3月20日
「二宮尊徳」 清水崇史さん
合格!
歴史に学ぶリーダーシップ講座のテストで、A講師清水さんが合格!
初めて知った!というような話もドンドン飛び出します。
さすがベテラン講師、おもしろくってタメになります。
お楽しみに。
投稿者「admin」のアーカイブ
歴史に学ぶリーダーシップ講座 東郷平八郎
第75回 しがくセミナー
4月3日
講師 東洋史家 宮脇淳子先生
東京外国語大学・国士舘大学で非常勤講師を務める。専門は東洋史(中央アジア)。
チャンネル桜や、WiLLでおなじみの宮脇先生が登場。
歴史の根本を「歴史書」の視点からお話いただきました。
教科書、学校では決して教えてもらえない歴史のお話は、
若者の学びスイッチをオンにしたようだった。
今後は、定期的に教えてもらいたいと思いました。
第74回 しがくセミナー
3月6日
講師 ワック株式会社 鈴木隆一社長
ワック株式会社は、出版部と番組制作部を軸に多面的な情報を発信しております。
出版部は総合誌『WiLL』、歴史読物『歴史通』の雑誌をはじめ、新書シリーズ『ワックBUNKO』のほか、各種単行本を発行しております。
番組制作部は、地上波、BS、CS等のチャンネル向けにカルチャー・エンターテイメント番組を制作し、テレビ局のみならずインターネット、DVDなどのあらゆるネットワークで配信しております。科学番組『ガリレオチャンネル』や『花田紀凱ザ・インタビュー』のレギュラー番組のほか、ドキュメンタリーの特番、さらに飛行機、船、ミリタリー等のホビー系のコンテンツをプロダクツしております。
普通は聞くことのできない鈴木社長のお話は、大変貴重でした。
ワックグループは、ワックの雑誌WiLLが絶好調。
フィルムヴォイスの映画442も絶好調。
その秘訣を余すこと無くご披露いただきました。
第5回 室舘塾ユース
「道経塾」モラロジー研究所に載りました
福島県南相馬市へ物資支援
4月7日
昨日は福島県南相馬市へ物資を届けに行きました。
日本国際芸術文化協会 のボランティアとして、社員の伊藤君と一緒に6名で行って来ました。
なぜ南相馬市かと言うと、放射能の関係で一部の人たちから見捨てられた街と聞き、いてもたってもいられなくなったからです。
小川町体育館へ衣類や食糧を届けに行ったら、30歳前後の管理責任者に衝撃を受けました。
目を輝かせながらこう言いました。
「僕は家を失っただけですから。身一つで復興はやっていけます」
これだけ目が輝いている人は東京にもそうはいない。
逆に彼からエネルギーをもらった。
私たちが帰る時に、帽子をとり何度も何度も頭を下げる姿が印象的だった。
海岸近くを車で通ったが、ここで伊藤君の感想を。
「テレビやネットで見てはいましたが、想像を遥に超える光景でした。見渡す限りの更地は、空爆をされたとしてもこうはならないです。防波堤を乗り越えてきて散乱しているテトラポットが墓標のようでした。作文や手紙など、思い出の品が至る所に落ちており、胸が絞めつけられるような感覚でした。約1ヵ月経っているので遺体はありませんでしたが、震災直後は地獄絵図だったのではないかと思いました。1000年に1度という歴史的な出来事を目の当たりにし、忘れられない衝撃的な1日となりました。」
とのこと。
被災者ではない人が言う「頑張ろう日本!」とか「1日でも早い復興を」という言葉はとても軽い言葉だと思った。
現地の人は、一瞬で更地となった自分の街、中々物資が届かない現状、放射能に対する不安などを抱えながら生きている。
6.5μシーベルトの飯舘村を通り、0.5μシーベルトの南相馬市に行ってみて、初めて現地で生活している人の気持ちがわかった。
身をもってわかった。
南相馬市の状況は、結果的に見て政府の失敗だと思う。
福島第1原発から約25kmで、屋内退避なのか自主避難なのかはっきりしていない。
民主党の国民の生活が第一って一体なんなのかと疑問に思った。
やすくに活世塾 1期生修了式
3月5日
靖国神社より、活世塾の修了式にて、1期生に向けての祝辞の依頼を受けました。
大変光栄な事ですので、有り難く引き受けました。
修了式では、代表して塾生10人のスピーチがありました。
それぞれが今後どのように活かすのかを発表。
各人が想いのこもった内容でありました。
その後、懇親会にも招待され高森先生含め、塾生の皆様と楽しいひとときを
過ごしました。
2次会は、知覧の富屋食堂でおなじみ鳥濱トメさんのお孫さんの店であります
新宿三丁目の『薩摩おごじょ』
弊社の塾生、田杭、川端含め9名で懇親。
モラロジー研究所の鈴木さんも参加。
大阪の浜野ゆきこさんからの紹介でスペシャルゲストが。
産経新聞などでおなじみの河添恵子先生登場!
東アジアに詳しい先生のお話を中心に大変盛り上がりました。
店主の赤羽潤さんが隣の席の人を紹介してくれました。
劇団「夜想会」の方々がいらっしゃいました。
『俺は君のためにこそ死にに行く』のキャストの皆さんです。
http://yasokai.world.coocan.jp/framepage2.htm
観に行くよ!と約束。
楽しみです。
コミュニケーションマジックセミナー
がんばれ日本!桜交流会
4月2日
「がんばれ日本!桜交流会」と題して、代々木公園でお花見をしました。
残念ながら私は参加できませんでしたが、多くの方が集まり交流を深めていたようです。
会場で日本赤十字社への募金を募ったところ、19万689円という多くの募金が集まりました。
ありがとうございました。
花はあまり咲いてませんでしたが、みなさん決起していたようです。
花見の歴史
花見は奈良時代の貴族の行事が起源だと言われている。奈良時代には中国から伝来したばかりの梅が鑑賞されていたが、平安時代に桜と変わってきた。その存在感の移り変わりは歌にも現れており『万葉集』において桜を詠んだ歌は40首、梅を詠んだ歌は100首程度だが、平安時代の『古今和歌集』ではその数が逆転する。また「花」といえば桜を意味するようになるのもこの頃からである。
『日本後紀』によると、嵯峨天皇が812年(弘仁3年)に神泉苑にて「花宴の説」を催した。これが記録に残る最初の桜の花見だとの説がある。831年(天長8年)から場所は宮中に移り、天皇主催の定例行事として取り入れられていった。その様子は『源氏物語』「花宴」に描かれる。『源氏物語』には藤を鑑賞する宴会についての記述もあるが、この頃には「花」はほぼ桜と同義に使われるようになっていたためか桜以外の花を観賞する宴が花見、花宴といわれることはない。
吉田兼好の『徒然草』には貴族風の花見とそうでない田舎ぶりの花見の違いが説かれており、室町初期には地方の武士階級にも花見の宴は行われていたことが伺える。
織豊期には野外に出て花見をしたことが、絵画資料から確認される。この時期のもっとも大規模な花見は豊臣秀吉の醍醐の花見である。
花見の風習が広く庶民に広まっていったのは江戸時代、徳川吉宗が江戸の各地に桜を植えさせ、花見を奨励してからだといわれている。江戸で著名な花見の名所には愛宕山などがある。この時期の花見を題材にした落語としては『長屋の花見』や『あたま山』がある。
東北地方太平洋沖地震支援活動
3月30日
東北地方太平洋沖地震支援活動
(仙台市若林地区)
日本国際芸術文化協会(http://ijac.jp/ )
は、現地へ直接救援物資を届けている団体。
理事を務めている私も、直接現地へ行くことにしました。
詳しくはこちらをどうぞ
http://ijac.jp/blog/featured/1403.html
小さな事しか出来ませんが、少しでもお役に立てればと思います。
物資も徐々に行き渡って来たようで、本当に何よりでした。
体育館内では、1mも無い囲いがあるだけでプライベートは当然ありません。
被災者の方々が少しでも元気になって、一日も早く日常に戻れるように、
今後も支援をしていきます。
また、津波の被害を受けた荒浜地区をみてきましたが、初めて見た瓦礫の山の光景に絶句しました。
津波は本当に恐ろしいです。全てを飲み込むとはこういうことなんだと、現場に立って実感しました。
潮と泥の混ざったにおいは一生忘れないでしょう。
津波の来た現場に立ち、一回の支援や募金では無く、今後もやり続ける決意をしました。
緊急救援物資・義援金はこちらで募集しています。
http://ijac.jp/activity_disaster.html
今できること
40歳の誕生日
第十一回室舘塾
3月27日
犠牲者に対し黙祷を捧げてから開始した、震災後初の室舘塾。
やはり地震関連の話。
・天皇陛下の皇居での自主停電のお話
停電のない日も昼夜2回、2時間ずつ暖房と明かりの無い生活をされる。
このような国家元首がいる国は、おそらく世界広しと言えど、我が国だけであろう。
・2週間経って思うことの発表。
今すぐの短期的な事と長期的な根本的なことに分けて考えよ。
日本の将来のリーダーになる塾生は、根本的な事や長期的な事も同時に考えるよう指導。
リーダーとは、人より先を見つめて長期的、根本的に考えねばなるまい。
・ビートたけしのコメントより勉強(週間ポスト記事)
・産経新聞と朝日新聞の記事の特徴について
・水ビジネスからの撤退
・リーダーは根拠のある決断が大事
・小説の徳川家康より「神仏に聞け」
・トップとの信頼関係について
などを話しました。
佐藤正久議員との対談
3月9日
参議院議員会館にて、自民党の佐藤正久先生と対談しました。
しがくセミナーでもご講演頂き、ご存知の方も多いかと思いますが、
佐藤正久先生は初めてイラクに自衛隊を派遣した時の隊長を務め、
隊員を一人も死なせずに戻ってきたという方です。
当時は「ひげの隊長」と呼ばれ、話題になっていました。
その佐藤先生と「日本の将来を担うリーダーを育てるには」というテーマで対談しました。
しがく新聞4月号に掲載されますのでお楽しみに!