4月2日
「がんばれ日本!桜交流会」と題して、代々木公園でお花見をしました。
残念ながら私は参加できませんでしたが、多くの方が集まり交流を深めていたようです。
会場で日本赤十字社への募金を募ったところ、19万689円という多くの募金が集まりました。
ありがとうございました。
花はあまり咲いてませんでしたが、みなさん決起していたようです。
花見の歴史
花見は奈良時代の貴族の行事が起源だと言われている。奈良時代には中国から伝来したばかりの梅が鑑賞されていたが、平安時代に桜と変わってきた。その存在感の移り変わりは歌にも現れており『万葉集』において桜を詠んだ歌は40首、梅を詠んだ歌は100首程度だが、平安時代の『古今和歌集』ではその数が逆転する。また「花」といえば桜を意味するようになるのもこの頃からである。
『日本後紀』によると、嵯峨天皇が812年(弘仁3年)に神泉苑にて「花宴の説」を催した。これが記録に残る最初の桜の花見だとの説がある。831年(天長8年)から場所は宮中に移り、天皇主催の定例行事として取り入れられていった。その様子は『源氏物語』「花宴」に描かれる。『源氏物語』には藤を鑑賞する宴会についての記述もあるが、この頃には「花」はほぼ桜と同義に使われるようになっていたためか桜以外の花を観賞する宴が花見、花宴といわれることはない。
吉田兼好の『徒然草』には貴族風の花見とそうでない田舎ぶりの花見の違いが説かれており、室町初期には地方の武士階級にも花見の宴は行われていたことが伺える。
織豊期には野外に出て花見をしたことが、絵画資料から確認される。この時期のもっとも大規模な花見は豊臣秀吉の醍醐の花見である。
花見の風習が広く庶民に広まっていったのは江戸時代、徳川吉宗が江戸の各地に桜を植えさせ、花見を奨励してからだといわれている。江戸で著名な花見の名所には愛宕山などがある。この時期の花見を題材にした落語としては『長屋の花見』や『あたま山』がある。
花見の歴史、とてもおもしろいですね。
勉強になりました。ありがとうございます。
桜が満開になるまでもう少しでしょうか。歴史を噛み締めて、改めてお花見をしたいと思います。
桜交流会、私も参加させていただきました。今年はとても暖かく、気持ちよかったです。
お花見の起源はまったく知りませんでしたが、日本の文化はお花見一つとっても、様々な歴史があるのを学びました。
また、美しいものを素直に美しいと思える日本人の感性は素敵だと思いました。
桜交流会という場を作って下さって、ありがとうございました。新年度が始まりましたが、これからもよろしくお願い致します。