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皇居勤労奉仕 第5回志学奉仕団 2日目
5月25日
皇居にてご奉仕。
伏見櫓をバックに記念撮影後、皇居宮殿周りを見学。
宮殿で1番長い建物が、長さ160mもある長和殿。廊下は100mの長さ。
普段、宮殿前の東庭は立ち入り禁止であるが、天皇陛下のお誕生日と1月2日の一般参賀のみ開放している。
東庭の石は香川県高松市由良町にある由良山の全山で採石されている由良石。
足に優しく、やわらかめの石を使っている。陛下の細やかな心遣いを感じました。
国民一人ひとりのことを本当に考えてくださっています。
由良石
http://bit.ly/ml3twg
東庭は最大2万人が入ることができる広い敷地。
さらに勤労奉仕団は特別に宮殿の中庭の見学が許可される。一同感動。
昭和43年に完成した長和殿。築40年経っているとは思えないような、すごく綺麗なままで使われている。
なんと72万人が建築に携わっている。凄い人数である。
正殿や豊明殿など、各建物と部屋の名前、どういうときに使用するかを細かく教えてくださいました。
午後からのご奉仕も、皆、額に汗して頑張っていた。
3.11後の信任状捧呈式について聞いた。
信任状捧呈式とは、各国大使が元首から託された信任状を天皇陛下に提出する儀式のこと。
東京駅から皇居まで、馬車と車のどちらを使うかを選べる。
3.11の震災後は馬車を自粛し、車になっているらしい。
馬車での信任状捧呈式を行っているのは日本とイギリス、オランダ、スペインといった国。
3.11後の大使は少々残念だったかもしれない。
皇居勤労奉仕 第5回志学奉仕団
1日目 赤坂御用地
5月24日(火)
志学奉仕団として5回目の皇居勤労奉仕に行って参りました。
私以外の24名は初めてのご奉仕。
社員20名・メンバー4名・お客様1名の計25名
同日には、鹿児島県や愛知県から計4団体が来ていました。
驚いたのは、仙台で避難所生活をしている方が来ていたことです。
雨の為、午前中は記念撮影のみ。
大変驚くことに、志学奉仕団の撮影のときに雨が止みました。
神がかりというか、とてもついていました。
午後から、雨も止み落ち葉拾いのご奉仕をした。
そして皇太子殿下からご会釈を賜りました。
殿下とは4回目のご挨拶となりました。
「いつもありがとうございます」と志学奉仕団及び、私のことを憶えていて下さったのが
ありがたいことであり、感激しました。
その後の若者の様子を聞かれたので
就職活動だけでは無く、日本のことや伝統文化にも興味を持つ若者が着実に増えていると報告させて頂きました。
凜として、優しくて、力強いまなざしが印象的でした。
24名の皆さんは初めての経験に、感動しておりました。
以上1日目の報告でした。
大説明会
災害ボランティアレポート②
木村担当 大井 春花さん
はじめ、宮城県にある亘理駅から相馬ボランティアセンターに行きました。所々で地震によって壁のタイルがはがれていたり、店のシャッターが開かなくなっていたり家屋の損害はありましたが、全壊の家屋が立ちならぶものではありませんでした。ただ、町に人がおらず、いるのはボランティアをしに来た人たちだけで、異様な静けさを感じました。相馬のボランティアが足りていたので新地町へ移動し、被災者のお宅の掃除を行いました。
やはり津波の被害は悲惨でした。塩とごみの混ざりあうにおい、木にひっかかる布団、べこべこになって倒れている自動販売機、何もない音。もともとこの場所が何だったのかを全く想像させない風景に、言葉がでませんでした。のちに、被災者のお宅に住むご年配の女性から、ビニールハウスが並ぶ畑だったことを聞きました。その女性は家屋の2階にいたから助かったそうでしたが、あの日を境にずっと高血圧で、外に出ることも人と話すのもおとといまでできなかったとおっしゃっていました。「遠いところから来てうちを掃除してくれてありがとう、ありがとう」と繰り返し頭を下げられ、私は何も言えませんでした。そのとき改めて人は支え合っていることを実感し、どれほど人の温かさが辛い状況下で必要なことなのか、身にしみて感じました。
代表がおっしゃっていたように「頑張ろう日本」と軽々しく言えないと切に思いました。しかし、被災者の方々、ボランティアに来る人、ボランティアに来た人たちに役割を振り分けるボランティアセンターの人たち、駅員さん、みな前を向いていて、今を生きていて、日本人の底力を感じて鳥肌が立ちました。今回、実際に現地へ行くことができたことを非常に感謝し、私が見てきたもの、感じてきたものをまわりに伝え、毎日を一生懸命生きること、それがいま、私にできることです。以上です。
私は今回の大震災から2か月弱、今まで感じたことのないあらゆる感情を経験しました。海のすぐそばで楽しい思い出しか残っていない祖母の家やその周辺すべてがもう何もないこと、その様子が、見えない場所まで続いていること、祖母が3週間以上安否不明だったこと、バスケットボールの大会でよくお世話になった体育館が遺体安置所になっていたこと、遺体安置所で祖母を探したこと、その安置所に友人が眠っていたこと…。福島原発のこと、毎日毎日普段は話題にならない福島がテレビや新聞に出ていること、それでも地元の人はいつも通り明るく過ごそうとしていること、東京の自粛ムード、就活の長期化…など、ここでは挙げきれませんが自分の頭には想像もしなかった現実が次々と目の前に現れ、ただ黙り込む事しかできませんでした。
震災後初めて地元に帰るときは、被災地の状況を東京の人、チームのみんななどに伝えようという想いで現地に入りましたが、東京に戻ってきたとき自分から被災地のことを多く話すことはできませんでした。メディアに映っていない部分が本当に凄まじく、話さないほうがいいと感じたからです。ただ、今回のことで私は本当にたくさんの人たちに支えられていることに気づかされました。頭では理解していたつもりでも、この環境で学んできたことが決して間違ってなかったと肌で、心で、実感しました。本当に信じれるものはなにか、少しわかったような気がします。
室舘塾ユース後に林さんと話し、東北(といっても一部ですが)を案内することに決めました。皆さんの行動がすばらしく、一日でしたがボランティアを通し、絆を深めることができました。ともにこれからもがんばっていきたい仲間だと思いました。この環境で出会えたことに感謝しています。工藤課長、本当にありがとうございます。
状況もある程度落ち着いたことですし、東北に行ったことがない人が意外とたくさんいることもわかったので、たくさんの人がこれを機にみちのくを訪れてほしいと思います。1か月近く、地元のお手伝いをしましたが、そこで関わった人たちの顔を私は一生忘れません。これからまた、世のため人の為に私は成長していきます。今後ともよろしくお願いいたします。
小原担当 伊東 由美恵さん
今回のボランティア旅行にあたり私自身の目的は、①被災地の状況を実際に見て肌で感じ取る ②ボランティアでは自分の出来ることを精一杯するという二点でした。
まず始めに相馬市を訪れた際、人の少なさに驚きました。元から過疎地で、避難区域でもあるということは知っていましたが、人も車もほぼ居ない状況が不気味に感じられました。相馬市はボランティアが足りていたので、バスで新地町まで移動しましたが、その道中にテレビで見た様な光景を見ました。津波によって全てが無くなり、折れているガードレール、瓦礫だらけの一帯、予想はしていましたが言葉が出ませんでした。私は長野県出身で、海の無い所で育ったので海や津波の怖さを実感したことはありませんでしたが、全てが無くなった光景を実際に見て恐怖を感じました。
新地ではボランティアの受入れをしてもらえたので、我々はおじいさんの家の掃除をすることになり午前中は障子の泥落とし、午後は窓ふきをしました。毎日ボランティアをしている方々とは違い、自分は一日しかできないので、精一杯やらせてもらおうと心に誓いました。今まで生きてきた中で一番心を込めてお掃除させてもらったと思います。
休憩時間やお昼休みの時に、被災されたおじいさんやお孫さんとお話する機会がありました。おじいさんは自分の人生を語って下さいました。お話の最後に「新地に来て、やっと落ち着いたのになぁ」と言いながら去っていかれて、胸がとても苦しくなりました。また、ボランティアをさせて頂いたお家の皆さんは、「休憩してください」とお声をかけて下さり、お茶も用意して下さって、被災して肉体的にも精神的にも辛い中でも気遣えるということは本当に凄いと思いました。
新地は海の近くなので、おじいさんの家の裏側は津波によって全てが流されていました。休憩時間にその一帯を歩きましたが、2か月近く経った今でも潮の生臭い匂いが残っていました。瓦礫の中には、自動販売機や冷蔵庫、唐辛子が残っているフライパンや泥だらけの野球ボール等があり、一瞬にして生活の全てが流されていく光景が頭に浮かびました。海側に向かって見えるところ全て無くなっていて、全部の瓦礫を撤去するまでに何年かかるか想像がつきません。
現在、被災地にボランティアが殺到して受入れ拒否が起こっているという新聞の記事やニュースを見ますが、ボランティアが足りていない区域も多くあるので、事前に調べて本当に必要な場所に行くことが大切だと思いました。行く前は、女性がボランティアに行っても何もできないのではと思っていましたが、被災者の方々は本当に身も心も疲れきっていて、掃除等の小さなことでも役に立てるので、我々若者は時間があるならばまずは行動するべきだと思います。そして、一時だけでなく継続して行うことが非常に大切です。GW後は一気にボランティアの数が減少すると予想されていますが、私は就職活動も終わり学校も週2回なので、時間を作ってまたボランティアに行きます。
今回、実際に被災地を訪れて、被災者の方々とお話させてもらい自然災害の恐ろしさを肌で感じてきましたが、この状況の中でも皆で協力し合って常に感謝の気持ちを忘れない日本人をとても誇りに思いました。そして、疲れている中でも被災者の方もボランティアの方も皆さん笑顔でお話されていました。被災地を訪れて感じたこと、思ったことをメンバーさんや周りの友達にも報告していきたいと思います。
災害ボランティアレポート①
災害ボランティアに行ったNEXUSのメンバーさんがレポートを出してくれました。
2回に分けて掲載します。
林担当 林 由希菜さん
夜行バスで仙台駅に到着してから電車とバスを乗り継ぎ、まず相馬市に行きました。
そこはまったく人気がなかったので、これが震災の影響かと思ったのですが、福島出身の菅野さんが「もともとこんなもんだよ」と言っていました。確かに、朝の時間帯ですし、田舎なら人気がないのは当然だと思いました。
悲観をあおるメディアの過剰な報道に対する疑問を少し感じました。
相馬のボランティアセンターでは受け入れの170名をこえてしまったため、バスで新地町へ移動し、そこでボランティア活動として浸水してしまった家屋のお掃除をしました。主なお手伝いとして、障子がはがれガラスが割れ木がささくれだった戸の砂やごみを払い落し、布巾でふいてきれいにすることをしました。この戸を、また使って生活されるのだと考えると、心が痛く、心をこめてお掃除しようと思いました。
そのおうちの方々は、つらい状況にもかかわらず私たちにとても気を遣ってくださり、何度も何度も缶のお茶を持って「休憩してね」と声をかけてくださいました。そう言っていただけるとさらに燃えてしまうので、私たちは最後まで精一杯お掃除させていただきました。その家の裏手にまわると一面、がれきが流れ着いていました。
しばらく、ポカンとした気持ちになりました。だだっ広い景色の中に、ひんまがったガードレール、根から抜け流れ着いた木、レコード、CD、布団、車、衣服など、さまざまな生活の一部がみえました。
しかし、もうにおいはそこまで無く、また、車道のがれきは撤去され、車が走れるようになっていました。着実に復興している様子が見て取れました。思ったよりも、現地の方々は元気でした。着々と前に進んでいるのだと感じました。私たちも、できることを着実にやっていかなければと改めて感じる一日となりました。
今回、素晴らしい仲間のおかげで臨機応変に活動することができました。周りの皆にも、ぜひ現地を訪れてほしいと思います。今回この4人の仲間と行けたことを感謝しています。この環境に出会えたことにも改めて感謝いたしました。室舘代表をはじめ、スタッフの方々には、日々火をつけていただき、改めて感謝申し上げます。
木村担当 武藤 瑞歩さん
2011年5月1日。この日は私の人生の中でも忘れられない一日となりました。
3.11の震災にて甚大な被害を受けた福島県に赴き、その光景を自らの目で確かめ、被災した家屋の清掃というボランティア活動を通して様々な事を感じた一日だったからです。
2m程の高さの津波の被害を受けた家屋は、床上浸水し、そこら中に潮のにおいのする砂がまとわりついている状態でした。私たちはその家屋の障子の間仕切りと、サッシの清掃作業を担当しました。割れたガラスや歪んだサッシ、壊れた障子の枠からは津波のすさまじさがひしひし伝わってきました。ほぼ無心で掃除をしていましたが、これが自宅だったらと想像するだけで背筋が凍りつくような思いでした。
中でも一番印象に残っているのは、今回のボランティア活動をした家に住んでいらっしゃるご家族の方々とのお話です。その家にはご高齢のご夫婦が住んでいらして、間一髪のところで津波に流されずに済んだというお話を伺いました。隣の家の方は、数分前まで一緒に話していたのに、残念ながら津波に流されてしまったとのことでした。あたり一面はビニールハウスの農家だったらしいのですが、そんなもの一つも残っておりません。うるんだ瞳で一つ一つ言葉を探すようにして話されていたおじいさんの姿が忘れられません。思い出すたびに胸が締め付けられます。
ただ、私が思ったよりも現地の方々は凛としていて、逆に気を遣っていただいた気さえします。「本当にわざわざ遠いところからありがとう」と言ってくださるだけに値することができたのかは分かりません。正直、自然の力の前に自分の非力さがもどかしくて仕方ありません。しかし、「そんな微力でも必要とされている、まだまだ人手が足りない」のは事実だと感じます。時間を作ってまた現地に赴き、一時的ではなく持続的に手伝う事が、時間と体力のある私たち若者の役目ではないかと心から思っています。
テレビや新聞を通してだけでは決して触れる事の出来ない、現地に流れる独特の空気と人々の「生」を感じさせていただいた事の意味を考え、自分のすべきこと、有るべき姿を自問していきます。
室舘塾ユース
5月15日
日本力について
①「Newsweek」の記事を使って、世界に誇る日本力の話
・ハイテクトイレは、レオナルド・ディカプリオやジェニファー・ロペスも愛用している。
・テレビ番組では、「料理の鉄人」、「風雲!たけし城」などが大人気。
「風雲!たけし城」は日本版とリメイク版合わせて世界159ヵ国で放送。
②現在、日本の凄さが海外からとても注目されている
・なぜ暴動が起きないのか。
・渋谷のスクランブル交差点はなぜぶつからないのか。
③日本と韓国の比較
・特許収入の違い。
日本257億ドル、韓国24億ドル(2008年)
質問コーナー
・なぜ給料が止まっても続けられたのか
・時代観を知る上で大切なこと
・良い結果の時に、どう気を引き締めるか
・経営者になってからの壁
井上和彦先生緊急セミナー
5月4日
東日本大震災における自衛隊の大活躍について
140人の席が、すぐに予約でいっぱいになる。
皆さんかなり興味があるようだ。
・2親等以内を無くした自衛隊員 250人
・親族を亡くした自衛隊員 500人
そんな中、自分の事は横に置き公の為に
『飲まず、食わず、座らず』でいつものごとく人助け。
井上先生は米軍の活動の実態を見ることで、日米同盟をリアルに感じたそうだ。
米軍は1.8万人。○○を140機投入。
仙台の空港を使えるようにしたのは米軍である。
普段は、瓦礫の片付けのような作業はやらず、不慣れであったが、自衛隊員と共に
一緒に瓦礫を片付ける。
日本人に習い、アルバムや卒業証書も丁寧に箱に入れる米軍。
日本の指揮のもと、10万7千人の自衛隊員と共に動いてくれた。
米軍の皆さんには本当に感謝の気持ちでいっぱいである。
義援金の話だが、国民一人あたりいくらいただいたのか。
アメリカ 35円
韓国 50円
台湾 650円
中国 0.03円
台湾がダントツナンバーワンである。
こういうところからも、親日国であることがわかります。
最後に、会場がすすり泣きでいっぱいだったのが、
『うみちゃんの手紙』であった。
じえいたいさんへ。
げん気ですか。
つなみのせいで大川小学校のわたしのおともだちがみんな
しんでしまいました。でもじえいたいさんががんばっているので
わたしもがんばります。
日本をたすけてください。いつもおうえんしています。
じえいたいさんありがとう。
http://bit.ly/iHmNjr
実物がでています。
隊員の多くがコピーをして手帳などに入れて持ち歩いている。
隊員達は、本当に大きな力をもらったと劣悪な環境の中で頑張っている。
井上先生は
『現地のボランティアももちろんだが、自衛隊の方々へ慰問して、応援したり、
ファブリーズなど持って行けば嬉しいと思う』
と現場にいった人ならではの意見も飛びだした。まともに風呂にも入れないのだ。
最後には、感動で目を赤くした若者が、凛とした表情で会場を後にしていました。
井上先生の講演は、多くの方に広げていきたいです。
http://www.youtube.com/user/SakuraSoTV#p/u/8/ct3GAwQSarM
参加者の皆さんも、お疲れ様でした。
第三回国護り演説大会決勝進出者懇親会
第76回 しがくセミナー
5月8日
講師 株式会社致知出版社 代表取締役社長 藤尾秀昭先生
三回目のしがくセミナー登場となった今回。
私は10回近くお話を聞いておりますが、
聞く度に感動いたします。
『憤(ふん)』
この一文字に込められた想いが何とも言えません。
孔子が弟子に向かって話した話です。
感動して、寝食忘れて没頭するさまです。
「憤」の気持ちを大切にしたいものです。
平沢 興先生の話
・人生はニコニコ顔の命がけ
・生きることは燃えることだ
・教育とは火をつけること
凛としたお話にメンバー、スタッフ一同感動いたしました。
日々成長していきましょう!!
WEBサイト
http://www.chichi.co.jp/