7月15日
会社説明会後に、井上先生を囲んで
国護りの旅~台湾~の振り返り懇親会を開催した。
それぞれが旅で学んだことや
その後、日本に帰ってきて感じたことなどを発表した。
皆一様に「台湾が好きになった」と話していた。
皆で台湾を応援しましょう!
7月11日
講師 元傭兵 高部正樹先生
日本に帰ってきて5年になる高部さん。
私はネットTVで拝見して以来興味を持ちました。
ほとんどの人は、戦争と言うものに対して怖くて恐ろしいものと言って、
目を背ける。
なぜ高部さんはわざわざ他国に行ってまで、戦争に参加するのか。
本人が語ることにより、多くの若者に生きるヒントやものの考え方の参考に
なると思い、しがくセミナーに続き講師のお願いをしました。
高部さんは自衛隊出身。
特攻隊に感銘を受ける。
アフガンや、ミャンマーの実情を知り、現地に入る。
対立している両側を観察し、正義のある方で弱い方を応援すると言う。
たくさんの写真を観せてくれた。ただ、ほぼ全員戦死している。
「男とは~」と言うフレーズを何度も使い、話してくれました。
途中、仲間の事を話しているときに、何度も言葉に詰まり必死に涙をこらえていた。
会場の若者は耐えられず、涙した。
仲間の一人の日本人が
「俺は、パスポートも捨てた。日本に帰るつもり無い。ここで死ぬ!」と血気盛んだった。
負傷し、もう死にかかった最後にぼそっと一言言った。
「日本に帰りたい・・・・」
高部さん曰く、あいつを日本に帰してやりたかった。やれなかった自分は・・・・スミマセン、・・・・・スミマセン・・
高部さんの想いが会場中に溢れた。
・軍人は平和主義者である
・あなた何も残ってないじゃない!は褒め言葉です。全てを掛けて闘ってきたからです。
・自分の信じるもののために生きている人少ない
・将来居酒屋で一杯「オレ、良くやった」と言いたい。
・男は死んでも志は残る
・日本の一番の誇りは『カミカゼ』
・当時の若者は国家を信じていた。若い人が信じられる国にしたい。
・損得勘定で生きるな
・逃げる人の8割方は、「やる時はやりますよ!」と言う。
・気高く生きろ
・やせ我慢の意義
若者達には、元傭兵と言う、本当に命がけで生きた、人の為に正義の為に生きた方の話は、
衝撃だったと思います。
2回目の私も感動でした。
その後、居酒屋での話も濃い~話が、尽きませんでした。
男の皆さん、がんばっていきましょう!!
7月15日
約400名が参加。
国護りの旅~台湾~の報告会があり
大変盛り上がりました。
発表してくれた
三浦さん、長島さん、清水さん
お疲れ様でした。
私がまずお話したのは「恩返し」についてです。
最近、二つの恩返しができました。
ひとつは「矢野弾先生の傘寿をお祝いする会」
もうひとつが「日本コミュニケーション協会10周年記念 マジックフェスティバル」
未来の為にお金や時間を使うことも大切ですが
過去の出来事への恩返しに使うことも大切だという話をしました。
また決断の重要性も話しました。
・本気で働く
・人のせいにしない
・言い訳をしない
感想を聞くと、ぐっときた方も多かったようです。
後半は今後のビジョンの話。
日本を護ること、中国の脅威など。
ただしいつまでも戦後のGHQのせいや
中国の工作のせいにしてはいけない。
強い敵より弱い味方という言葉があるように
まずは自分がしっかりしなければならない。
若者にはぜひ強くあって欲しい。
7月9日
スペシャルゲスト
アンドリュー・ゴールデンハッシュ(世界屈指の奇跡の指先)
日本コミュニケーション協会主催での全国ツアー。
東京大会の責任者の一人として、今大会に関わりました。
当日は、銀座に150人のお客様が集まり、満席でした!
私も、伝道師という最高位の立場をいただいておりますので、
テーブルをまわり、目の前でたくさんのお客様にマジックを披露させていただきました。
笑顔、笑顔でやっているこちらも、大変楽しかったです。
そして、久しぶりのステージです。
我々ムロチームは6人(ムロ、ムック、タンタカタン、はらぺこ、マミー、はっぴぃ)で15分間。
ワープマジック、男がニヤケるマジック、パンティチーフ、ペットボトルキャップが中に入るマジック
の4つをやりました。
「もっと見たかった。もう終わるの~って思った。」
「笑えました!」
「あのマジック、私もやりたいでーす!!」
などなど、大変好評でして嬉しかったです。
続いて、時代劇組、戦隊ゴレンジャー組が爆笑で盛り上げ、
HERO師匠のペンダントリング選手権では、一番の盛り上がりでした。
(参加型は本当に盛りあがるんです)
机の空中浮遊で会場は一気に魔法の世界へ。
モーリーさんは、千円札の空中浮遊、ロープマジックで大いに感動をあたえてくれました。
そして、アンドリューが登場!!ワールドクラスのマジシャン登場に会場全員が
アンドリューを凝視。
最後、針と糸を口の中に入れて、最後に糸が通った針を口から出した時は、泣いているお客様もいました。
私の関連では20人が観に来てくれましたが、皆さん
「来て良かったです!感動です!!」と言ってくれました。
本当に有り難うございました。
2次会の模様など、写真は相談下さい。
★コミュニケーションマジックブログ
http://bit.ly/P45KUu
7月1日
タレント・演出家 池谷直樹 先生
池谷直樹さんと言えば、池谷幸雄さんの弟として有名になり、スポーツマン選手権で
ケインコスギさんの対抗馬として、ヒール役で登場したイメージが強い方が多いでしょう。
でも、本当にいい人です!!
今年の新年会で、パフォーマンスをやってもらったのがきっかけで知り合いました。
その時のレベルの高さと、お人柄がとても良くて一度飲みに行って意気投合!
今回の講演会に至りました。
しがくセミナーでの話は、夢を叶える為に必要なことは何なのかが、とてもわかる話。
兄との比較で育った幼少期~日本体育大学までの話はすさまじかった。
清風中学時代、チーム練習がうまくいかないときは、なんと13時間正座!!
後におかんに話したら、「お花の先生になれんちゃう?」とのこと。
すごい器・・・。
中学では全国優勝
高校も優勝
大学は、団体のために頑張ったら個人総合5位入賞!
アトランタ五輪を目指すも、全日本12位で惜しくも行けなかった。
なぜ、行けなかったか。
「私は五輪に行くという決断が遅かったのです。一年前に決断しましたから」
つまり、五輪に行く人は中学生時代から決断しているのだそうです。
あと、ケインの咬ませ犬で出演したモンスターBOX。
ケインに指導していたのが、池谷さん。
ケイン一人勝ちもつまらないからということで、いきなり出演決定。
世界記録の23段を跳んだ!!
印象に残った言葉は、
「体操選手として負けてはいけない」
世界記録樹立の時の古舘アナ
「池谷弟でなく、池谷直樹と呼ぼうではないかー!」
今後は、SROサムライロックオーケストラを成功させる事に全力を注いで行くとのことです。
サムライロックオーケストラを応援しています!
6月24日
桃園神社の見学
ここは日本か?と誰もが思いました。
神社は200社以上あったが、全て国民党蒋介石に破壊されたと思っておりました。
ここは、なぜか残っている。
しかし、形だけが残っていて、そこには神社独特の神々しい雰囲気はありません。
魂が無いってこういうことか・・・なんて思っておりました。
最後は
『台湾空軍博物館』を見学
これがフライングタイガー。シナ事変の時に、撃ち落としても撃ち落としても向かってくる中国国民党軍。
実は裏では、アメリカのフライングタイガーに米兵が乗って戦闘行為をしていたのだ。
これは、完全に戦争のルール違反。アメリカは関与していないの一点張りだったが、時代と共にわかることが多い。
中国国民党の空軍博物館に、なぜドイツ製の戦闘機の展示があるのか。
日本は、ドイツと同盟を結び、連合軍と戦っていたのでは無いのか?
どうやら、ドイツは裏で敵国とも組んでいたようだ。
外交、政治、軍事、本当に歴史を勉強しないといかん!!
日本人の常識なんて、軍事、外交、政治に関しては全く通用しません!!
台湾ツアーの経験は、私含め30人の若者にとってかなり刺激的で、今後それぞれが日本を背負っていくリーダーとして、かけがえの無いものを得ました。
井上和彦先生はじめ、台湾の皆様、一緒に参加されたメンバーの皆様、本当にありがとうございました!!
6月23日
蔡さん達との懇親会のあと、ホテル1Fのラウンジで2次会。
台湾の若者と交流をしました。
日本留学経験がある陳さんには『まずは上司を勝たせなさい』の台湾版『99%的水蜜桃族沒發覺的工作規則』を差し上げました。
陳さんはお茶の水女子大に留学し、今は大学の先生です。
タイトルを見て、「すごい良いタイトルですね!」と言っていました。
サインを書いて差し上げました。著者のサイン入りは初めてらしく
また、台湾で日本語学校の先生をしている方は、井上和彦先生を見た瞬間
「ファンです!こんなところで会えるとは~!」と大喜び。
チベット人も2人来てました。
慶応大学の日本人も留学しているらしく参加。中国語ペラペラでした。
特に、チベット人の方とは哲学的な話や、仏教の話でかなり共感しました。
マジックなどもして、大変楽しい交流会となりました。
6月23日
蔡焜燦(サイ・コンサン)さん、台湾人との交流会
夜、蔡さんからお食事にご招待されました。
アンバサダーホテルの2階にある店で、
司馬遼太郎や、小林よしのりさんも、蔡さんに御馳走になっている店です。
感動・感動の2時間でした。
皆、泣いてました。中には嗚咽を漏らすほど泣いている人もいました。
Will 8月号に載っている、台湾歌壇の皆さん、三宅さんも参加。
各テーブルに若者と台湾のおじいさんおばあさんが交ざって盛り上がっておりました。
日本語が本当に上手で、まるで日本にいるようでした。
皆、日本人として生まれた方々です。
台湾人のほとんどが日本人が大好きだと言うことでした。
『そのくらい素晴らしい統治をしたと、日本に誇りを持ちなさい!!』(蔡焜燦さん)
『日本は、何も悪いことはしていないんだぞ!!』(皆さん)
『私は、日本に怒っている。台湾は東日本大震災の義援金を世界一の200億円以上出したのに、日本が感謝の気持を述べたアメリカのニューヨークタイムズの広告に台湾の名前だけ無かった。悲しい。そんなに、中国が恐いのか、私は何も恐くないよ!!』(90歳、リンさん)
声を震わせて、話すリンさんに、会場から嗚咽が漏れた。
終わった後も、日本の若者がリンさんの元に行き、泣きながら『スミマセンでしたーーーーーー!』と握手して頭を下げる姿を見て、
日本政府の対応に、更に更に怒りを感じた。
なぜ、日本が台湾の名前を載せなかったことに対し、日本の若者が泣きながら謝っているのだろうか。
私も、いろいろな思いが頭を駆け巡り、泣いていた。
実際に日本人として20歳まで生きた人たち。
その方々の本当の思い。
日本人として誇りを持ちなさい!とおっしゃる気持ち。
古き良き日本がしっかりと残っている台湾に、更なる愛着が湧いてきました。
6月23日
人権パーク
2.28事件後の、国民党の残虐な実体の展示館。
【郭さん、井上先生の話】
戦後、日本が出て行った後が最悪だった。地獄の始まりだった。
国民党のシナ人は、現台湾在住者の11%を占める。
統治に入って来たシナ人は、台湾を治めるためになんとリーダー達を虐殺したり、追放したりした。
日本贔屓も禁止。
日本語を話したと言うだけで、懲役10年!!(信じられない)
蒋介石を呼び捨てにしたら懲役10年!!(うそでしょ!これ?)
数名で話合うことも禁止された。(まるで、今のチベットやウイグルのようだ)
当時の拷問の話
手の平と、ふくらはぎに針金を貫通させ、目隠しをし、一人ずつ撃ち殺して海に捨てる。
郭さんは、日本語を話しただけで捕まり、両手両足の親指の爪をはがされて、火焼島に島流しにされた。
そして、体中に砂糖水を塗られ、野原に放置され、蟻に咬ませると言う最悪なひどい拷問を受けたそうです。
赤字や修正文字は蒋介石が書きました。
その日の気分で懲役15年の人が、死刑にされたりしました。
新聞紙40枚を重ねて作ったという郭さんの布団だそうです。寝るスペースはこれしかありませんでした。
皆、横になって眠ったそうです。人権なんてありません。
台湾で、このような展示館がある事に驚きました。
李登輝さんや陳水扁さんが少しずつ空気を変えてきたのだそうです。
この展示館には誰でも入れます。
国護りの旅に参加したメンバーさんは、事実にふれて、
いかに国民党シナ人がひどい事をやってきたのかがわかったようです。
また、中国と台湾は明らかに違うんだと言う認識が芽生えた人も多かったです。
・烏来へ移動 烏来にはタイヤル族が暮らしている。普通のおみやげ屋さんのおばさんが、日本語で話してくれた。
おばあさんから習ったのだと言う。
・大東亜戦争時、日本兵として闘ってくれた高砂義勇隊の記念碑を見学、慰霊した。
タイヤル族の酋長の息子さんが出迎えてくれました。
なんと井上先生のご学友だった。二人でかなり盛りあがっていました!
高砂族は、日本人と共に闘った。ジャングルでの戦闘でものすごい力を発揮。
食べて良いものを見分けてくれたり、道を教えてくれたりした。
・当時の話
食料を取りに行った高砂族の人が、戻ってこないので、探しに行くと倒れて餓死していた。
日本兵に届けるためのたくさんの食料を抱えたまま!!
感動しました。
6月22~24日
メンバーさんとのツアーは、本当に心地よい。
まず、皆さん明るくて元気、さわやかです。
時間はしっかり守りますので、変なストレスがありません。
どこを廻っても、トラブルや誰かが居なくなったということが無い。
ベテランメンバーが多いせいか、変にテンションが高すぎないので、
一緒に居ても疲れません。
本当に、素晴らしい皆さんでした。
さて、初日のメインは
台北2.28記念館です。
2.28事件とは・・・
1947年2月27日、台北市内で外省人(中国大陸籍)官吏が、
たばこ売りの台湾人女性を銃床で殴打したことをきっかけに、
翌28日から国民党統治に対する抗議行動が台湾全島に拡大した。
国民党軍は武力による鎮圧に踏み切り、殺害・処刑された被害者は、
その後の政治弾圧を含めて1万8000~2万8000人とされる。
・・・
上記の事件から50年後に記念館を設立しました。
1945年、日本が戦争に敗れ、台湾統治を放棄しました。
その後、何の条約も無いのに、勝手に台湾に入ってきたのがシナの蒋介石率いる国民党です。
そして、
・戦闘機約889機
・戦車や鉄砲
・船舶525隻
・20万将兵の2年分の装備軍用品
・食料231万トン
・私企業、ビル、文化施設20万の住宅
・7つの銀行の本支店の預金全部
・米や雑貨日用品全て
『敵産』として没収された。
当時の金額で約110億円
すべて、蒋介石にぶんどられました!
泥棒みたいなものです。
つづく
6月22日
30名のメンバーで台湾へ行ってきました。
井上和彦先生(軍事ジャーナリスト)に案内をしていただきました。
今ツアーで以下の事が大変良くわかりました!
①台湾人は世界で一番日本が大好きなのです。それはなぜか?
②日本には2発の原爆を落とし、台湾には蒋介石(しょう・かいせき 共産党に敗れた国民党のTOP)
を落とした!と言われている理由
③蒋介石が、世界TOPクラスの大悪党と言われる理由
④製造技術が素晴らしい理由
⑤病院が充実し、医師が世界的に優秀な理由
⑥街が清潔で、臭くなく、食べ物がおいしい理由
⑦中国人(シナ人)とは、全く違う民族であると言うこと
⑧中国を振り払い、台湾として独立(建国)した方が絶対に良い
⑨日本は、台湾や朝鮮に対して搾取したのではなく、世界で一番の統治をした事
⑩東日本大震災の義援金が200億円も集まった理由
⑪日本人の先輩は、戦前、台湾に対して本当に素晴らしい事をした。胸を張って誇りを持って良いと言うこと!!
などなど、直接70~90代のおじいさん、おばあさんに話を聞きました。
現地を視察に行きました。
驚きと感動、涙のツアーでした。
日本人の皆さん、台湾を学ぶと今までの学校で学んできた事が、
いかにねじ曲げられていたかがすごくわかります。
蔡焜燦(さい・こんさん)さん曰く
「日本人よ、胸をはれ!あなたたちの先輩は、決して悪いことなどしていない!」
つづく
6月22日
コミュニケーションマジックのWEBサイトをリニューアルしました。
どんなマジックができるようになるか、動画も用意しました。
是非ご覧になってみてください。
6月14日
『水ビジネスをめぐる世界の動き』
グローバルウォータ・ジャパン 代表 吉村和就先生
かなり密度の濃い、おもしろい時間でした。
(笑いも多かったです!!)
一部を公開します。
・地球の97.5%が水。 しかし0.01%しか使えない。
・東京では、一人一日300L使う計算。
・日本は海水を淡水にする技術が世界一。
・海水を淡水に変えれば、世界の水問題は解決するか?
→答えはNO
なぜなら、1トンの淡水を作るのに、1キロワットかかる。
よって、100トンの淡水を作るのに、100キロワットかかる。
エネルギーがかかり、値段が高いので、大金持ち以外は無理。
しかも、一トンの海水から淡水は500リットルしか出来ない。
残りの水の塩分の濃度が5%から7%になってしまう。
7%を海に放流すると、生態系が乱れる。
ちなみに7%の濃度ではほとんどの生命体は死滅します。
148カ国中、たった21カ国しか自国の水源を持っていません。
水の問題は、増えることはあっても今後減ることは当分ないでしょう。
日本の水は、中国人によって狙われています。すでに買われています。
一刻も早い法整備を望みます。