これは、しがく新聞03月号のコラムです。
◆リード:
二〇〇六年にブータン王国を訪れ、衝撃を受けた。空港の職員、街を歩く子供たち、国会議員、ブータン人が全員民族衣装を着ていたからだ。洋服を身につけた我々は、堂々と民族衣装を着ているブータン人に羨ましさを感じた。この時に「日本でも、着物を身につける人を増やしていきたい」「私も着物を着て堂々と街を歩きたい」と思ったものだ。
◆本文:
着物を頻繁に着るようになったきっかけは、三年前から遠州流茶道を習い始めたことだ。茶道のお稽古をはじめ、年間六十回ほど着物を着るようになった。そうすると次第に社員や、リーダーシップの基礎を身につけようと通う会員の中にも「私も着物を着たい」と広まっていった。
七月の「海の日」に毎年開催している屋形船に乗るイベント。昨年参加した約五九〇名のうち、実に九十五パーセントの方が浴衣で参加した。新年恒例の一月三日の靖國神社での初詣。約六二〇名のうち、約一八〇名が着物を着て来られ、とても華やかな雰囲気だった。二月十一日の建国記念の日に開催した第六回国護り演説大会。着物を着る機会を増やそうと「着物で来場した方は入場料半額」としたことで、小雪が舞う中でも約六十名の方が着物で来場され、登壇者も五名が着物で演説をした。
「家族に着物の話をすると、母や祖母の着物や浴衣を出してくれた」「着物や浴衣で出かけると凄く喜んでくれた」。会員からは、こんな声が聞こえてくる。自分の着物姿を家族がとても嬉しそうな表情で見てくれたのが印象的だったようだ。ご年配の方からすると、若い人が着物を着てくれるだけで嬉しいようで、日本の伝統文化が受け継がれていくという喜びもあるのだろう。着物で出かけると、見知らぬ人に声を掛けられたとか、外国人から写真をお願いされたと楽しそうに語ってくれる。
外食に着物で出かけると、大抵一番良い席に通される。私の経験だけではなく、茶道の先輩からもそんな話を聞く。また、夫婦揃って着物でミラノの街を歩いたという先輩は、おしゃれなイタリア人から、洋服のときには感じたことのない羨望の眼差しで見られたそうだ。なるほど海外だからこそ着物なのだ。着物は、海外旅行や大使館への訪問など、外国人との交流で日本人を理解してもらう一つの武器なのだ。
日本には、幕末から明治にかけ国際舞台に出ていくために、まげを切り、洋服を着て、外交を一生懸命してくれた先人がいた。日本は近代国家だと西洋人に認めてもらうために、西洋文化を積極的に取り入れた時代だったからであろう。その時代から約一五〇年、今一度着物を見直し、伝統文化を守っていく必要があるように思う。
四十七都道府県にはそれぞれ特有の織物があり、織物職人や仕立て職人がいることをご存知だろうか。しかし、着物を着る人の減少とともに、日本の伝統文化である着物産業が廃れつつある。それでも、着物を着る人が増えれば、着物産業が息を吹き返し、着物という伝統文化が復興するきっかけとなるかもしれない。
今後益々発展する国際化社会において、外交や国際協力、自国の経済力などで存在感を示すことも大切だ。しかし、外国人から見れば中国人、韓国人、日本人は見分けがつかないという。だからこそ着物を着ることで「ここに日本人あり」という、わかりやすい存在感が必要なのではないか。これは世界に向けたクールジャパン戦略の一つにもなる。いつの日か、新内閣記念写真の撮影で全員が着物姿で写り、その凜とした姿が国内外に広まることを望む。
国際化社会だからこそ着物を着よう: これは、しがく新聞03月号のコラムです。 ◆リード: 二〇〇六年にブータン王国を … 続きを読む → http://t.co/p9kiyYaUMn
着物塾で着付けを習うようになってから、日本文化の素晴らしさを肌で感じています。
たった1本の帯を、結び方を工夫するだけであでやかな帯結びになったり、小さな小物をとってもそこにある職人のこだわりや、着ている人の感性が表現される等々、まだ初めて1年半ですが少しずつその世界の深さを感じています。
電車などで少しずつではありますが、お着物をきた若い女性を見かける様になりました。
もっともっと、着物が日常にとけ込んでいけたらいいなと思いますので、
今後も自分が着る、人に着せることを通して日本の伝統をつないでいきたいと思います。
今後ともよろしくお願い致します。
屋形船や靖国参拝で浴衣や着物を着るようになり、着物はもちろん日本文化をより好きになりました。
グローバルスタンダードとよく言う方がいますが、その多くが外国を賛美し日本の文化を軽視している人が多いように見受けられ、それは違うと思います。本当のグローバルスタンダードは自国の文化を大事にすることが大事だと思います。
今後とも着物をどんどん着て、世界に誇る日本文化を護っていきたいと思います。