本物の人物になるために

これは、しがく新聞6月号のコラムです。

■リード
先月号のコラムでは「本物とは口コミで広まるもの」というタイトルで、「本物が本物を呼ぶ」という、本物と口コミの関係について書かせていただいた。思った以上に多くの方から反響をいただいた。「本物」というキーワードがこれからの時代のテーマになってくるであろう。今回は、私が目指す本物像に関して少し触れていこうと思う。

■本文
最近こういう質問を受けた。「室舘さんが考える本物の人物とはどういう人ですか?」私が考える本物の人物とは、「自分の身を削ってでも世の中に貢献する人物」である。歴史上の人物でいえば、楠木正成、後藤新平、渋沢栄一などの名前があがる。現代にも、数多くの本物の人物がいる。コラムで何度かご紹介した私の父も本物の人物であると自負している。反対に本物の人物とは言えないのは、「今だけ・自分だけ・お金だけ」の人だ。政治家、財界人を見る時「日の丸が似合うかどうか」で判断するのが私流の本物の見極め方だ。日の丸が似合わない人は、どこか国益を軽視し、自分の立場や商売に重きを置きすぎている感がある。こういう人間の言うことは、あまり感動もしないし、参考にしない。
どうやったら本物になれるのか。一つの考え方は「専門性」を持つことだ。特に若者に言いたいのが、何かのジャンルでナンバーワンになれということだ。「これだけは絶対に負けない」という自分独自の強みを見つけ、それを人並み以上に磨き抜くのだ。それが、社会のためになっていれば、世間はあなたのことを「本物の人物」と評価してくれることだろう。
さて、皆さんには暇な時間があるだろうか。私にはほとんど存在しないことに最近気づいた。私の手帳には、スケジュールだけではなく、小さな目標から大きな志までが記してある。これらを達成するためには自分の器を広げる必要がある。人間学やリーダーシップ、政治、歴史、国際情勢、地政学や軍事学など幅広く学び、伝統文化に触れ、時代の流れを読み、世間のニーズを研究する。体のケアも大切な仕事だ。もちろん様々な方との懇親の場も貴重である。暇な時間などない。時間が空いたら考えることや読む本、社員からのレポートが常にあることは、私にとっては幸せなことである。そこに日々成長している実感がある。

参考にしている本物と言われる方々には共通点がある。それは、その道を極める段階で、自分の持っている時間・お金・体力を全てその一点に投下していることだ。その時期は、人付き合いは悪く、飲み会などには行かない。家庭も顧みず家族も呆れ果てる。世間の流行には疎くなる。本物になっていく人は、その割り切りと、決意がある。「今の時期は一般的な人の生活はあきらめよう」「自分には今やらねばならぬことがある」「今はこれを極めるのだ」そう言い聞かせ、納得して人生を歩いて行く。ここに喜びを見出すのだ。テレビや本で取り上げられるような人は人知れずそういう時間を過ごしていることは容易に想像がつく。これからの時代は本物の時代である。この時代を生き抜く若者に言いたい。人に負けない専門性を持て。覚悟を決め、勇気を持って没頭するのだ。
最後に我々の目指すところは何かをお伝えしたい。それは世間から「リーダーシップを学ぶなら九段下へ行け」と言われることである。そのためには、リーダーシップについて徹底した研究や訓練が必要であろう。ここで学んだ方々が実社会で活躍することで、いつの日か必ず「本物の環境だ」と評価される日が訪れるだろう。

コラム表紙


本物の人物になるために」への1件のフィードバック

  1. 先日の塾でも取り上げられていた「本物」というテーマのコラムでしたので、今まで以上に考え深いものになりました。
    先日代議士の小池百合子さんにお会いし、お話しする機会があったのですが、やはり日の丸の似合う女性でした。

    日本の国益になることは何なのか、それをしっかり考えているからこそ風格及び発言一つ一つが凛としていました。
    今度都議選があり、そして参院選がありますが、その際にも顔は履歴書といいますが、何を言うかではなくどの様な面構えの人間の言葉なのかをしっかりと見た上で判断したいと思います。

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