9月1日
今回も本当に素晴らしい内容の講義でした。
政治家になっても、できる事はたかが知れている。
国会議員であっても、地方議員であってもそうだが、
議長、副議長、委員長を
ベテラン政治家が目指す理由がわかった。
権限をもっていないと、
やりたい事が出来ないことがよくわかった。
政治家を希望している方には、
物凄く貴重な時間になったと思います。
神谷先生、ありがとうございました。
9月8日
本日は初参加の方が約20名おり、
総勢50名での開催になった。
まずは、東京オリンピックが決まったことの喜びを全員で分かち合いました。
そして9月8日はサンフランシスコ講和条約を調印した日
というところから始まりました。
初めての方も多かったので、
ここ120年ぐらい前からの日清、日露戦争を含めた近現代史、
そして戦後の日本の良い所、悪い所、若者のリーダー育成の意義を話した。
リーダーとしての基本的な心構えとして、
・社長になりたい人、社長をやりたい人
・政治家になりたい人、政治家をやりたい人
「なりたい」、「やりたい」の言葉の違いからレクチャーをした。
そして、質問コーナーでは数名の質問に答えた。
近現代史の流れと合わせて話をしたので、理解できなかった部分もあったと思いますが、
まずは一つでも興味を持ち、自ら勉強し、動き始めることが第一歩です。
頑張っていきましょう!
皆さん大変お疲れ様でした。
8月28日
約250名という多くの学生さんが集まり、
学生さんの凄いパワーを感じた就活力診断バトルでした。
SPI、グループワーク1・2、模擬面接、ディスカッションと
それぞれに手応えを感じたようです。
その後の懇親会では、
P1グランプリ(お笑い)がかなり盛り上がった
と報告を聞きました。
学生さんの就職活動の成功を祈っています。
頑張っていきましょう!
8月26日
日本文化チャンネル桜・防人の道~今日の自衛隊~の収録にいきました。
『国護りの旅~台南・高雄編~』です。
今回私はほんの少ししか話していませんが、
多くのメンバーさんのインタビュー映像が流れます。
こちらが大好評で、
とても多くの方に視聴して頂いています。
今回の放映はこちらから。
youtube
niconico動画
9月1日
第104回しがくセミナー
WBA世界スーパーフェザー級王者 内山高志先生
昨年の五月には約230名の男性に対して第1回俠塾の講師をして頂いた。
あれから1年3ヶ月、
更に分かりやすく、面白く、切れ味が増していた内山先生だった。
終始会場は大爆笑と深い頷きが起こっていた。
しがくセミナーに参加できなかった方には
是非、内山先生の著書「心は折れない」をおすすめする。
読んでいただくと、人生のヒント、成功するヒントが満載だ。
自分が好きなボクシングと出会うまで
水泳、野球、陸上、サッカーと色んな事にチャレンジし、
そして辿り着いたのがボクシングだった。
目立たない選手だったと謙虚な発言をされたが、
練習に明け暮れる毎日、目標と言えば「目の前の1勝」という小さな目標に全力で挑む。
いまの内山選手からは想像もできないが、
大変地味な高校時代、大学1年生時代を過ごした。
「好きだから逃げない、やり続ける」
これが世界チャンピオンに必要な精神面、肉体面の基礎を
じわりじわりと作っていったのだろう。
人の何倍も練習する。
人が夏休みの1ヶ月を帰省して遊んでいる時に自分は死に物狂いで練習した。
大学1年生時代の夏休み、ここが内山選手の人生を変えたポイントではないかと思う。
質問コーナーでの印象に残った話は、
プロボクサーが将来の目標はと聞かれると「世界チャンピオン」
と答える人がほとんどだが、そこに腹が立つ。
世界チャンピオンが目標なら、そのための練習量と自律の精神が必要だ。
「夢はでかいが努力が伴っていない」ということに対する苛立ちなのであろう。
年齢は私の8歳年下だが、
本当に心から尊敬できる世界チャンピオンである。
ご縁があってブログをお読み頂いている皆様、
内山高志選手をよろしくお願いいたします。
9月2日
本日、産経新聞、讀賣新聞、毎日新聞の朝刊に、
35周年を迎える月刊誌「致知」の1面広告が掲載されました。
34名の方のメッセージの中に私のメッセージも載っています。
—
人間学を学ぶ月刊誌「致知」が自分の考え方に大きな影響を与えた。
「致知」を通して、本物の書物には本物の読者が集まることを知った。
—
渡部昇一先生の隣に掲載していただいて大変光栄です!
明日9月3日には、日本経済新聞、朝日新聞にも掲載されるそうです。
8月17日、18日
8月17日の朝8時から西本さん作成の、
歴史に学ぶリーダシップ講座『伊能忠敬』のテストをチェックしました。
ほぼ合格点でした。
8月18日も朝8時から山下君の『大村益次郎』のテスト。
こちらも素晴らしかった。
そして説明会で講演をした後、
大泉学園の鮮魚料理のお店『ふるふく』で
唯一のS講師清水君とメンバーと社員を合わせて総勢5人で盛り上がった。
ハードなスケジュールだったけれども、
S講師、A講師、黒帯の方々との時間は本当に楽しい時間でした。
その中の1人が、
真っ直ぐに歩けず千鳥足で帰っていく姿に、
本当に充実した時間を過ごせたと感じました。
8月17日
産経新聞の記事でご存じの方も多いと思いますが、
8月17日の産経新聞記事
日本の自衛隊法もポジティブリストから、
やっとネガティブリストに変わる動きが出てきました。
安倍内閣総理大臣には、これからも
素晴らしい手腕を発揮していただきたいです。
8月16日
皆さんは昭和天皇の終戦詔書を読んだことがあるでしょうか。
高森明勅先生による高森稽古照今塾の中で、
昭和天皇の終戦詔書の解説がありました。
全てを書くことは出来ませんが、
日本は、武器もなく、原爆を落とされて、
息も絶え絶えで終戦を迎えたのではありません。
息も絶え絶えだったのはアメリカで、
余力がなく戦時国債をまかなってやっとのことでした。
日本は陸軍、海軍を含めてやる気満々で、
日本民族の尊厳を掛けてアメリカだけではなく
世界中を巻き込んでしまう勢いがありました。
しかし昭和天皇は、
それは本意でないとのことでのポツダム宣言を受諾した。
と解説がありました。
全ては戦争が終わった後の国体を考えてのことでした。
メンバー一同、
テレビでは放映されない一つ一つの言葉の重みなどを勉強しました。
8月15日
靖国神社を参拝しました。
8月15日という日にこだわってはいないのですが、
朝7時30分に参拝してきました。
その時点で既にたくさんのマスコミが来ていました。
昨年よりも1万4千人も参拝人数が増えていたそうです。
靖国神社には246万6千余柱が祀られており、
大東亜戦争では213万人という多くの御霊を祀っております。
私は慰霊よりも、特に顕彰を重要視しているので
英霊の方々に「日本を守ってくれてありがとう。あなたが命をかけて戦ったことは忘れません」
という気持ちで参拝させて頂きました。
8月12日
むつを案内した後、M君、T君、O君の三人衆を我が家に招待した。
本当は来る予定では無かったが、
夕食の時間だったので私の父母と6人でミニ宴会になった。
メンバーさんが我が家で食事をするのは初の事である。
T君がかなり飛ばし気味。
ハイテンションで盛り上げていました。
その後、街に繰り出し中学校の二つ上のY先輩がやっている店に行き、
話やカラオケで大いに盛り上がりました。
お店のカウンター席に後輩から見ると怖い存在だけど、
人望厚くめちゃくちゃ存在感のあるG先輩が飲んでいました。
G先輩に「バスケットのいさおです」と言ったところ、
少しは覚えて頂いていたようです。
その3分後にG先輩から生ビールをご馳走になってしまいました。
中学の男子バスケ部は、私が入学した時に復活しました。
当時はユニフォームもなくて、1年生が出た全ての試合は、
女子バスケ部の半袖ユニフォームを借りて出場しました。
会場から大爆笑が起こるほどの屈辱的な試合でした。
しかしバスケ部はとても厳しい練習をしたので、
下北半島では無敵、青森県大会でも3位に入る好成績を納めました。
1年で入った時に3年生だったのがG先輩。
昔の私は、挨拶とかそういう事が出来る人間ではなかったが、
気づけば自然と出来るようになっていました。
何事も無かったように帰るG先輩がいたので、
ダッシュでお礼を言いに行ったのはいうまでもない。
2、3時間で終わる予定のメンバー3人との下北半島の案内は、
14時間も経っていて、解散は朝の3時だった。
Y先輩、G先輩、ありがとうございました!
そして、M君、T君、O君、
遠いところからお疲れ様でした!
8月27日
9月2日からNEXUSのメンバー50名が「しがく青年奉仕団」を結成して、
皇居勤労奉仕に参加するということで事前勉強会をしました。
2時間半にわたって、
皇室の基礎知識、天皇陛下の仕事量、
今上陛下、皇后陛下のお人柄の話をしたり、
皇室関連のDVDを見たりしながら勉強しました。
勉強会でお答えできなかった質問があったので、
この場でお伝えします。
◆例大祭の「例」とは何ですか?
「定例的に」という意味の「例」のようです。
お祭りの場合の例祭というのは年に一回行われるお祭りです。
因みに一年を越える定期的な場合、2年ごと、3年ごと等を「式年」と言います。
たとえば「伊勢神宮の式年遷宮」では20年ごとになってますね。
◆昭和天皇祭と大正天皇例祭で、何故大正天皇には「例」が付くのですか?
昭和天皇祭と大正天皇例祭では区分けが異なっており、
昭和天皇祭を「先帝祭」、大正天皇例祭は「先帝以前三代の例祭」の一つになります。
「先帝以前三代の例祭」には大正天皇例祭、明治天皇例祭、孝明天皇例祭があります。
「先帝祭」は毎年「大祭」として特に重要視するのに対して、
「先帝以前三代の例祭」は式年的に「大祭」になる年以外の年は
「小祭」とされています。
質問ありがとうございました。
私自身にとっての新たな発見と学びになりました。
やはり勉強に終わりはありませんね。
しがく青年奉仕団の皆さん、
素晴らしい時間をお過ごし下さい!
8月12日
10日ほど前の懇親会でメンバーのMくんから、
・会津藩士の柴五郎が新政府軍に行かされた下北半島むつに行ってみたい。
・歴史に学ぶリーダーシップ講座で柴五郎編を作るために研究したい。
と相談があり快諾した。
母の軽自動車で下北駅に迎えに行くと
本当にM君、T君、そしてO君の三人がいた。
東京から若者3人のお客さんは正直嬉しかった。
そのまま柴五郎の住居跡地を案内した。
すぐ隣りに流れる川で水を飲み、顔を洗い、
柴五郎を含めた会津藩(斗南藩)の人の気持ちを4人で語り合った。
柴五郎が祀られている呑香稲荷神社に参拝し、
あまりにも朽ちた神社だったので、ここを綺麗にしたいという話をした。
むつグランドホテル内にある資料館では、
当時の柴五郎や斗南藩士の展示品を見学して盛り上がっていた。
すると、麦わら帽子に作業服のおじさんが声をかけてきた。
「東京から来たのか、感心だね」と5分、10分と話してくれた。
私はすぐにわかった。その人こそ、むつグランドホテルのオーナーであり、
むつ菊池企業グループの総帥であり、県議会議員も務めた菊池健治さん、一流の人間である。
呑香稲荷神社を綺麗にしたいと申し出た時に、
「いつでも訪ねてきて下さい」
と言葉を頂き、奇跡的なご縁に導かれたのだと感じました。
8月11日
年に1回の青森県立田名部高等学校の同窓会でした。
今回は私の代の41期生が幹事の会だったので、
私も当日はほとんどお酒を口にできず、
500名ぐらい集まった会場の各テーブルに
おつまみなどを運ぶ役に徹していました。
事前準備などはむつに居る仲間が
力を合わせて作り上げてくれて感謝しました。
私も出来る限りの事は出来たかなと思います。
本当に沢山の同級生と会って、
それぞれと楽しい話が出来て良い時間になりました。
なかには6年前に出版した
「夢を見て夢を叶えて夢になる」を広めて友達に共有してくていたり、
「ブログを見てるよ」という声を思いのほか聞いたり、
すこし気恥ずかしいのもありましたが、心から嬉しく思いました。
ただ、3年4組の時のクラスの仲間の参加が少なかったのが少し残念でした。
その後の2次会で1年1組の時にお世話になった工藤先生が来て下さり、
24年ぶりに「先生お世話になりました。バスケットのいさおです」
と伝えたら、覚えていてくれて、凄く嬉しかったです。
その後、3次会、4次会、5次会と、
17時スタートの同窓会が終わったのは午前3時。
10時間の戦いでしたが、あっという間のひとときでした。
お声がけして頂いた皆様、お気遣い頂いた皆様に感謝です。
本当にありがとうございました。
また会いましょう!