9月12日
三井記念美術館で11月24日まで開催されている、
「国宝『卯花墻(うのはながき)』と桃山の名陶」展
に行ってきました。
致知8月号にも特集されていた「桃山志野」。
その中でも、国宝の茶碗として2品しか指定されていないうちの一つ
「卯花墻」が直接見られるということでとても楽しみでした。
音声ガイドを借りて、説明を聞きながら巡ると
品々の事がより分かりました。
百聞は一見にしかず。
着物で行くと一層気分が盛り上がります。
9月12日
三井記念美術館で11月24日まで開催されている、
「国宝『卯花墻(うのはながき)』と桃山の名陶」展
に行ってきました。
致知8月号にも特集されていた「桃山志野」。
その中でも、国宝の茶碗として2品しか指定されていないうちの一つ
「卯花墻」が直接見られるということでとても楽しみでした。
音声ガイドを借りて、説明を聞きながら巡ると
品々の事がより分かりました。
百聞は一見にしかず。
着物で行くと一層気分が盛り上がります。
中国政府管轄の船が領海侵犯を繰り返している。
石垣島を拠点とする八重山日報では、一面トップで報じられていた。
脅威が間近に来ていることの表れだと思う。
漁船ではなく、中国政府の船だ。
国を脅かす存在がすぐそこに来ているのにも関わらず、
ニュースとして取り上げられる割合が少ないように感じる。
—
中国船2隻が領海侵犯
~直後に台風接近で避難~
第11管区海上保安本部によると、中国海警局の船「海警2350」「海警2506」が19日午前7時過ぎ、尖閣諸島(石垣市登野城)久場島の領海を相次いで侵犯した。
中国公船の領海侵犯は昨年の尖閣国有化後、計65日。
2隻は午前10時過ぎ、久場島の領海外側にある接続水域を相次いで出た。台風19号が八重山に接近しているため、避難したと見られる
—
八重山日報9月20日版より抜粋
9月11日
第9回 俠塾
靖國神社 遊就館部展示課長 松本聖吾先生
もう、何年の付き合いになるだろうか?
松本課長には本当に何かとお世話になってきました。
今回は、男性120人にお話いただいた。
平成24年から靖國神社の遊就館の展示課長をしている。
・3000点の展示がされている。倉庫には10万点がある。
・特攻を犬死にさせたのは当時の軍司令部ではない。今の現代人である。
・片道燃料で特攻したのは、ウソである。燃料は常に満タンだった。
・沖縄に関して。沖縄が日本を護ったのだ!と胸を張って言える日が来て欲しい。
沖縄を守る為に、3,000人が沖縄へ行った。
『遊就館にいつでも来て下さい。
2時間から3時間かけて説明します!』
松本課長の国護りは、これからも続いていくのです。
9月16日
当日は朝8:00から、
歴史に学ぶリーダーシップ講座のテスト行っておりました。
台風の日ではありましたが、この時間はまだ雨も降っていなかったため
20名弱のメンバーさんがオフィスにいらしていました。
朝9時を回ると台風が接近して雨脚が強くなりました。
室舘塾は10:00からの開催でしたので
電車の影響で残念ながら来られない方も出ることから
塾の開催を検討しましたが、
すでにオフィスにいらっしゃる方も多かったため開催を決めました。
◆皇居勤労奉仕
24大学の学生で結成した「志学青年奉仕団」の話と、
皇居勤労奉仕に参加するようになった経緯を話しました。
皇居勤労奉仕に参加すると、宮内庁の方、陛下の側で仕事をされている方、
そして何よりも、天皇皇后両陛下や皇太子殿下と接することで、
これまでは皇室の事をほとんど知らなかった人が、
・皇太子殿下のオーラを感じました。
・天皇皇后両陛下のお姿をみて、あのような夫婦になりたい。
・皇居勤労奉仕の人数がピーク時より減っているので2倍がんばろうと思う。
といったことを感じて帰ってきます。
そして、心が洗われましたという感想が多く上がってきます。
何も知らない人が新しいことを知ることで世界が大きく広がる。
「よく分からなくてもいいから、行ってみなさい」
教育とは、こういうことが重要なのです。
行って良かったと嬉しそうな表情をする時が、
私も勧めてよかったと感じる瞬間です。
◆映像鑑賞
・プロゴルファー岡本綾子に学ぶ指導者の姿
・メジャーリーガー上原投手の世の中の価値観を変えたい想い
・プロゴルファー井戸木選手の劣等感がありながらも偉業を達成する考え方
を学び、それぞれの選手から感銘を受けた名言や感想を発表した。
普段の仕事やプライベートにまで活かせる考え方を数多く伝えられた2時間半だった。
雨の中、皆さん大変お疲れ様でした!
誰も怪我をしなかったことに安心しました。
9月8日
昨年の4月から約1年半続けてきた、
コミュニケーションマジック塾の第1期が今回をもって最終回となりました。
塾生に対し、トランプにサインをしながら個別に話をしていきました。
おひとりおひとりがマジック塾の学びを通して成長してきたことを実感する、
大変嬉しい時間でした。
塾の最後には、塾生からサプライズマジック&花束を頂き、
私も感謝の気持ちでいっぱいになりました。
ありがとうございました!
そして塾の後は、
第2期コミュニケーションマジック塾の希望者を交えて懇親会を行いました。
1期生からコミュニケーションマジック塾で学んできたマジックの披露もあり、
笑い・感動が満ち溢れた懇親会となりました。
11月からコミュニケーションマジック塾第2期をスタートします。
さらにパワーアップしたコミュニケーションマジック塾にしていきます。
卒業された1期生の皆さん、本当にお疲れ様でした!
学んできたコミュニケーションマジックを使って
一人でも多くの方に笑顔と感動を提供できる人になっていってください。
これは、しがく新聞9月号のコラムです。
◆リード:
身内の話で恐縮だが、本コラムで父のことにたびたび触れてきた。一人の経営者として、長年自営を続ける父から得られるヒントは大きく、周囲からの評判も上々だった。ただし、一人の教育者としては母親の偉大さを感じている。父親以上に子どもへの影響が大きいと言われる母親の存在。上京するまでの十八年間、母からどのようなことを言われて育ったのかを今回は書いてみたい。
◆本文:
父の仕事は行商である。今もなお現役だ。母は父のサポートをしながら、室舘商店という小さな商店の店番をしている。今は不定休だが、子どもの頃は朝から晩まで年中無休で営業していた。畑仕事が年中あり、常に動きまわっている。それが母親の印象だ。「きちんと後片付けしなさい、テレビを見過ぎでしょ」といつも怒鳴られていた。他の家の子が羨ましくなることもあった。ただし、テストの点数が悪くても、おねしょをしても怒られた記憶は一切ない。一番言われたことは「好き嫌いをするな、何でも食べろ」だった。寒い地域の味付けは塩辛いイメージがあると思うが、我が家はとても薄味だった。母が健康を気遣った味付けにしてくれていたのだと思う。
室舘商店には当然カップラーメンも並んでいたが、母からは「食べては駄目だ」と言われて育った。初めて食べたのは小学校二年生の時のスキー大会。振る舞われた豚汁を食べて盛り上がっていた時、友人がカップラーメンを食べ始めた。羨ましくなって、母に「食べてもいい?」と尋ねた。もの凄く納得のいかない顔をしながらも許してくれた。それでも、子どもの頃はカップラーメンをほとんど食べることなく育った。母はしっかりと食育をしてくれていた。
今でも社員を連れて青森の我が家に遊びに行くと、母は、トマト、アスパラ、ナスなど、裏の畑で採ってきて振る舞ってくれる。皆が「甘い!旨い!」と食べるのを母は嬉しそうに見ていた。帰り際「採れたての野菜を食べるとパワーがでる。食事は大事だな」という話題になった。子どもの頃の食卓には新鮮な野菜や魚などが一杯あった。それが当たり前だった。母にしつけられ、健康な体をつくってもらったとしみじみ思う。
母が唯一バスケットボールの試合を見に来てくれたのが高校の県大会だった。小学校から八年間続けたバスケットボールは私の自慢だった。その日、スターティングメンバーに入り、母に上手いところを見せようと張り切った。しかし、意識し過ぎたせいか、いつものプレーができない。三回連続ミスをしたところでベンチに下げられた。私が部活をどれだけ頑張っていたのか母は知っていた。だからこそ、ボロボロの数分間しか見せられず、とても悲しかった。帰りのバスではお互い無言だった。母も掛ける言葉が無かったのだろう。せっかく見に来てもらった試合がこのような形で終わり本当に申し訳ない気持ちで一杯だった。でも、言葉に出さずとも母は常に私の味方だった。冬の新聞配達の時には、わざわざ早く起きて薪ストーブに火を入れてくれていた。玄関を開けると、雪が三〇センチ積もっていたが、道路までの二〇メートルはきれいに雪かきされていた。
振り返ると、母から何か特別な教育を受けたわけではない。母親として当たり前であろうことを一八年間、日々淡々とやってくれた。「後片付けをしろ。遊び過ぎるな。家の手伝いをしろ」子どもの頃は本当に口うるさく感じたものだ。しかし、一つひとつの言葉は、子どもの成長を信じた愛情に溢れた一言だった。母に育てられた土台があるからこそ、今の私があると感じる。
9月8日
本日は初参加の方が約20名おり、
総勢50名での開催になった。
まずは、東京オリンピックが決まったことの喜びを全員で分かち合いました。
そして9月8日はサンフランシスコ講和条約を調印した日
というところから始まりました。
初めての方も多かったので、
ここ120年ぐらい前からの日清、日露戦争を含めた近現代史、
そして戦後の日本の良い所、悪い所、若者のリーダー育成の意義を話した。
リーダーとしての基本的な心構えとして、
・社長になりたい人、社長をやりたい人
・政治家になりたい人、政治家をやりたい人
「なりたい」、「やりたい」の言葉の違いからレクチャーをした。
そして、質問コーナーでは数名の質問に答えた。
近現代史の流れと合わせて話をしたので、理解できなかった部分もあったと思いますが、
まずは一つでも興味を持ち、自ら勉強し、動き始めることが第一歩です。
頑張っていきましょう!
皆さん大変お疲れ様でした。
8月28日
約250名という多くの学生さんが集まり、
学生さんの凄いパワーを感じた就活力診断バトルでした。
SPI、グループワーク1・2、模擬面接、ディスカッションと
それぞれに手応えを感じたようです。
その後の懇親会では、
P1グランプリ(お笑い)がかなり盛り上がった
と報告を聞きました。
学生さんの就職活動の成功を祈っています。
頑張っていきましょう!
8月26日
日本文化チャンネル桜・防人の道~今日の自衛隊~の収録にいきました。
『国護りの旅~台南・高雄編~』です。
今回私はほんの少ししか話していませんが、
多くのメンバーさんのインタビュー映像が流れます。
こちらが大好評で、
とても多くの方に視聴して頂いています。
今回の放映はこちらから。
youtube
niconico動画
9月1日
第104回しがくセミナー
WBA世界スーパーフェザー級王者 内山高志先生
昨年の五月には約230名の男性に対して第1回俠塾の講師をして頂いた。
あれから1年3ヶ月、
更に分かりやすく、面白く、切れ味が増していた内山先生だった。
終始会場は大爆笑と深い頷きが起こっていた。
しがくセミナーに参加できなかった方には
是非、内山先生の著書「心は折れない」をおすすめする。
読んでいただくと、人生のヒント、成功するヒントが満載だ。
自分が好きなボクシングと出会うまで
水泳、野球、陸上、サッカーと色んな事にチャレンジし、
そして辿り着いたのがボクシングだった。
目立たない選手だったと謙虚な発言をされたが、
練習に明け暮れる毎日、目標と言えば「目の前の1勝」という小さな目標に全力で挑む。
いまの内山選手からは想像もできないが、
大変地味な高校時代、大学1年生時代を過ごした。
「好きだから逃げない、やり続ける」
これが世界チャンピオンに必要な精神面、肉体面の基礎を
じわりじわりと作っていったのだろう。
人の何倍も練習する。
人が夏休みの1ヶ月を帰省して遊んでいる時に自分は死に物狂いで練習した。
大学1年生時代の夏休み、ここが内山選手の人生を変えたポイントではないかと思う。
質問コーナーでの印象に残った話は、
プロボクサーが将来の目標はと聞かれると「世界チャンピオン」
と答える人がほとんどだが、そこに腹が立つ。
世界チャンピオンが目標なら、そのための練習量と自律の精神が必要だ。
「夢はでかいが努力が伴っていない」ということに対する苛立ちなのであろう。
年齢は私の8歳年下だが、
本当に心から尊敬できる世界チャンピオンである。
ご縁があってブログをお読み頂いている皆様、
内山高志選手をよろしくお願いいたします。
9月2日
本日、産経新聞、讀賣新聞、毎日新聞の朝刊に、
35周年を迎える月刊誌「致知」の1面広告が掲載されました。
34名の方のメッセージの中に私のメッセージも載っています。
—
人間学を学ぶ月刊誌「致知」が自分の考え方に大きな影響を与えた。
「致知」を通して、本物の書物には本物の読者が集まることを知った。
—
渡部昇一先生の隣に掲載していただいて大変光栄です!
明日9月3日には、日本経済新聞、朝日新聞にも掲載されるそうです。
8月17日、18日
8月17日の朝8時から西本さん作成の、
歴史に学ぶリーダシップ講座『伊能忠敬』のテストをチェックしました。
ほぼ合格点でした。
8月18日も朝8時から山下君の『大村益次郎』のテスト。
こちらも素晴らしかった。
そして説明会で講演をした後、
大泉学園の鮮魚料理のお店『ふるふく』で
唯一のS講師清水君とメンバーと社員を合わせて総勢5人で盛り上がった。
ハードなスケジュールだったけれども、
S講師、A講師、黒帯の方々との時間は本当に楽しい時間でした。
その中の1人が、
真っ直ぐに歩けず千鳥足で帰っていく姿に、
本当に充実した時間を過ごせたと感じました。
8月17日
産経新聞の記事でご存じの方も多いと思いますが、
8月17日の産経新聞記事
日本の自衛隊法もポジティブリストから、
やっとネガティブリストに変わる動きが出てきました。
安倍内閣総理大臣には、これからも
素晴らしい手腕を発揮していただきたいです。