第15回しがくセミナー

本日は第15回しがくセミナー の日です。今回は私も以前から楽しみにしていたペマ・ギャルポ先生の講演会です。

ペマ先生は、、ダライ・ラマ法王アジア・太平洋地区担当初代代表への就任をはじめ、チベット文化研究所 所長・岐阜女子大学 教授・拓殖大学 客員教授、モンゴル国立大学、岐阜女子大学南アジア研究センター 長など国内外の教育及び福祉関係機関の顧問を務め、精力的にご活躍されています。

ペマ先生は本を何冊も執筆されていらっしゃいます。

日本国破産のシナリオ

日本国破産のシナリオ 破滅から黎明へ-光は極東の日本から

悪の戦争論 ?
悪の戦争論

他にも多数著作がございますので、内容はそれらを参考にしていただきたいと思いますが、

簡単に言えば『国も個人も、自分で自分を律することができなければ、他人から律せられる』というもの。チベットからインドへの亡命した時の話は現実とは思えないほどの迫力がありました。

ペマ先生は自分の名を後世に残したいという想いがあるそうです。以前、まだ50代で人生経験は少ないと仰っていました。30代の私はペマ先生から見たらまだまだ経験不足の若造にすぎないと思いますので、若造は若造らしく失敗を恐れず様々なものごとにチャレンジし経験値をつんでいきます。そうでも思わなければペマ先生の様な方には50代になっても追いつかないと思います。

講演会の翌日、先生から直接電話で、「話甲斐のある若者だった」と言われ、大変うれしく感じました。

また、アジア伝統文化交流会(仮称)という、アジア音楽の交流会を立ち上げるそうで、それを中心でやってくれないかという要請もありました。ペマ先生の考えでは大きすぎるイベントは花火のように一回で終わる可能性高いので、小さく始めてコツコツと大きなイベントにしていきたいそうです。

ピースソングと共に、アジアの文化交流を深めるためにできる限り応援し、やっていきたいと思います。 このブログをご覧の方々も是非ご協力をお願いします。

ペマ先生を始め、参加された方々、お手伝いしてくれた方々、皆様ありがとうございました。
しがくセミナー


日本タンザニア友好協会発会式にて

前日からインペリアルスウィートに宿泊し、午前中もスタッフと部屋を満喫し、その後、午後3時から、世田谷にある日本タンザニア協会において日本タンザニア友好協会発会式に招待されました。

タンザニア看板 タンザニア大使館

招待してくださったのは、日本タンザニア友好協会の理事長であります大槻明子様と、専務理事であります中谷靖様です。

普通なら協会の運営を手伝っていないと招待はしてくださらないと思うのですが、普段から接点を持たせてくださっています関係で招待してくださったのではないでしょうか。

こちらの会では、相馬雪香先生や園田天光光先生も関係していらっしゃいますので、招待された私としましては身に余る光栄でした。

またタンザニア元大統領夫人や駐日タンザニア大使のE.E.E.ムタンゴ大使などもいらっしゃいましたが、目玉はなんといっても民間の友好協会では皇室の方がいらっしゃることは滅多にない中で、高円宮妃殿下がいらっしゃったことです。タンザニアの方々も驚いたそうで、国を挙げてお迎えしなくてはならないと、協会をリフォームしたそうです。そんな方をお迎えできる日本タンザニア友好協会の凄さに鳥肌が立ちました。

タンザニア

私は一番前に座らせてもらい、高円宮妃殿下が3メートルほど前に座っていらっしゃいました。他にも、JTの役員の方や鴻池組の会長がいらっしゃたりと重鎮が顔を揃えていました。初めての経験でしたので、いい緊張感で会に参加できました。 生演奏を聞いたり、タンザニアの報告を聞いたり、いろんな人の話に耳を傾けたりしましたが、会場にいらっしゃる方々のお陰で、すがすがしい気持ちになりました。

鉛筆の贈呈のなかに「2006年度 櫻華塾から」というものがありました。こちらは、当社のメンバーさんがお世話になっている「櫻華塾」のことだと後から聞きました。相変わらず、サプライズで凄いことをやってくださる方だと思い、感謝の気持ちでいっぱいです。

だからというわけではありませんが、私もタンザニアのために自分が何ができるかと考え、これからも意味があり、価値の高い会にするために微力ながら応援させていただこうと思いました。これを見ている人で、タンザニアにボランティアなどで興味ある人は、ぜひご連絡ください。

大槻理事長はタンザニアに幼稚園(さくら幼稚園)を寄付されたり、高円宮妃殿下原作の「夢の国のちびっこバク」を外国語に訳して、各国に贈呈したりと世界規模のボランティアを展開しております。しかし、元々はご子息や近所の子供たちに本を読み聞かせするところからスタートした方です。草の根運動に関しては右に出る者がいないのではないでしょうか。

そして、人がついてくる理由は、先ほど書きました他人のためになるサプライズが得意だからでしょう。見習う点はとても多いです。これからもよろしくお願い致します。

余談ですが、元大統領夫人と大使、スワヒリ語の第一人者である宇野みどりさん達が話している中でマジックをやらせていただきました。ハートのエースを選んでもらい、それがタンザニアの国旗に変わるという大変シンプルなものでしたが、大変驚いていただき、握手も求められ光栄でした。 トルコ、ロシア、イランと大使館などでのマジックは4回目。このまま何カ国いけるかわかりませんが、挑戦します。目指すは191カ国?(笑)

関係者の皆様、誠にありがとうございました。


ヒルトン東京ベイのインペリアルスウィートルーム

本日はヒルトン東京ベイのインペリアルスウィートについて書こうと思います。

去る1月22日にヒルトン東京ベイ にて『アジア青少年支援チャリティー2006 New Year’s Party

~未来のアジアに架ける橋~』を盛大に開催いたしました。

弊社のホームページ にもアップされていますが、800名というたくさんの方に集まって頂きました。参加された方々、関係者の方々、誠にありがとうございました。

こうした800名規模のパーティーは、さすがのヒルトン東京ベイでも年に数回だそうです。そのため2年前と同様に、幻の1111号室に我々を招待して下さいました。

この部屋はインペリアルスウィートルームと呼ばれていて、聞いた話では某自動車メーカーの関連会社の社長が、借りようとしたが断られてしまったというエピソードがあるほどです。

外国からのVIPに泊まってもらうような部屋で、芸能人だと浜崎あゆみさんなど、ごく限られた人しか泊まっていない部屋だと聞かされ、身に余る光栄であると感じました。

インペリアルスウィート ??

どんな部屋かは写真から想像いただければと思いますが、ベッドルームやゲストルームなどを合わせると、代々木の本社オフィスより広く感じました。

入れ替わり立ち代り、いろんな人を招待しましたが、写真を撮ったり、ワインを飲んだりしながらも、スタッフとは将来を語りあうこともでき、非常にいい時間をすごせました。

来た人達みんなが感動していたのは、窓から見える景色。昼間は日の光で輝く海。

海

夜はネオンで輝く東京の夜景。

海夜

とても素晴らしい景色に酔いしれながらも、他の人にも見せてあげたいと言っている人がほとんどでした。

午後3時のチェックインから夜中まで、飲んだり話したりで気づいたら夜中になっていて、さすがの私も死んだように寝てしまいました。

続きは明日のブログをご覧ください。


野村コンファンレンスプラザにて会議

4月13日

本日は有限会社ベスト の年度の中間会議をおこないました。

これは、年に4回開催する会議で、当社の幹部が丸々2日間という時間を空けて臨んでおります。その中で、この3ヶ月間の反省、これから3ヶ月間の展望や抱負を語り、それだけでは留まらず、5年後、10年後の会社のビジョンにまで話は及び、全員で目標達成に向かう姿勢も出来上がります。ですから幹部の貴重な時間を使うだけの理由があります。

私がこうした重要な会議でこだわっていることが一つあります。それは会議の場所選びです。こうした重要な会議の場合、可能であれば2日間、都心部から離れ、温泉にでも入れる場所でやりたいのが本音です。リラックスした環境での集中力というのは、自分の気持ちではどうしようもなく、雰囲気の力を使うことに頼っています。

ただ毎回という訳にもいきません。今回は丸2日間かけて、新宿野村ビルの野村コンファンレンスプラザ の会議室で行いました。10数名は入れる会議室でした。

しかし、会議が始まったときは、スモッグがかかり、風景を楽しむことはできませんでしたが、少し時間が経つと日頃の行いがよかったせいか、スモッグは晴れ東京の素晴らしい風景が目の前に現れました。

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朝早くから集まった若手幹部達でしたが、普段とは違う場所での会議に驚きながらも表情は生き生きし、更なる集中力を感じました。やはり2日間の会議が終わってみて、思うのは、この場所で行ったのが正解だったということです。

会議中は集中して、仕事を見つめ、会社を見つめます。休憩時間にはビルの外に広がる景色を眺め、遠くまで見つめることで広い心を思い出し、広い視野で話し合いを進めることができるようになります。たかが会議かもしれませんが、開催する場所の大切さをつくつぐ感じた2日間でした。

今までの人生を振り返ってみても、何か特別な決め事をする時は、いつも使っているデスクではなく、場所を変えていました。特に年末年始などの節目では、一年を振り返ったり、新しい年のことを考える際に、東京タワーに上ってみたり、海を眺めてみたりと、いつも行かないような場所にこだわることもありましたし、新しいノートを買うということも年末年始の行事の一つになっております。

その程度の気持ちの切り替えでいいアイデアが浮かぶものです。会議に参加した皆さん、2日間 お疲れ様でした。

幹部共々、よりよいサービスを提供していきますので、今後ともよろしくお願い申し上げます!


ゴルフのススメ

4月4日

今日はゴルフについて書こうと思います。

ゴルフとの最初の出会いは小学生の頃でした。父親がテレビで見ていたのを、私も一緒に見ていました。
その頃よく登場していたのは、確かジャック・ニクラウス、セベ・バレステロス、アーノルド・パーマー
だったと思います。日本人で活躍していたのはジャンボ尾崎、中島常幸、青木功でした。

当時はゴルフを見て、「歩いてばかりいて、こんなのスポーツじゃない。」と思っていました。
自分がやることになるとは全く思っていませんでした。

ゴルフは一般的にはカートでコースを回るのですが、プロの大会は全て歩いて回ります。

一日約10kmを歩き、それを4日連続で、様々なプレッシャーの中で行うというのは、ものすごいことです。
実際それはゴルフをやってみてわかったことです。

ゲームではファミリーコンピュータでやったの覚えています。(確か、水色のカセットでした。)
シンプルながらもとてもおもしろく、好きなゲームソフトのうちの一つでした。
今は「みんなのゴルフ」がゴルフゲームでは人気なのでしょうか。
機会があればやってみたいと思っています。

時は流れ、20歳の誕生日に上司から3番ウッド(スプーン)をプレゼントされました。そして、そのままゴルフ練習場へ。これが私のゴルフデビューでした。
ところが、その時はなかなかイメージ通りいかず、あまりにもうまくいかないので、「生涯やることはないな」と思っていました。

その後、予想通りさっぱり行かなくなったのですが、今から5年ほど前くらいだったと思いますが、山梨県中央都留カントリー でコースデビューしました。重い気分で行きましたが、今でも忘れもしない148というスコアをたたき出しました。

ドライバーは飛ばない、アイアンはダフったり、トップ(上を叩いてしまう)だったり、アプローチは寄らない、パットも入らないと散々な状態でした。

スコアブックもひどいもので、パーなどはもっての外で、ダブルボギー、トリプルボギーで収まれば名前があるだけうれしかっ た記憶があります。

その後スコアも146、136、132という感じでだんだん縮まっていきました。
一生やらないと思っていたのですが、結局当時は月一回くらいコースへ行っていました。

なかなかスコアが縮まらないので、本やビデオを買ってはみたものの、途中で飽きてしまったり、「本当にこれでいいのか」と悩んだりとあまり役には立ちませんでした。

転機だったのは、たまたま新宿伊勢丹で「ゴルフレッスン8回コース32,000円のところが10000円!」とう福袋があり、あまり考えず安いという理由だけで参加したことです。パターからドライバショットまで一通り教えて頂きました。

座学で15分、実技が45分。そうして少しずつ先生に見てもらったのが功を奏して、スクールへ通った後、すぐに110が出て、そしてついに100を切りました。スクールのおかげで今の基礎はできました。感謝いたしております。

そして、箱根くらかけゴルフ場 で奇跡がおこります。なんと「92」という、素晴らしいスコアがでたのです!ようやく100を切った当時の私には奇跡的なスコアでした。

くらかけ

しかし、その日は小雨でカッパを着ていて、霧もひどく、やっと5メートル先が見えるか見えないかくらいのかなりの悪条件でした。

何故そのような状況で素晴らしいスコアが出たのかと申しますと、ポイントはいくつかありました。

元々「飛ばしたい」という思いが強く、よくクラブを振り回していたのですが、その日はカッパを着ていたため、コンパクトに振らざる得ない状況でした。

さらに霧ということで球を目で追っても見えません。そのため、ヘッドアップ(打った瞬間に顔を上げてしまう、あまり良いとは言われない動き)することもなく打つことができました。

そういう状況が重なり、ほとんどのショットが真っ直ぐ飛び、また、すごい追い風のおかげで、推定飛距離300ヤードが出たとキャディーさんに言われました。正に風の力です。

92を出した後は100台~90台を行ったり来たりしていました。

先日ゴルフに行った坂巻社長(保険の関係でお世話になっている)は80台前半のスコアを出すような方です。その坂巻社長に、「アプローチとパターの練習をたくさんやりなさい。」とアドバイスを頂きました。

常にそれを意識して練習し続けていましたが、先々週「86」というキャリアハイのスコアを出しました。
キャリアハイを出してみて、つくづくアプローチとパターが重要だということに気づきました。
坂巻社長には本当に感謝しています。

それで少し調子に乗ってしまった訳ではないのですが、その後100を超えるスコアも出してしまいました。
コンスタントにいいスコアを出し続けるのは何のスポーツでも同じだとは思いますが難しいものです。

そして今年の目標は、まぐれでもいいので一度、「79」で回ることをやってみたいと密かに考えています。

その夢の70台を出すため、月平均2回ペースで神宮外苑ゴルフ場、林プロにレッスンを受けています。
林プロとは一緒にコースを回ることもありますが、不動産会社の社長や、民主党の鈴木寛さん の奥様を紹介して頂いたりと、プライベートの場面でも林プロを通して、さまざまな交流や出会いがあり、充実しています。

私の知り合いの経営者や、孫正義社長を筆頭に、雑誌に登場するような経営者もゴルフ好きが多いようです。

先日海外に行った時も、ゴルフに誘われたこともあり、仕事上でも役に立つことがあるかもしれませんので、若い人も一度やって みてもいいのではないでしょうか。

特に都会でハードな仕事をしている人にとっては、たまにコースに出て、芝生や木々に囲まれ、見ているだけでも癒されます。

「ゴルフは高い」というイメージもあるかもしれませんが、最近は料金も安くなってきて、若い人でも十分参加できます。

クラブセットは中古の物も街に溢れていて、1万円もあれば揃えることができます。

コースも、土日に高速道路で1時間かけて都心を離れれば、1万円でできるところはたくさんあります。
平日に至っては、オフシーズン(冬か夏)は食事つきで、なんと5,000円というところもあります。
ハイシーズン(春、秋)でも食事つきで7,000円前後です。一人約1万円で1日中遊べ、会話もはずみ、おすすめです。

クラブ ?

そしてゴルフの後にお風呂に入ったり、ビールを飲むのは最高です。

もちろん高いところは今でもありますが、安くやろうと思えば安いところも実はあります。ゴルフに対する敷居が高いと思っていた方は驚かれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

安くてオススメのゴルフ場
上里ゴルフ場 http://www.river-golf.com/body/k_body.htm
越谷カントリークラブ  http://www.golfdigest.co.jp/gstart/reserve/calendar/plan_calendar_343401.asp


朝、骨董市へ

4月2日

本日は、朝から家族3人で新井薬師に行ってきました。
お目当ては桜と、骨董市。

私は家内の誘いで、3年程前から、都心部で開催される骨董市に付き合わされることになりました。

私は兼業農家の生まれということもあり、子供の頃から商売に携わっていますので、集まっている人、値段、売る人、売り方、商品の並べ方など色々興味深く観察します。何らかの特徴のある店が多く、行くだけで勉強になります。

ただ、一番の楽しみは珍しいものを発見することです。10円くらいのガラクタみたいなものから30万円くらいのすごい値打ちのあるものまで様々陳列されており、最近では私の趣味と一つとなっています。

一言で骨董といっても、色々な種類があるのですが、その中でも特に興味があるのは、古い鍵と蕎麦猪口です。

今日は残念ながらいい出会いはなく、何も買いませんでしたが、手にとって見ることができただけで満足できた商品もいくつかあり、普段矢野先生 から教わっている感性を磨くことができたような気がします。

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蕎麦猪口は新宿3丁目にある、行き着けの店、ファンデリ (私の中ではロールキャベツは世界一うまい)に置いてあります。その蕎麦猪口で焼酎を飲むが楽しみのひとつです。

同じお酒でも、器が違うだけで満足度が変わる事が度々あります。そこには職人の想いが込められているからでしょうか。

最近手作りのおにぎりを食べて感動した経験があります。機械では作り出せない何かがあるのでしょうか。同じ量、同じ大きさで大量生産する為には機械は欠かせません。そのお陰で社会は発展してきたことも事実です。

しかし、職人の思いのこもった作品にはかなわない部分があると思います。日本人として、そういった感性を磨いていきたいものです。そして、それこそが私が伝えていきたいものでもあります。

蕎麦猪口(ちなみに大した値打ちはありません)

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環境アーティスト サイヒロコさん

3月29日

本日は、東京日本ロシア協会 の仲間とのお茶会がありました。

私は、東京日本ロシア協会の理事を務めていますが、今回のお茶会には常任理事長でありますサイヒロコさんもいらっしゃいました。

サイヒロコさんは、国際的に活躍している芸術家で、東京湾アクアラインにある「海ほたる 」のイメージオブジェ、愛知万博での「心の環境」のためのモニュメン ト、アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP) に永久展示されている作品など、スケールの大きい作品を次々と発表しています。

詳しくはホームページを参照ください。
http://www.saihiroko.net/

日本という国は外国と比べて、芸術家に対しての評価が低いという現実がございます。ここだけの話、芸術家というだけで、某デパートではカードすら作ることができないそうです。外国の方が聞いたら耳を疑うことでしょう。

特に、ロシアという国は芸術家の評価はかなり高く、会社を軌道に乗せている経営者よりも芸術家を尊敬するお国柄です。確かに、ロシアはバレエやシンクロナイズドスイミング、フィギアスケートなど芸術的な分野が世界的に有名なことは周知の事実でしょう。

日本とロシアの交流に関して、サイヒロコさんを中心に様々な意見が飛び出しました。その中で、サイヒロコさんの作品の展覧会をロシアで開催できないかという話になりました。

なぜそのような話になったかと申しますと、最近、中国でサイヒロコさんの展覧会を開催することが決まったのですが、何度も話し合いの場を持ったわけでもなく開催を決定したそうです。

主催は新華社です。どのような機関かと申しますと、日本でいう外務省と財務省を足したような 機関になります。そのような機関が主催ですので、どのくらいの規模かはだいたい想像がつくのではないでしょうか。

そして、中国の熱の入れようがわかるのは、毎週中国の議員の席に置いてある雑誌に、なんとサイヒロコさんの広告が出ているのです。

(本を撮ったのですが、少し上に写っているのがサイヒロコさんです。)

サイヒロコさん

また、予算が数億円かかるということですが、新華社のビルの上にある、長さ100メートルの看板が使えるということで、日本の企業にしてみれば大変な広告価値があります。

そのような、とても大きな規模の展覧会ですが、私にも手伝ってもらえないかというお話をいただき、大変光栄でした。協力できる部分は、精一杯協力させて頂きたいと思います。

また大きな展覧会にもかかわらず、サイヒロコさんと新華社の決定のスピード には驚かされました。仕事ができる人は短い時間で決断するというお話をよく聞きますが、今回はまざまざと見せつけられました。それと同時に、素晴らしい方と仕事をさせていただいていることに喜びを感じました。東京日本ロシア協会に誘っていただいた方々に感謝いたします。

もちろん、折を見てメンバーさんにも紹介しようと思います。一度、しがくセミナー は見ていただいていますし、東京日本ロシア協会に手伝いに行っている佐藤さん、渡辺さんというメンバーさんとも会っていますので、話は早いと思います。皆様、楽しみにお待ちください。

さて、環境アーティストとして世界中を駆け巡っているサイヒロコさんですが、今後やりたいことの一つとして「ボディーミュージアム」の話をしていただきました。何かと申しますと、体の模型に入って行き、遊びながら体のことが楽しく理解できるというものです。体のことが理解できると、自分のことがわかり、自分のことがわかれば、他人にもやさしくなれるというコンセプトです。

さらに、畏れ多くもこんな話をしてみました。

「弊社には約800名の若い会員様がいらっしゃいます。向上心のある若者が多いので、中にはサイさんのアシスタントをやりたい方がいらっしゃるかもしれません。もし、そのような会員様がいらっしゃったらサイさんの事務所のサポートをさせていただけませんでしょうか?」

さすがに迷惑な話かと思いましたが、ここも素早い判断で「ぜひ一緒にやっていきましょう」
という返事をいただきました。これもまた光栄なことです。

これは凄いチャンスだと思います。興味のあるか方、話を聞いてみたい方は是非メール をください。

私達もぜひ応援したいと思います。