八重山日報に掲載されました

八重山日報への寄稿が掲載されました。

掲載日前後の沖縄では、沖縄県知事選、名護市長選、衆議院選など、大きな動きがありました。

それぞれの投票率が過去最低クラスだったそうです。
投票率が低ければ、組織票が大きく影響をしてきます。

中国共産党が「沖縄は自分たちのもの」だと言っています。
中国共産党の協力者によって、その野望が着々と進んでいるのでないだろうか。

日本全体として沖縄を考えていかなければならない。
日本人は沖縄を死守しなければならない。
大切なのは「絶対に渡さないという」本気の意志力です。

皆で沖縄に心を寄せていきましょう!

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11月25日版:
『沖縄が日本であり続けるために』
東京都民の幸せも、沖縄県民の幸せも、日本国民の幸せも基本は同じだと思います。まずは生命と財産が守られている事です。
第二次大戦後ほとんどの国々が侵略を止めましたが、中国は軍事力の弱い国を見つけては、領土や資源を略奪しています。この事実は世界中に広がっているので、各国は警戒しています。
戦時中も中国国内では、中国人同士の略奪が横行したようです。弱者から食べ物や金目の物を奪うのです。官僚や軍人といった権力者がその筆頭でした。
中国大陸の歴史を振り返ると、権力者が変わる度に、新しい国家に不都合なものは全て排除してきました。書物を焼き、元権力者の一族を追いやり、あまつさえ皆殺しという残虐な事をおこなってきました。先の大戦後には中国国民党を中国共産党が台湾に追いやり、現在の中国大陸の支配者となっていったのです。中国はいつの時代も強いものが弱いものを虐げるという歴史なのです。

そんな中国がいま「沖縄は中国のものだ。数年後に中国になる」と本気で言っています。ご存じだと思いますが、沖縄近海のエネルギー資源を求め、沖縄への影響力を高めるために言っているのです。そして欲しい物を手に入れるために、中国は長年かけて日本人の協力者を作ったようです。協力者達が頑張り沖縄が中国のものになってしまったら、子供の世代、孫の世代は大変不幸です。
チベット人は中国を信じて手を組みましたがすぐに裏切られ、百二十万人が中国人民解放軍に殺されました。二十万人の僧侶も殺されました。そして、それを国際世論が問い詰めると内政干渉だと言ってしまう始末です。
沖縄が中国と一緒になってしまうと、沖縄県民の生命と財産が危ぶまれるのです。中国と手をつないでも幸せになるのは中国共産党の幹部と一部の人間だけではないでしょうか。人口十三億人に対して選挙権をもっているのは中国共産党員だけであり、その数は人口の一割にも満たない数です。他の九割の人は、ただただ決まったことに従うだけなのが中国なのです。
生活が保障されるかも分かりません。資源も一部の人間だけに吸い取られます。もちろん政治にも参加できず、状況を変える手立ても残されていないのです。
中国が必死になって進めようとしている沖縄独立。それは独立後に中国と融和させようとするシナリオの始まりであり、沖縄にとっては不幸の始まりなのです。
沖縄をそんな国と一緒にしてはなりません。沖縄県民の幸せとは、沖縄が日本であり続ける事です。その為に、今後の日本を背負って立つ若者は、中国サイドの手口を良く勉強し、中国に対抗できる仲間を一人ずつ増やしていかなければなりません。そして、この動きは沖縄県民だけでなく、日本中に広げていかなければならないのです。

12月2日版:
『天皇陛下とやさしい日本人』
日本人はいつの時代もフェアでやさしかったのです。台湾・朝鮮・満州と、日本が統治していた土地では、インフラが整備され、それまで考えられなかった近代的な都市に発展しました。それは日本人が現地人を支配し、その土地から利益を略奪するための、いわゆる植民地にしなかったからです。その土地の人がより近代的で幸せな暮らしができるようにと、日本人が現地人の為を思って命をかけて統治をしたのです。
それは先の大戦中でも変わりませんでした。戦地になった中国では中国人が同じ中国人から略奪を行って国民が困っていました。その時に、日の丸が掲げられている日本人居留地に平穏を求める中国人がたくさん集まってきたというのです。そして戦後、日本は負けたにも関わらず、日本の復興の為だけに頑張るのではなく、アジアの為に更に命をかけて戦った人達がいました。欧米列強の植民地支配からアジアを解放するために大戦に臨み、負けた後にもその志をもって東南アジアを中心に戦ったのです。例えば、インドネシアでは独立を果たすために現地に残って、国を背負う青年育成、インドネシア軍の養成を行った日本人がいました。
日本人は何故それほどまでにやさしい民族になったのでしょうか。天皇陛下は現在の国際社会で唯一、皇帝の称号を持っています。世界の君主国二十八カ国の中で、名字が無いのは日本の天皇陛下だけです。正式にはこのようには記述しませんが例として、明仁天皇陛下、美智子妃殿下、徳仁皇太子殿下、雅子妃殿下です。なぜなら日本という国が古くから変わっておらず、皇室が万世一系で続いているからです。日本は権威と権力を分けて国をまとめてきました。そして、昔から国の象徴として天皇は尊敬をされてきたのです。
東京大空襲の時も「長野県に避難しましょう」と側近に言われた昭和天皇は「東京に一人でも国民がいるうちは、私は一歩も東京から出ない」とお答えになりました。例え日本中に戦火が広がり「国外に避難しましょう」と提言されても、同様に「日本に一人でも国民がいるうちは、一歩も日本から出ない」とおっしゃったと私は思います。戦後、昭和天皇が皇室財産(宝物や有価証券など)を持参して米国のマッカーサー元帥を訪れたとき「私の命はどうなってもかまわないから、これで国民にご飯を食べさせてやってくれんか」とおっしゃっていました。これは昭和天皇だけではなく、皇室が脈々と受け継いできた精神なのです。
このような国家元首の全国民の幸せ、ひいては全世界の幸せを思う精神が日本国民にも伝播していき、日本人がフェアでやさしくなっていったのでしょう。
そして今上陛下は「日本人が忘れてはならない日」ということで四つの日を挙げられています。昭和二十年八月十五日終戦の日、広島、長崎に原爆が投下された八月六日と八月九日。そして、沖縄戦終結の六月二十三日。沖縄に特別な想いを寄せられ「沖縄はいろいろな問題で苦労が多いことと察しています。その苦労があるだけに、日本全体の人が皆で沖縄の人々の苦労している面を考えていくということが大事ではないかと思っています。地上戦であれだけ大勢の人々が亡くなったことは、ほかの地域ではないわけです」とお言葉を残されています。だからこそ今上陛下は皇太子の時を含め十度も沖縄を訪問されているのです。
私達日本人は陛下のお言葉に耳を傾け、沖縄に想いを寄せるべきなのです。


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