から京都大学に進学したのですが、入学前の休みを利用して、致知出版社を訪ねてきたというもの。初めての上京にもかかわらず、お台場やディズニーランドなどの観光地スポットには目もくれず、一路、致知出版社にやってきたとのこと。

”いまどき”の風潮に少しも染まらないその少年に、藤尾社長も「大変励みになった」とうれしそうに話ていました。ベストに来ている若者の中にもたくさんの読者がいますが、もっともっと若者が人間学を学び、志を高めてもらいたいと思いました。

柳澤常務はベストの事業一つ一つに興味を持っていただき、色々聞いてくださいました。事業の一つであるコミュニケーションマジックにも興味を持たれ、せっかくだからということで、僭越ながらマジックを披露させて頂きました。まさか、藤尾社長からマジックをお願いされるとは思っていなかったので、少々焦ってしまいました。どんなときでもすぐにマジックができるように心の準備をしておくことが大切だと改めて感じました。

2時間ほどお時間を割いていただいたお陰で、ベストの活動をよく理解して下さいました。今後、様々な会合に誘っていただけるというお話も頂き、とても感激いたしました。

帰り際、3階から、2階、そして1階と降りていく時に、それぞれの部署の方、皆立ち上がって挨拶してくれました。うちのスタッフにも日頃から挨拶が大事だとは教えていますが、致知出版社のスタッフの方々の挨拶と比べると正直言って負けを認めざる得ませんでした。

元気なのはもちろん当り前で、それは当社のスタッフでもできていますが、笑顔や心の込め方は大きく違っていました。私達は、挨拶の時に元気の良さばかりに気をとられていた気がします。

ただ、やはり心が大事で、心の底から「ようこそいらっしゃいました」「お越しいただきありがとうございます」
と言えるかどうかだと思います。これを読んでいるスタッフのみんなも致知出版社のスタッフの挨拶を目標にがんばりましょう。

やはり良い本は、良い人がいないとできない。すばらしい社長、役員、スタッフがいらっしゃってこそ、あの『致知』というすばらしい雑誌があるのだと、本社に行って実感しました。

今後も、致知の教訓を活かしてより質の高いサービスを提供していきます。

「沖縄ファンクラブ」10周年パーティー

5月14日 

本日は「沖縄ファンクラブ 」の10周年パーティーに参加してきました。

会場は霞ヶ関ビル33階の「東海大学交友会館 」当社の倉田部長が以前務めていた場所です。

今回のパーティーには矢野先生が「沖縄ファンクラブ」の副会長なので、ご招待いただきました。

ベストからの参加はメンバーさんも含め総勢11名。 メインは矢野先生に講師をお願いしている「未来塾」のメンバーさん。後は、噂を聞きつけた島が大好きなメンバーさんと沖縄出身のメンバーさんでした。

立食パーティーで、沖縄料理、沖縄音楽を楽しませていただきました。

「沖縄ファンクラブ」の会長は植木光教会長です。

植木会長は海洋博を主催した方で、国連機関沖縄誘致推進センター でもお世話になっております。

会の途中で、参加している11名を連れて行ってご挨拶をさせていただきましたが、若者ももちろん喜んだのですが、会長ももっと喜んで下さいました。

また、抽選会でも矢野先生の挨拶でも当社から参加した若者は注目を浴び、諸先輩方は今後の若者に期待しているという想いが伝わってきました。

宮良多鶴子 さんが沖縄民謡歌ったり、カチャーシーを踊ったり、と大盛り上がり。会場にいる100名前後、みんな歌って踊っていました。

青森県出身としては、どこかのタイミングで「青森ファンクラブ」を作ってみたいと思わずにはいられない内容でした。 矢野先生をはじめ、皆様ありがとうございました。

二水会

5月10日

毎月第2水曜日の18時からは「二水会」の日です。

「二水会」は矢野先生 を中心とした経営者が集まる勉強会です。
毎回、7,8名という少人数制ですので密の濃い勉強ができます。
気付くと私も4年間ずっと、学んでいました。

毎月4年間ありがとうございます。

内容は輪読会です。

◆武士道(新渡戸稲造)
◆代表的日本人(内村鑑三)
◆東洋の理想(岡倉天心)

「武士道」「代表的日本人」など武士から学ぶ日本人としての気概を矢野先生の言葉を加えて
教わることは衝撃的でした。最近の政治、経済の動向、考え方などを輪読会を通じて学べました。
「東洋の理想」は、武士道とはまた違う切り口で日本を語っています。

この内容を理解し、新たに書き上げるのは、かなり内容が濃いので、かなり頭がいい人で
なければ書けないと感じて学んでいます。

二水会の中でも様々なコメントが飛び交います。

「今は世の中アジアについての話が多くなっている。」

という話では仕事柄海外とのやり取りが多い人には特に感じるそうです。
「アジアは一つ」という岡倉天心の言葉も解釈の仕方一つで
使われ方、伝わり方が変わってしまいます。
改めて言葉の選び方には細心の注意が必要だと感じました。

「日本は明治人が去るごとに悪くなった。」

というコメントは印象に残りました。
我々がそんな時代を作っては明治時代を生きてきた方々に申し訳ありません。
私も経営者のはしくれとして、また若者に志を教えている立場として、
「日本の伝統文化を重んじるような、背骨のある日本人を育てます。」
というコメントを出しました。

※石原都知事が以前「今の日本人は背骨がない」というコメントを出していたのを思い出しました。

少しでも多くの若者に二水会で学んだ事を伝え諸先輩方の期待に応えられる若者をプロデュースしていきます。

二水会で学んだ後にラメシュさんに会いました。

ラメシュさんはインドで通訳をやっている方です。
私と同じ歳ですが「すばらしい人間」と誰にでも紹介できる人です。

通訳としての仕事もレベルが高く、麻生外務大臣、森元総理などが
インドに訪問したときにはラメシュさんが対応するそうです。

前回会ったときは、K1グランプリに連れて行きました。初めてみるK1にかなり興奮していました。
仕事柄、様々なところに様々な人を連れて行きますが、ラメシュさんのように
感情あらわに喜んでもらえると、素直に私も嬉しくなります。
人付き合いには必要な能力でしょうね。

その後は御徒町駅から徒歩2分にある「ハリッシュ」というインドカレーのお店に行きました。
ここはラメシュさんの弟が開いているお店です。
お世辞抜きで本当に美味しい本場インドカレーでした。
値段も安いので、学生さんにもお勧めです。

インドカレー2  インドカレー

「ハリッシュ」では、ラメシュさんのほか、アジアヒューマンサポート の平井さん、
APU大学の吉野さん、東京日露協会 の丹野さん、佐藤さんの6名で食事をしました。

食事もひと段落着くと途中からは「マジックショー」。
ラメシュさんにも教えてあげ、グッズをあげたらこれまた大喜び。
次回来日の際にも新しいグッズをあげることになりました。

このような、文化交流の繰り返しが日本とインドの友好に
ほんの少しでも役立つと思います。

皆様も国と国の交流に関して
何もせずに国に任せるのではなくやれるところから少しずつ
民間で、個人で交流を深めてはどうでしょうか。
今よりもっと日本を好きな外国人が増えるように祈っています。

記念撮影

外国人記者クラブにて

5月8日

本日は外国人記者クラブに呼ばれました。
入り口には著名な方々の写真が貼ってるので
何度来ても、身が引き締まります。

今回は、しがくセミナーでもご講演頂いたペマ・ギャルポ先生に
呼ばれ、アジアヒューマンサポート の平井代表と向かったのですが、

財団法人日本宇宙少年団 理事(団長 毛利 衛)日本科学未来館評議委員
なんでも鑑定団鑑定士(テレビ東京)

という肩書きをお持ちの「岩堀恭一」さんを紹介してくださいました。

聞けば聞くほど岩堀さんという人物の凄さが伝わってきましたが、
それは、後ほど紹介いたします。

今回のメインテーマは、アジア伝統文化興流会というNGOをつくろうという内容でした。アジア各地から日本に来ているアーティストが沢山いるそうです。そんなアーティストを集めて音楽祭や文化交流を企画する団体です。

外務省でも同じような文化交流会は開催しているそうです。
しかし、ここで集まるアーティストは日本に在住しているわけではなく、
高いお金を出して、海外から来てもらっているらしい。

これでは、すぐに自国に帰ってしまい、先に繋がらないということで、
開催しても意味が無いとおっしゃっていました。

そこで、アジア伝統文化興流会の発足となるのです。
民間レベルで継続できる文化交流を推進していこうということです。

私も日々も仕事のスケジューリングに追われながらも、
アジアの伝統文化など意味のあるものにはぜひ協力していきたい想いでいっぱいです。

その気持ちのお陰でペマ先生より直々に事務局長に任命していただきました。

有り難いことです。期待に応えられるように、努力いたします。

その他様々なお話を聞くことが出来ました。

岩堀恭一さんがおっしゃるには、日本には美術館が1984箇所ありますが、ほとんどが赤字だそうです。

このままでは国もやっていけなくなり撤退を始めて、美術館の数が減ってきてしまいます。

美術館が無くなるということは、日本の伝統美術や伝統芸能が廃れていくことに繋がるのです。

東京都が動き出したのはその後だそうですが、まだまだ解決はされておりません。

また、10年程前、日本社会が不況に陥り、社会人野球部やバスケットボール部、陸上部などが運営できず、廃部になるというニュースが沢山流れていました。

特に、アイスホッケーを中心としたウインタースポーツ。岩堀さんは、冬季オリンピックでメダルがとれなくなるという警鐘を鳴らしていたそうです。結果、トリノオリンピックでは、荒川静香選手の金メダルのみに終わってしまいました。時代の先を読む動きの必要性を改めて感じました。

文化が無くなったら、国は無くなります。美術、スポーツという文化の衰退は日本の消滅を示唆します。

日本の伝統文化を守ることに微力ながら協力していきたいです。

ペマ先生からも面白い話を聞きました。

ブータンの外務大臣クラスが夏ごろ来日する際に、ペマ先生がコーディネーターとして動くそうです。

我々もイベントのお手伝いをすることで、ブータンと日本との架け橋になることになりました。

また、今年の9月にペマ先生とインドへ「ガンジーツアー」を開催致します。私も同行して、ツアーの協力をさせて頂きます。ペマ先生がおっしゃるには、ガンジーが亡くなった場所、生まれた場所はきれいだそうだが、生活した場所は荒れているそうです。(地方の総合大学くらいの広さはあるらしい)
そこで、日本の大学生などとその場所に行って、生活した場所を掃除するのです。

意味のあるツアーになります。しかも、ペマ先生のお陰で4泊5日で15万円前後(航空費、ホテル代込み)で行けることになりそうです。

1日は掃除、1日は観光のようなツアーです。その後、興味のある方は少人数でペマ先生とブータンに訪問できる予定。こちらでは、ペマ先生は、「最低でも副大統領とは会わせたい」とおっしゃてくださっています。凄いツアーになりそうです。

なかなか有り得ない体験になると思いますので、どなたか一緒に行きませんか?

第16回しがくセミナー

5月7日 

本日は以前から楽しみにしていた、「第16回しがくセミナー 中丸薫様講演会」を開催いたしました。

中丸先生は、世界各国の大統領や国王などと対談を積極的に行い、民間外交を実践されている方です。

講演の内容はここでは書くことを躊躇するような内容が多いので、興味を持った方は中丸先生の著書を読んでいただくことをお勧めいたします。

その中でもソフトな内容をいくつか書かせていただきます。

講演中度々出てくる世界を支配しようとしている「闇の権力」。人口を減らすために、ウィルスを故意に作り、ばらまいている。そしてそのワクチンを一部の人が持っているなどのお話を伺いました。

陰謀論者という言葉がありますが、そういったファンタジーではなく、事実に基づいたお話ができるのが中丸先生です。世界を動かすほどの権力。使い方一つで恐ろしい武器になると思います。本当、世界はどうなっているのかと思いました。

また、アメリカに対して日本が430兆円ものドル建て国債を買って、塩漬けにされている。
日本の国家予算が約80兆円なので、この額の大きさは皆様もわかると思います。
ジャパニーズマネーでアメリカが成り立っているといっても過言ではないような状況です。

中丸さんいわく、日本の借金は実質1000兆円は越えているとのこと。
経済的には、もう破綻しているのではないか?と思わされます。

スケールの大きなお話ですので、自分には関係ないかもしれないと思いがちですが、人間社会で生きている以上、関係が無いとは言い切れないでしょう。では、何ができるのかという問題ですが。残念ながら、私たちのレベルではすぐに何かを動かすこと、影響を与えることは不可能でしょう。

まずは、そういう世の中であることをきちんと認識して生活をし、時代の変化に敏感になっておくことが重要だと思います。私自身も経営者として、時代の流れを読むことは当り前ですが、その時の流行を追うのだけではなく、先を見据えた動きをしていこうと改めて決意することができました。

詳しくは、中丸先生の著書をご覧ください。

中丸さんの本 ?

泥棒国家日本と闇の権力構造
中丸 薫
(著),?ベンジャミン・フルフォード (著)

中丸さんの本2 ?

この国を支配/管理する者たち―諜報から見た闇の権力
中丸 薫 (著),?菅沼 光弘?(著)

16回しがくセミナー?

講演後は、お忙しい中、中丸先生やお客様、BESTスタッフとの食事会もさせていただきました。
とても楽しい食事会でした。

中丸先生を始めとして、参加された皆様、お忙しい中、誠にありがとうございました。

ハワリンバヤル2006

本日は、練馬の光が丘公園で行われている『ハワリンバヤル2006』に行って参りました。快晴の休日ということもあって家族連れも多く、大変賑わっておりました。

『ハワリンバヤル』はモンゴルの春祭りという意味だそうで、日本全国に滞在しているモンゴルの方々が集まっていました。日本人のほうが多かったですが、モンゴルの方も多分200人以上いたと思います。そこまで集まるとは思ってもいませんでしたので、正直驚きました。

ハワリンバヤル

さて、モンゴルと言えば第1回ちょこっとワールド で講師をして頂いたバドボルドさん。

とても好感のもてる青年で、顔も広い。個人的に旭鷲山関の妹や、モンゴルのトップモデルをご紹介していただいたり、また、モンゴル出身の朝青龍関、朝赤龍関、安馬関と同じテントに入れていただき、見学させてもらいました。本当にありがとうございました。

朝青龍

その中でも一番盛り上がったのは、やはり本場のモンゴル相撲でした。
当社のスタッフも2名参加したのですが、相手を見るとあまりに本格的で、あっと言う間に負けてしまいました。撮影していた、当社のスタッフもあまりの速さに写真を撮れなかったそうです。

二階堂

「日本人情けない」と思われるかもしれませんが、聞いたところによると、今回参加した選手はモンゴルの地方大会の優勝者や、日本でいう小結にあたるような人まで来ていたらしいです。それでは勝負ならないのも致し方ないでしょう。出場し、臆せず戦っただけでも偉いものです。

相撲

相撲の後は、朝青龍関などのお相撲さん達も混ざってのコンサート。
屋台や、ゲル(モンゴルの遊牧民の住居)での講座など、見所も多く楽しませていただきました。

今年7回目を迎えるそうで、毎年ゴールデンウィークに行われるそうです。
ちょこっとワールドも「ハワリンバヤル」同等の大きな国際文化交流の場になるように温めていきたいと思います。そのためには当社スタッフの力は大きいのですが、多くの方のご協力無しでは到底不可能な話です。

今後も、サービスの強化を図っていきますので、ご協力よろしくお願い致します。

TAITANS.3rd

4月28日金曜日、代々木第2体育館で、「TITANS 3rd」という格闘技イベントが開催されました。

そもそもバンゲリングベイ会長の新田明臣 選手、渡辺浩人選手とは親しくさせていただいております。アジア青少年支援チャリティー2006 New Year’s Party ではわざわざいらっしゃっていただきチャリティーオークションにグローブを出品してくださいました。また弊社のスタッフに1時間くらいのミニ講演を開いてくだっさたこともございます。

そんな御縁から、今回も誘って頂いたわけですが、せっかくなので、ちょうど当日4月28日が誕生日の当社スタッフが二人いましたので、3人で観戦することとしました。

応援していた新田明臣選手は、残念ながらアリー・グンヤー選手に判定で敗れてしまいました。しかし、相変わらずの大人気で会場は大いに盛り上がりました。

印象に残った試合は『天田ヒロミ 対 ガオグライ・ゲーンノラシン(タイ)』
体重差30キロの戦いに会場は大いに沸いていました。

ガオグライの至近距離で相手のパンチやキックをかわす『マトリックスよけ』は素晴らしいものでした。

最後の試合(メインイベント)は『武田幸三 対 ジョームタップ・クランセンマーハーサーラカーム(タイ)』
残念ながら武田選手が負けてしまいましたが、本日最大の盛り上がりを見せました。

代々木第2体育館の2階席は選手の顔がはっきりとわかる距離ですので、武田選手の超合金のような体つきがわかりました。

連れて行った2人は、「オー」とか、「ワー」とか周りを気にせず叫んでいました。
隣の席で盛り上がっている姿を見て、連れて来て良かったと思いました。

私自身も格闘技の経験がありますので、キックの痛みなどもなんとなく分かりますがリングに立っているだけで選手の方々は尊敬できます。今後も素晴らしいファイトを楽しませて頂きます。

試合の詳細は、GBR 格闘技WEBマガジン をご覧下さい。
http://gbring.com/sokuho/result/result2006_04/0428_titans.htm

会場からほとんどの選手が帰った後に、新田選手と途中まで一緒に帰ることになりました。
詳しくは書けませんが、新田選手もそうですが、武田選手も選手生活が長いため、相当体に疲労が蓄積され、ケガもあり、 話を聞いていた我ら3人は唖然としてしまいました。

本当にファイターは大変なんだなとつくづく思いました。

今度食事に行く約束をして、新田選手と別れました。

まだまだ未来を見ている新田選手の前向きな発言を聞いて、我々も負けていられないなと思いました。

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新田明臣選手のプロフィール
1973年7月23日 東京都生まれ
WKA世界ムエタイ・スーパーウェルター級王者
2005K-1MAX日本代表決定戦準優勝 など

オフィシャルサイト

>http://www.bungeling-bay.com/nitta-officialsite/nitta-top-menu.html

新田選手

第15回しがくセミナー

本日は第15回しがくセミナー の日です。今回は私も以前から楽しみにしていたペマ・ギャルポ先生の講演会です。

ペマ先生は、、ダライ・ラマ法王アジア・太平洋地区担当初代代表への就任をはじめ、チベット文化研究所 所長・岐阜女子大学 教授・拓殖大学 客員教授、モンゴル国立大学、岐阜女子大学南アジア研究センター 長など国内外の教育及び福祉関係機関の顧問を務め、精力的にご活躍されています。

ペマ先生は本を何冊も執筆されていらっしゃいます。

日本国破産のシナリオ

日本国破産のシナリオ 破滅から黎明へ-光は極東の日本から

悪の戦争論 ?
悪の戦争論

他にも多数著作がございますので、内容はそれらを参考にしていただきたいと思いますが、

簡単に言えば『国も個人も、自分で自分を律することができなければ、他人から律せられる』というもの。チベットからインドへの亡命した時の話は現実とは思えないほどの迫力がありました。

ペマ先生は自分の名を後世に残したいという想いがあるそうです。以前、まだ50代で人生経験は少ないと仰っていました。30代の私はペマ先生から見たらまだまだ経験不足の若造にすぎないと思いますので、若造は若造らしく失敗を恐れず様々なものごとにチャレンジし経験値をつんでいきます。そうでも思わなければペマ先生の様な方には50代になっても追いつかないと思います。

講演会の翌日、先生から直接電話で、「話甲斐のある若者だった」と言われ、大変うれしく感じました。

また、アジア伝統文化交流会(仮称)という、アジア音楽の交流会を立ち上げるそうで、それを中心でやってくれないかという要請もありました。ペマ先生の考えでは大きすぎるイベントは花火のように一回で終わる可能性高いので、小さく始めてコツコツと大きなイベントにしていきたいそうです。

ピースソングと共に、アジアの文化交流を深めるためにできる限り応援し、やっていきたいと思います。 このブログをご覧の方々も是非ご協力をお願いします。

ペマ先生を始め、参加された方々、お手伝いしてくれた方々、皆様ありがとうございました。
しがくセミナー

日本タンザニア友好協会発会式にて

前日からインペリアルスウィートに宿泊し、午前中もスタッフと部屋を満喫し、その後、午後3時から、世田谷にある日本タンザニア協会において日本タンザニア友好協会発会式に招待されました。

タンザニア看板 タンザニア大使館

招待してくださったのは、日本タンザニア友好協会の理事長であります大槻明子様と、専務理事であります中谷靖様です。

普通なら協会の運営を手伝っていないと招待はしてくださらないと思うのですが、普段から接点を持たせてくださっています関係で招待してくださったのではないでしょうか。

こちらの会では、相馬雪香先生や園田天光光先生も関係していらっしゃいますので、招待された私としましては身に余る光栄でした。

またタンザニア元大統領夫人や駐日タンザニア大使のE.E.E.ムタンゴ大使などもいらっしゃいましたが、目玉はなんといっても民間の友好協会では皇室の方がいらっしゃることは滅多にない中で、高円宮妃殿下がいらっしゃったことです。タンザニアの方々も驚いたそうで、国を挙げてお迎えしなくてはならないと、協会をリフォームしたそうです。そんな方をお迎えできる日本タンザニア友好協会の凄さに鳥肌が立ちました。

タンザニア

私は一番前に座らせてもらい、高円宮妃殿下が3メートルほど前に座っていらっしゃいました。他にも、JTの役員の方や鴻池組の会長がいらっしゃたりと重鎮が顔を揃えていました。初めての経験でしたので、いい緊張感で会に参加できました。 生演奏を聞いたり、タンザニアの報告を聞いたり、いろんな人の話に耳を傾けたりしましたが、会場にいらっしゃる方々のお陰で、すがすがしい気持ちになりました。

鉛筆の贈呈のなかに「2006年度 櫻華塾から」というものがありました。こちらは、当社のメンバーさんがお世話になっている「櫻華塾」のことだと後から聞きました。相変わらず、サプライズで凄いことをやってくださる方だと思い、感謝の気持ちでいっぱいです。

だからというわけではありませんが、私もタンザニアのために自分が何ができるかと考え、これからも意味があり、価値の高い会にするために微力ながら応援させていただこうと思いました。これを見ている人で、タンザニアにボランティアなどで興味ある人は、ぜひご連絡ください。

大槻理事長はタンザニアに幼稚園(さくら幼稚園)を寄付されたり、高円宮妃殿下原作の「夢の国のちびっこバク」を外国語に訳して、各国に贈呈したりと世界規模のボランティアを展開しております。しかし、元々はご子息や近所の子供たちに本を読み聞かせするところからスタートした方です。草の根運動に関しては右に出る者がいないのではないでしょうか。

そして、人がついてくる理由は、先ほど書きました他人のためになるサプライズが得意だからでしょう。見習う点はとても多いです。これからもよろしくお願い致します。

余談ですが、元大統領夫人と大使、スワヒリ語の第一人者である宇野みどりさん達が話している中でマジックをやらせていただきました。ハートのエースを選んでもらい、それがタンザニアの国旗に変わるという大変シンプルなものでしたが、大変驚いていただき、握手も求められ光栄でした。 トルコ、ロシア、イランと大使館などでのマジックは4回目。このまま何カ国いけるかわかりませんが、挑戦します。目指すは191カ国?(笑)

関係者の皆様、誠にありがとうございました。

ヒルトン東京ベイのインペリアルスウィートルーム

本日はヒルトン東京ベイのインペリアルスウィートについて書こうと思います。

去る1月22日にヒルトン東京ベイ にて『アジア青少年支援チャリティー2006 New Year’s Party

~未来のアジアに架ける橋~』を盛大に開催いたしました。

弊社のホームページ にもアップされていますが、800名というたくさんの方に集まって頂きました。参加された方々、関係者の方々、誠にありがとうございました。

こうした800名規模のパーティーは、さすがのヒルトン東京ベイでも年に数回だそうです。そのため2年前と同様に、幻の1111号室に我々を招待して下さいました。

この部屋はインペリアルスウィートルームと呼ばれていて、聞いた話では某自動車メーカーの関連会社の社長が、借りようとしたが断られてしまったというエピソードがあるほどです。

外国からのVIPに泊まってもらうような部屋で、芸能人だと浜崎あゆみさんなど、ごく限られた人しか泊まっていない部屋だと聞かされ、身に余る光栄であると感じました。

インペリアルスウィート ??

どんな部屋かは写真から想像いただければと思いますが、ベッドルームやゲストルームなどを合わせると、代々木の本社オフィスより広く感じました。

入れ替わり立ち代り、いろんな人を招待しましたが、写真を撮ったり、ワインを飲んだりしながらも、スタッフとは将来を語りあうこともでき、非常にいい時間をすごせました。

来た人達みんなが感動していたのは、窓から見える景色。昼間は日の光で輝く海。

海

夜はネオンで輝く東京の夜景。

海夜

とても素晴らしい景色に酔いしれながらも、他の人にも見せてあげたいと言っている人がほとんどでした。

午後3時のチェックインから夜中まで、飲んだり話したりで気づいたら夜中になっていて、さすがの私も死んだように寝てしまいました。

続きは明日のブログをご覧ください。

野村コンファンレンスプラザにて会議

4月13日

本日は有限会社ベスト の年度の中間会議をおこないました。

これは、年に4回開催する会議で、当社の幹部が丸々2日間という時間を空けて臨んでおります。その中で、この3ヶ月間の反省、これから3ヶ月間の展望や抱負を語り、それだけでは留まらず、5年後、10年後の会社のビジョンにまで話は及び、全員で目標達成に向かう姿勢も出来上がります。ですから幹部の貴重な時間を使うだけの理由があります。

私がこうした重要な会議でこだわっていることが一つあります。それは会議の場所選びです。こうした重要な会議の場合、可能であれば2日間、都心部から離れ、温泉にでも入れる場所でやりたいのが本音です。リラックスした環境での集中力というのは、自分の気持ちではどうしようもなく、雰囲気の力を使うことに頼っています。

ただ毎回という訳にもいきません。今回は丸2日間かけて、新宿野村ビルの野村コンファンレンスプラザ の会議室で行いました。10数名は入れる会議室でした。

しかし、会議が始まったときは、スモッグがかかり、風景を楽しむことはできませんでしたが、少し時間が経つと日頃の行いがよかったせいか、スモッグは晴れ東京の素晴らしい風景が目の前に現れました。

?

朝早くから集まった若手幹部達でしたが、普段とは違う場所での会議に驚きながらも表情は生き生きし、更なる集中力を感じました。やはり2日間の会議が終わってみて、思うのは、この場所で行ったのが正解だったということです。

会議中は集中して、仕事を見つめ、会社を見つめます。休憩時間にはビルの外に広がる景色を眺め、遠くまで見つめることで広い心を思い出し、広い視野で話し合いを進めることができるようになります。たかが会議かもしれませんが、開催する場所の大切さをつくつぐ感じた2日間でした。

今までの人生を振り返ってみても、何か特別な決め事をする時は、いつも使っているデスクではなく、場所を変えていました。特に年末年始などの節目では、一年を振り返ったり、新しい年のことを考える際に、東京タワーに上ってみたり、海を眺めてみたりと、いつも行かないような場所にこだわることもありましたし、新しいノートを買うということも年末年始の行事の一つになっております。

その程度の気持ちの切り替えでいいアイデアが浮かぶものです。会議に参加した皆さん、2日間 お疲れ様でした。

幹部共々、よりよいサービスを提供していきますので、今後ともよろしくお願い申し上げます!

ゴルフのススメ

4月4日

今日はゴルフについて書こうと思います。

ゴルフとの最初の出会いは小学生の頃でした。父親がテレビで見ていたのを、私も一緒に見ていました。
その頃よく登場していたのは、確かジャック・ニクラウス、セベ・バレステロス、アーノルド・パーマー
だったと思います。日本人で活躍していたのはジャンボ尾崎、中島常幸、青木功でした。

当時はゴルフを見て、「歩いてばかりいて、こんなのスポーツじゃない。」と思っていました。
自分がやることになるとは全く思っていませんでした。

ゴルフは一般的にはカートでコースを回るのですが、プロの大会は全て歩いて回ります。

一日約10kmを歩き、それを4日連続で、様々なプレッシャーの中で行うというのは、ものすごいことです。
実際それはゴルフをやってみてわかったことです。

ゲームではファミリーコンピュータでやったの覚えています。(確か、水色のカセットでした。)
シンプルながらもとてもおもしろく、好きなゲームソフトのうちの一つでした。
今は「みんなのゴルフ」がゴルフゲームでは人気なのでしょうか。
機会があればやってみたいと思っています。

時は流れ、20歳の誕生日に上司から3番ウッド(スプーン)をプレゼントされました。そして、そのままゴルフ練習場へ。これが私のゴルフデビューでした。
ところが、その時はなかなかイメージ通りいかず、あまりにもうまくいかないので、「生涯やることはないな」と思っていました。

その後、予想通りさっぱり行かなくなったのですが、今から5年ほど前くらいだったと思いますが、山梨県中央都留カントリー でコースデビューしました。重い気分で行きましたが、今でも忘れもしない148というスコアをたたき出しました。

ドライバーは飛ばない、アイアンはダフったり、トップ(上を叩いてしまう)だったり、アプローチは寄らない、パットも入らないと散々な状態でした。

スコアブックもひどいもので、パーなどはもっての外で、ダブルボギー、トリプルボギーで収まれば名前があるだけうれしかっ た記憶があります。

その後スコアも146、136、132という感じでだんだん縮まっていきました。
一生やらないと思っていたのですが、結局当時は月一回くらいコースへ行っていました。

なかなかスコアが縮まらないので、本やビデオを買ってはみたものの、途中で飽きてしまったり、「本当にこれでいいのか」と悩んだりとあまり役には立ちませんでした。

転機だったのは、たまたま新宿伊勢丹で「ゴルフレッスン8回コース32,000円のところが10000円!」とう福袋があり、あまり考えず安いという理由だけで参加したことです。パターからドライバショットまで一通り教えて頂きました。

座学で15分、実技が45分。そうして少しずつ先生に見てもらったのが功を奏して、スクールへ通った後、すぐに110が出て、そしてついに100を切りました。スクールのおかげで今の基礎はできました。感謝いたしております。

そして、箱根くらかけゴルフ場 で奇跡がおこります。なんと「92」という、素晴らしいスコアがでたのです!ようやく100を切った当時の私には奇跡的なスコアでした。

くらかけ

しかし、その日は小雨でカッパを着ていて、霧もひどく、やっと5メートル先が見えるか見えないかくらいのかなりの悪条件でした。

何故そのような状況で素晴らしいスコアが出たのかと申しますと、ポイントはいくつかありました。

元々「飛ばしたい」という思いが強く、よくクラブを振り回していたのですが、その日はカッパを着ていたため、コンパクトに振らざる得ない状況でした。

さらに霧ということで球を目で追っても見えません。そのため、ヘッドアップ(打った瞬間に顔を上げてしまう、あまり良いとは言われない動き)することもなく打つことができました。

そういう状況が重なり、ほとんどのショットが真っ直ぐ飛び、また、すごい追い風のおかげで、推定飛距離300ヤードが出たとキャディーさんに言われました。正に風の力です。

92を出した後は100台~90台を行ったり来たりしていました。

先日ゴルフに行った坂巻社長(保険の関係でお世話になっている)は80台前半のスコアを出すような方です。その坂巻社長に、「アプローチとパターの練習をたくさんやりなさい。」とアドバイスを頂きました。

常にそれを意識して練習し続けていましたが、先々週「86」というキャリアハイのスコアを出しました。
キャリアハイを出してみて、つくづくアプローチとパターが重要だということに気づきました。
坂巻社長には本当に感謝しています。

それで少し調子に乗ってしまった訳ではないのですが、その後100を超えるスコアも出してしまいました。
コンスタントにいいスコアを出し続けるのは何のスポーツでも同じだとは思いますが難しいものです。

そして今年の目標は、まぐれでもいいので一度、「79」で回ることをやってみたいと密かに考えています。

その夢の70台を出すため、月平均2回ペースで神宮外苑ゴルフ場、林プロにレッスンを受けています。
林プロとは一緒にコースを回ることもありますが、不動産会社の社長や、民主党の鈴木寛さん の奥様を紹介して頂いたりと、プライベートの場面でも林プロを通して、さまざまな交流や出会いがあり、充実しています。

私の知り合いの経営者や、孫正義社長を筆頭に、雑誌に登場するような経営者もゴルフ好きが多いようです。

先日海外に行った時も、ゴルフに誘われたこともあり、仕事上でも役に立つことがあるかもしれませんので、若い人も一度やって みてもいいのではないでしょうか。

特に都会でハードな仕事をしている人にとっては、たまにコースに出て、芝生や木々に囲まれ、見ているだけでも癒されます。

「ゴルフは高い」というイメージもあるかもしれませんが、最近は料金も安くなってきて、若い人でも十分参加できます。

クラブセットは中古の物も街に溢れていて、1万円もあれば揃えることができます。

コースも、土日に高速道路で1時間かけて都心を離れれば、1万円でできるところはたくさんあります。
平日に至っては、オフシーズン(冬か夏)は食事つきで、なんと5,000円というところもあります。
ハイシーズン(春、秋)でも食事つきで7,000円前後です。一人約1万円で1日中遊べ、会話もはずみ、おすすめです。

クラブ ?

そしてゴルフの後にお風呂に入ったり、ビールを飲むのは最高です。

もちろん高いところは今でもありますが、安くやろうと思えば安いところも実はあります。ゴルフに対する敷居が高いと思っていた方は驚かれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

安くてオススメのゴルフ場
上里ゴルフ場 http://www.river-golf.com/body/k_body.htm
越谷カントリークラブ  http://www.golfdigest.co.jp/gstart/reserve/calendar/plan_calendar_343401.asp

朝、骨董市へ

4月2日

本日は、朝から家族3人で新井薬師に行ってきました。
お目当ては桜と、骨董市。

私は家内の誘いで、3年程前から、都心部で開催される骨董市に付き合わされることになりました。

私は兼業農家の生まれということもあり、子供の頃から商売に携わっていますので、集まっている人、値段、売る人、売り方、商品の並べ方など色々興味深く観察します。何らかの特徴のある店が多く、行くだけで勉強になります。

ただ、一番の楽しみは珍しいものを発見することです。10円くらいのガラクタみたいなものから30万円くらいのすごい値打ちのあるものまで様々陳列されており、最近では私の趣味と一つとなっています。

一言で骨董といっても、色々な種類があるのですが、その中でも特に興味があるのは、古い鍵と蕎麦猪口です。

今日は残念ながらいい出会いはなく、何も買いませんでしたが、手にとって見ることができただけで満足できた商品もいくつかあり、普段矢野先生 から教わっている感性を磨くことができたような気がします。

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蕎麦猪口は新宿3丁目にある、行き着けの店、ファンデリ (私の中ではロールキャベツは世界一うまい)に置いてあります。その蕎麦猪口で焼酎を飲むが楽しみのひとつです。

同じお酒でも、器が違うだけで満足度が変わる事が度々あります。そこには職人の想いが込められているからでしょうか。

最近手作りのおにぎりを食べて感動した経験があります。機械では作り出せない何かがあるのでしょうか。同じ量、同じ大きさで大量生産する為には機械は欠かせません。そのお陰で社会は発展してきたことも事実です。

しかし、職人の思いのこもった作品にはかなわない部分があると思います。日本人として、そういった感性を磨いていきたいものです。そして、それこそが私が伝えていきたいものでもあります。

蕎麦猪口(ちなみに大した値打ちはありません)

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