イスラエル国護りツアー その4

イスラエル独立宣言ホール

ここは1948年に独立宣言が発表された実際の場所。

そのままの姿だ。

独立宣言は混乱やトラブル、妨害を予測して、極秘に進められたそうだ。

皆で座り、当時の音声を聞いた。

ここから始まったんだなぁと皆感心。

写真は、100年前のイスラエル。

本当に砂漠だらけ。

よくもまぁここに住もうと思ったものだ。

映像などもあり、国を創っている意識の高さを想像して楽しんだ。

『国旗はどんなのがいいかなぁ?国歌はどうしようか?
言葉は、ヘブライ語を復活して我々の言葉にしようよ。』

なんてワクワクしながら話していたんでしょうね。


第5回 室舘塾

9月23日

会場は、気合の入った空気で満ち溢れ、私も数秒でボルテージが上がった。

今日は、対人能力に関して。

来賓を控え室まで案内するシミュレーションを体験してもらい、その後意見が飛び交った。

『カバンをお持ちしましょうか?』

と言う一言が出ない。

『あ、良いですよ。』 『では行きましょう!』

では甘い。

出来れば

『いえいえ、持ちますよ』のもう一言が欲しい。

日本人は、一度は遠慮するのが常識ですから。

細かなこだわりを披露。

こだわり一つで、不安にさせない事が出来る。

様々な方面に応用が利く話をしました。

最後にイスラエルの小話と、土産代わりにイスラエルのコインを皆さんにプレゼント。

珍しいものだった為か、皆喜んでいたようでした。

皆さん、お疲れ様でした。


イスラエル国護りツアー  その3

言いだしたのは 『ヘルツェル』

イスラエルは西暦73年に国を失った。

ヘルツェルが

『国をもう一度持とう!』

『念じればそれはすでに神話ではない。』


という強い意志の下、周りは巻き込まれていく。

ヘルツェル無しでは、イスラエル建国はありえない。
強い意志が現実になると言う事を深く感じた。

イスラエル建国のスタートは1893年頃。

その頃、ロスチャイルドもお金を出す事になる。

イスラエルは、他人の土地を奪ったのではなく、市価の3倍の値段で買った。

しかも、それは砂漠や沼地であった。


1906年最初の入植者がやってきたところが『テル・ハイ』という場所であった。

リーダーは、トゥルンペルドール。

日露戦争での負傷で、片腕の兵士だ。

彼は、

『片腕だが、自分の民族の国を持ちたい!自分が協力できる事なら何でもやりたい。
自分は鉄の固まりだ!必要ならネジになる。ボルトにでもなる。機械にでもなる。
警官もやる、兵隊にもなる、農業、建築、何でもやってやる!!!』

すごすぎて震えた。

1920年その『テル・ハイ』が武装したアラブ人に攻撃される。

ユダヤ人は、あまり戦う民族ではない。どちらかと言えば、すぐ逃げたり降参するほうらしい。(意外だ)

ところが、その数名のテル・ハイを開拓するユダヤ人は、なんと戦ったのだ!

逃げずに、『国を創るんだ!逃げないぞ!護るんだ!』と。

トゥルンペルドールは弾薬が尽きるまで、最後まで戦った。

8人が死んだ。

トゥルンペルドールは最後、医者に向かって

『国の為に死ぬ事は、良い事です。』 

と言って息を引き取った。

祖国を護るために、最後まで戦い抜く現代ユダヤ人の『精神と勇敢さ』のシンボルとなった。

後の独立戦争の不屈の精神は、このテル・ハイ精神に鼓舞されたからだと言われている。


イスラエル国護りツアー その2

9月4日

①土地は敵から奪ったのか?

②砂漠なのにどうやって開拓したのか?

③ユダヤ人は帰ってくるのか?

④どんなリーダーが存在し、国を創ったのか?

⑤若者で手本となった人はいたのか?

⑥現在の代表的な観光地や街は?

⑦イスラエル人ってどうか?

⑧危ない国なのか?

⑨現状の問題点は?

などなど、TVの情報と、聞いた話と実際に目で見たもののギャップに驚く事になる。


イスラエルへの旅

9月3日

7日間イスラエルに行く事になりました。

テーマ『イスラエルから国護りを学ぶツアー』

危ない国なのだろうか?テロは頻繁に起こるのだろうか?
暗い空気なのか、怖いのか?

様々な人から今回のツアーに関して心配されました。

行かないほうが良いんじゃない?と。

でも、私は前回のしがくセミナーで倉田宝郎先生から
イスラエルについて聞いてから、絶対に一度行って見る!と思っていた。

西暦73年に国を失ったユダヤ人。

いかにして1900年ぶりに国を創り、それを護ってきたのかを学ぶことは、

今後の日本を創っていく上で大いに参考になるだろうとワクワクした。

倉田さんとうちの社員5人の6人で出発。

ウズベキスタンまで約8時間、タシケント空港着。

乗換えで、イスラエルまで約4時間、テルアビブのベングリオン空港着。

とうとう着いた。


1年半ぶりの帰省

8月27日

青森県むつ市はのんびりしていた。

父に日本酒を買って帰り、その晩は二人で一升飲んだ。

東京に出て、はや20年。

今は親子の会話と言うより東京の社長と、むつの社長の話という感じだ。

父は、私の話に大変興味があるらしく、いろいろ聞かれた。

私も、父の若い時の話や事業の立ち上げ、苦労話、嫌がらせ、横やりなどなど、

たくさん経験してきた話に夢中で耳を傾けていた。

今は、本当に幸せそうだった。

成功の定義はいろいろあるが、私は父を成功者だと思った。 

先ず、仕事が好きである。

魚や野菜、食品類をトラックに積んで、町から遠い民家(お得意様)をまわっていく。

買ってくれるお客さんがいる。後は良いものを仕入れる。

魚は長年の目利きと仲間からの情報で、良いものを安く仕入れる。

だから利益が多いのです。

野菜は家で採れたものを売る(母が作っている)。

売り上げは全部母へ。母はそれで趣味の『花』を買うそうだ。

米も自家製で作っているので、しっかり売れる。

利益が多い。

趣味の盆栽も成長し、中々上等なものがそろい、自慢である。

好きな巨人戦を観ながら酒を飲み、酒の肴は大間のマグロ(安く入る)や最高のイカ刺身、

地元の野菜を使った料理。

休みも好きなときに休みます。

私は、今まであまり父を分析しませんでしたが、今回の帰省では本当に強く感じました。

人の幸せは本当に多種多様であり、面白いんだなぁと感じました。


イムカ株式会社の武原社長

8月25日

イムカ株式会社の武原社長とお会いしました。

元社員の白根社長がセッティングをしてくれました。

感謝です。

武原社長は、国の未来を憂いていました。

お互い、人材関係の仕事なのですが

話の9割が戦争の話や戦後の日本の話。

いかに日本がピンチかと言うお話も、大変聞き応えがありあっという間の1時間でした。

私もせっかくなので、自分の戦後100年のビジョンの話や今やっている活動内容を話し、

大変共感していただきました。

また、お会いしてお話する事を約束し、オフィスを後にしました。


神道時事問題研究会500回記念講演会

8月21日

ホテルニューオオタニにて
神道時事問題研究会500回記念講演会が盛大に開催されました。

講演+パーティーでした。

記念講演の講師は千 玄室氏。
プロフィールはこちらをご覧下さい

千氏は特攻隊の生き残り。

仲間と『靖国で逢おう!!』と誓い合って、多くの共を亡くした一人。

皆で励ましあい、気持ちを高めあった話は全聴衆を魅了。

特に、仲間と川原へ叫んだ『お母さーん!!お母さーーーん!!』

と言うエピソードでは、すすり泣きがあちらこちらから聞こえてくる。

戦争体験者の生の声は、いつ聞いても心に響く。

皆様が守ろうと戦った。

亡くなられた人も生き延びた人もありがとうございました。

日本の為にありがとうございました。


永田町社稷会

朝8時。

パレスホテルにて、講師は上田きよし氏(埼玉県知事)。

毎度毎度、説得力のある話し振りに感心しました。


埼玉県で犯罪を減らしたいと考えたが、警察官を勝手に増やすことはできません。

一年で多くても300人程度しか増やせないそうです。

これでは治安はなかなかよくなりません。

でも知事はあきらめません。

新しい発想で、民間パトロール370人を4700人に増やしました。

犯罪は見事減少したのである。

さいたまスーパーアリーナは7億円の赤字でした。

サッポロビールより社長を派遣してもらったら、3億円の黒字になった。

やる人間で、埼玉県も、スーパーアリーナもよくなるのですね。


靖國神社参拝

8月15日

靖国神社参拝しました。

毎年1月3日は、450名ほどの大人数だが、
今日は一人。

初めてお昼12時に行きましたが、

本当にたくさんの方が参拝しておりました。

8月15日は、戦勝国側から見たら何の日でもありません。

天皇陛下が玉音放送でお話をされた日です。

私は感謝の気持ちを伝え、靖国神社をあとにしました。

一人静かな参拝でした。