第5回 室舘塾ユース

4月10日
東日本大震災に関して
・塾生の皆さんの報告
・情報の取り方
・メディアの特徴に関して(スポンサーに気を使う体質)
・放射能について
・南相馬市の体験談
参考資料
・稲田朋美先生(産経新聞)
・佐藤正久先生(産経新聞)
・放射能知識(週刊ポスト)
室舘勲のブログ
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質疑応答
・皇室に関して
・TPPに関して
・ボランティアに関して

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多岐にわたる質問でした。
ボランティアに関しては、自分でできることを見つけて是非がんばってほしい。
行ける人は、東北に行って見て下さい。
そして、東北の街でお金を使って来て下さい。
有り難うございました。


「道経塾」モラロジー研究所に載りました

3月1日
3月の話ですが、
道経塾という人と会社を元気にするコンセプトの雑誌に載りました。
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特集で6ページにわたって載っております。
モラロジー研究所と言えば、廣池千九郎先生です。
私を取り上げていただき、個人的にとても光栄です。
有り難うございました。


福島県南相馬市へ物資支援

4月7日

昨日は福島県南相馬市へ物資を届けに行きました。

日本国際芸術文化協会 のボランティアとして、社員の伊藤君と一緒に6名で行って来ました。

なぜ南相馬市かと言うと、放射能の関係で一部の人たちから見捨てられた街と聞き、いてもたってもいられなくなったからです。

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小川町体育館へ衣類や食糧を届けに行ったら、30歳前後の管理責任者に衝撃を受けました。

目を輝かせながらこう言いました。

「僕は家を失っただけですから。身一つで復興はやっていけます」

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これだけ目が輝いている人は東京にもそうはいない。

逆に彼からエネルギーをもらった。

私たちが帰る時に、帽子をとり何度も何度も頭を下げる姿が印象的だった。

海岸近くを車で通ったが、ここで伊藤君の感想を。

「テレビやネットで見てはいましたが、想像を遥に超える光景でした。見渡す限りの更地は、空爆をされたとしてもこうはならないです。防波堤を乗り越えてきて散乱しているテトラポットが墓標のようでした。作文や手紙など、思い出の品が至る所に落ちており、胸が絞めつけられるような感覚でした。約1ヵ月経っているので遺体はありませんでしたが、震災直後は地獄絵図だったのではないかと思いました。1000年に1度という歴史的な出来事を目の当たりにし、忘れられない衝撃的な1日となりました。」

とのこと。

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被災者ではない人が言う「頑張ろう日本!」とか「1日でも早い復興を」という言葉はとても軽い言葉だと思った。

現地の人は、一瞬で更地となった自分の街、中々物資が届かない現状、放射能に対する不安などを抱えながら生きている。

6.5μシーベルトの飯舘村を通り、0.5μシーベルトの南相馬市に行ってみて、初めて現地で生活している人の気持ちがわかった。

身をもってわかった。

南相馬市の状況は、結果的に見て政府の失敗だと思う。

福島第1原発から約25kmで、屋内退避なのか自主避難なのかはっきりしていない。

民主党の国民の生活が第一って一体なんなのかと疑問に思った。


やすくに活世塾 1期生修了式

3月5日
靖国神社より、活世塾の修了式にて、1期生に向けての祝辞の依頼を受けました。
大変光栄な事ですので、有り難く引き受けました。
修了式では、代表して塾生10人のスピーチがありました。
それぞれが今後どのように活かすのかを発表。
各人が想いのこもった内容でありました。

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その後、懇親会にも招待され高森先生含め、塾生の皆様と楽しいひとときを
過ごしました。
2次会は、知覧の富屋食堂でおなじみ鳥濱トメさんのお孫さんの店であります
新宿三丁目の『薩摩おごじょ
弊社の塾生、田杭、川端含め9名で懇親。
モラロジー研究所の鈴木さんも参加。
大阪の浜野ゆきこさんからの紹介でスペシャルゲストが。
産経新聞などでおなじみの河添恵子先生登場!
東アジアに詳しい先生のお話を中心に大変盛り上がりました。
店主の赤羽潤さんが隣の席の人を紹介してくれました。
劇団「夜想会」の方々がいらっしゃいました。
『俺は君のためにこそ死にに行く』のキャストの皆さんです。
http://yasokai.world.coocan.jp/framepage2.htm
観に行くよ!と約束。
楽しみです。


コミュニケーションマジックセミナー

2月26日
基礎セミナーⅠを開催
参加者20名
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皆さん、2時間半で6個のマジックをマスター。
タネ明かしDVDもあるので、忘れた人は観て下さいね。
リピーターには、特別にマジックを披露。
驚きと歓声に初参加者の方が気になっていました。
マジックという特技をコミュニケーションに活かして、笑いあり感動ありの人生にしていって下さい!!


がんばれ日本!桜交流会

4月2日

「がんばれ日本!桜交流会」と題して、代々木公園でお花見をしました。

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残念ながら私は参加できませんでしたが、多くの方が集まり交流を深めていたようです。

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会場で日本赤十字社への募金を募ったところ、19万689円という多くの募金が集まりました。

ありがとうございました。

花はあまり咲いてませんでしたが、みなさん決起していたようです。

花見の歴史

花見は奈良時代の貴族の行事が起源だと言われている。奈良時代には中国から伝来したばかりの梅が鑑賞されていたが、平安時代に桜と変わってきた。その存在感の移り変わりは歌にも現れており『万葉集』において桜を詠んだ歌は40首、梅を詠んだ歌は100首程度だが、平安時代の『古今和歌集』ではその数が逆転する。また「花」といえば桜を意味するようになるのもこの頃からである。

『日本後紀』によると、嵯峨天皇が812年(弘仁3年)に神泉苑にて「花宴の説」を催した。これが記録に残る最初の桜の花見だとの説がある。831年(天長8年)から場所は宮中に移り、天皇主催の定例行事として取り入れられていった。その様子は『源氏物語』「花宴」に描かれる。『源氏物語』には藤を鑑賞する宴会についての記述もあるが、この頃には「花」はほぼ桜と同義に使われるようになっていたためか桜以外の花を観賞する宴が花見、花宴といわれることはない。

吉田兼好の『徒然草』には貴族風の花見とそうでない田舎ぶりの花見の違いが説かれており、室町初期には地方の武士階級にも花見の宴は行われていたことが伺える。

織豊期には野外に出て花見をしたことが、絵画資料から確認される。この時期のもっとも大規模な花見は豊臣秀吉の醍醐の花見である。

花見の風習が広く庶民に広まっていったのは江戸時代、徳川吉宗が江戸の各地に桜を植えさせ、花見を奨励してからだといわれている。江戸で著名な花見の名所には愛宕山などがある。この時期の花見を題材にした落語としては『長屋の花見』や『あたま山』がある。


東北地方太平洋沖地震支援活動

3月30日
東北地方太平洋沖地震支援活動
(仙台市若林地区)
日本国際芸術文化協会(http://ijac.jp/
は、現地へ直接救援物資を届けている団体。
理事を務めている私も、直接現地へ行くことにしました。
詳しくはこちらをどうぞ
http://ijac.jp/blog/featured/1403.html
小さな事しか出来ませんが、少しでもお役に立てればと思います。
物資も徐々に行き渡って来たようで、本当に何よりでした。
体育館内では、1mも無い囲いがあるだけでプライベートは当然ありません。
被災者の方々が少しでも元気になって、一日も早く日常に戻れるように、
今後も支援をしていきます。
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また、津波の被害を受けた荒浜地区をみてきましたが、初めて見た瓦礫の山の光景に絶句しました。
津波は本当に恐ろしいです。全てを飲み込むとはこういうことなんだと、現場に立って実感しました。
潮と泥の混ざったにおいは一生忘れないでしょう。
津波の来た現場に立ち、一回の支援や募金では無く、今後もやり続ける決意をしました。
緊急救援物資・義援金はこちらで募集しています。
http://ijac.jp/activity_disaster.html