航空観閲式

航空自衛隊による観閲式に参加。

最初、招待状が届きビックリ。

いつかは参加したかったイベントであったからだ。

織田空将や広報の方に感謝です。


麻生首相の訓示も
『自衛隊に誇りを持っている。海外派遣も積極的にやり、国際貢献を果たす。』
と力強かった。

目の前で見る戦闘機は単純にかっこよかった。

子供の頃に戻った感覚になった。

F15は東京~大阪間なんと所要時間10分!

30分待ちでコックピットの中を間近で見ることができる。

すべてが当たり前のように時間通りに進んだ。

これは大変な事である。

あれだけの大人数が動き、あれだけ速い戦闘機(F15J、F2など)がピッタリ目の前を飛び、

ラストのブルー・インパルスのアクロバット飛行を見たら、

海外の招待客、軍関係者は『強すぎる!!』と思ったに違いない。

行進や振る舞いすべてが強い自衛隊という印象が残った。

↓ブルーインパルスのアクロバット飛行(動画)

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マケインを応援する会

9月20日

京王プラザホテルにて、マケインを応援する会が開催されました。


会場は、400人以上の超満員!!

アメリカ大統領には、オバマ候補よりマケイン候補が当選したほうが、

日本にとって国益がある。

マケイン候補は親日家である。

第二次世界大戦で、日本海軍に対して敬意を表している。

日本の国益を考えて判断する国民が多くなれば、もっと良い日本になるのでしょう。

私もマケイン候補を応援します!

■キャリアコンサルティング広報ブログ

オバマにマケイン(負けいん)

イスラエル国護りツアー その10

死海


死海の海は、塩分濃度が通常の海の10倍!
皆さん、軽ーく浮いていました。

本当に不思議な体験でした。

濃度が強いため、少しの擦り傷やささくれがあると、かなり沁みます。

海中でのおならは厳禁。間違って海水がお尻から入って、溺れた人もいるそうです。

公共のビーチは、ホテルのビーチより若い観光客が多い。

カップルが多かった。

泥んこパックをしたり、シンクロのマネをしたり、大笑いでした。

お土産は『AHAVA』のブランドが大人気。

死海の泥パックや死海の石鹸が人気のようでした。

イスラエル国護りツアー その9

マサダに到着!


高さ400メートル、頂上は幅400メートル、長さ600メートル!!

超ド迫力!圧倒される!

1900年前、ユダヤ人はこの頂上で、3年間ローマ軍の兵糧攻めに耐え続けるも
ローマ軍の非情なまでのユダヤ人処刑に、自決をした960人。

自殺が禁じられている為、くじ引きで殺す役を決め、自決していった。

人類史上初の集団自決だそうだ。


ここが食糧庫。食糧は満杯のまま自決。

ローマ軍唖然!
我々は食べ物に困って自決したのではない!というプライドを示した。

どうやって3年間もこの頂上で生き延びたか?

何と、農業をしたそうだ。水は年2ヶ月だけ降る雨を利用。
岸壁に水路を作り、貯水庫に流し込んで貯めた。その数12ヶ所。

イスラエルでは 『2度とマサダを獲られるな!』と言う合言葉があり、
軍の入隊式ではこの頂上で『ライフル』と『聖書』が渡されるのだ。

イスラエル国護りツアー その8

ベングリオン首相の住んでいた家に行ってきました。

キブツ内で暮らしていたベングリオン。

他の家と規格が一緒ということに、改めて驚かされました。

いつもネクタイをせず、ジープで移動。

かなり『ラフ』な生活スタイルだったようです。

奥さんとの約束は食器は一日交代で洗う。

政治の閣僚たちが来ても、きちんと台所に立って洗っていたのだそうです。

閣僚たちも、見ているわけには行かず、偉い人が皆並んで洗ったそうです。

光景を浮かべると面白いですね。

イスラエル国護りツアー その7

今回はキブツ(集団農場)に一泊。

砂漠のど真ん中と聞いていたので
私はかなり質素な宿をイメージしていた。


しかし、見ての通り。

想像を覆す充実ぶり。


芝はふかふか


プール、体育館、カフェバー、ビリヤード

そしてこのお部屋です。


きれいで、しかもTVは数十チャンネル入りました。

キブツでは、集団生活の為、キブツ内の掃除など共同でやります。

驚いたのは、個人の洗濯物を全員分集めて、まとめて洗う事です。

食事は豪華ではありませんが、新鮮でおいしかったですよ。

イスラエル国護りツアー その6


チンの荒野

ベングリオン首相が、

『ここに小さなお墓をつくってくれ。』


とリクエストした場所。

最高の景色にイスラエルのダイナミックさを感じた。

一緒に行った仲間も興奮気味だ。(特に伊藤君)

天然のシカがお出迎え。

かなり近くを歩いていました。

イスラエル国護りツアー その4

イスラエル独立宣言ホール

ここは1948年に独立宣言が発表された実際の場所。

そのままの姿だ。

独立宣言は混乱やトラブル、妨害を予測して、極秘に進められたそうだ。

皆で座り、当時の音声を聞いた。

ここから始まったんだなぁと皆感心。

写真は、100年前のイスラエル。

本当に砂漠だらけ。

よくもまぁここに住もうと思ったものだ。

映像などもあり、国を創っている意識の高さを想像して楽しんだ。

『国旗はどんなのがいいかなぁ?国歌はどうしようか?
言葉は、ヘブライ語を復活して我々の言葉にしようよ。』

なんてワクワクしながら話していたんでしょうね。

第5回 室舘塾

9月23日

会場は、気合の入った空気で満ち溢れ、私も数秒でボルテージが上がった。

今日は、対人能力に関して。

来賓を控え室まで案内するシミュレーションを体験してもらい、その後意見が飛び交った。

『カバンをお持ちしましょうか?』

と言う一言が出ない。

『あ、良いですよ。』 『では行きましょう!』

では甘い。

出来れば

『いえいえ、持ちますよ』のもう一言が欲しい。

日本人は、一度は遠慮するのが常識ですから。

細かなこだわりを披露。

こだわり一つで、不安にさせない事が出来る。

様々な方面に応用が利く話をしました。

最後にイスラエルの小話と、土産代わりにイスラエルのコインを皆さんにプレゼント。

珍しいものだった為か、皆喜んでいたようでした。

皆さん、お疲れ様でした。

イスラエル国護りツアー  その3

言いだしたのは 『ヘルツェル』

イスラエルは西暦73年に国を失った。

ヘルツェルが

『国をもう一度持とう!』

『念じればそれはすでに神話ではない。』


という強い意志の下、周りは巻き込まれていく。

ヘルツェル無しでは、イスラエル建国はありえない。
強い意志が現実になると言う事を深く感じた。

イスラエル建国のスタートは1893年頃。

その頃、ロスチャイルドもお金を出す事になる。

イスラエルは、他人の土地を奪ったのではなく、市価の3倍の値段で買った。

しかも、それは砂漠や沼地であった。


1906年最初の入植者がやってきたところが『テル・ハイ』という場所であった。

リーダーは、トゥルンペルドール。

日露戦争での負傷で、片腕の兵士だ。

彼は、

『片腕だが、自分の民族の国を持ちたい!自分が協力できる事なら何でもやりたい。
自分は鉄の固まりだ!必要ならネジになる。ボルトにでもなる。機械にでもなる。
警官もやる、兵隊にもなる、農業、建築、何でもやってやる!!!』

すごすぎて震えた。

1920年その『テル・ハイ』が武装したアラブ人に攻撃される。

ユダヤ人は、あまり戦う民族ではない。どちらかと言えば、すぐ逃げたり降参するほうらしい。(意外だ)

ところが、その数名のテル・ハイを開拓するユダヤ人は、なんと戦ったのだ!

逃げずに、『国を創るんだ!逃げないぞ!護るんだ!』と。

トゥルンペルドールは弾薬が尽きるまで、最後まで戦った。

8人が死んだ。

トゥルンペルドールは最後、医者に向かって

『国の為に死ぬ事は、良い事です。』 

と言って息を引き取った。

祖国を護るために、最後まで戦い抜く現代ユダヤ人の『精神と勇敢さ』のシンボルとなった。

後の独立戦争の不屈の精神は、このテル・ハイ精神に鼓舞されたからだと言われている。

イスラエル国護りツアー その2

9月4日

①土地は敵から奪ったのか?

②砂漠なのにどうやって開拓したのか?

③ユダヤ人は帰ってくるのか?

④どんなリーダーが存在し、国を創ったのか?

⑤若者で手本となった人はいたのか?

⑥現在の代表的な観光地や街は?

⑦イスラエル人ってどうか?

⑧危ない国なのか?

⑨現状の問題点は?

などなど、TVの情報と、聞いた話と実際に目で見たもののギャップに驚く事になる。

イスラエルへの旅

9月3日

7日間イスラエルに行く事になりました。

テーマ『イスラエルから国護りを学ぶツアー』

危ない国なのだろうか?テロは頻繁に起こるのだろうか?
暗い空気なのか、怖いのか?

様々な人から今回のツアーに関して心配されました。

行かないほうが良いんじゃない?と。

でも、私は前回のしがくセミナーで倉田宝郎先生から
イスラエルについて聞いてから、絶対に一度行って見る!と思っていた。

西暦73年に国を失ったユダヤ人。

いかにして1900年ぶりに国を創り、それを護ってきたのかを学ぶことは、

今後の日本を創っていく上で大いに参考になるだろうとワクワクした。

倉田さんとうちの社員5人の6人で出発。

ウズベキスタンまで約8時間、タシケント空港着。

乗換えで、イスラエルまで約4時間、テルアビブのベングリオン空港着。

とうとう着いた。

1年半ぶりの帰省

8月27日

青森県むつ市はのんびりしていた。

父に日本酒を買って帰り、その晩は二人で一升飲んだ。

東京に出て、はや20年。

今は親子の会話と言うより東京の社長と、むつの社長の話という感じだ。

父は、私の話に大変興味があるらしく、いろいろ聞かれた。

私も、父の若い時の話や事業の立ち上げ、苦労話、嫌がらせ、横やりなどなど、

たくさん経験してきた話に夢中で耳を傾けていた。

今は、本当に幸せそうだった。

成功の定義はいろいろあるが、私は父を成功者だと思った。 

先ず、仕事が好きである。

魚や野菜、食品類をトラックに積んで、町から遠い民家(お得意様)をまわっていく。

買ってくれるお客さんがいる。後は良いものを仕入れる。

魚は長年の目利きと仲間からの情報で、良いものを安く仕入れる。

だから利益が多いのです。

野菜は家で採れたものを売る(母が作っている)。

売り上げは全部母へ。母はそれで趣味の『花』を買うそうだ。

米も自家製で作っているので、しっかり売れる。

利益が多い。

趣味の盆栽も成長し、中々上等なものがそろい、自慢である。

好きな巨人戦を観ながら酒を飲み、酒の肴は大間のマグロ(安く入る)や最高のイカ刺身、

地元の野菜を使った料理。

休みも好きなときに休みます。

私は、今まであまり父を分析しませんでしたが、今回の帰省では本当に強く感じました。

人の幸せは本当に多種多様であり、面白いんだなぁと感じました。