9月22日
野倉先生のお宅にて、着物塾:第五期袴編の生徒とのお茶会。
日に日に、自分で着物を着られる人が増えてきております。
着物塾を開催しはじめて、男女合わせて100名以上の方が着れるようになりました。
野倉先生のはからいで、
この度のお茶会も、お能、琵琶演奏も楽しめる、大変有意義な会となりました。
様々なものに触れ、実力を磨き、30歳くらいになっていくと、
こういった伝統的、文化的な事にも興味が出てくるようで、大変嬉しいです。
9月22日
野倉先生のお宅にて、着物塾:第五期袴編の生徒とのお茶会。
日に日に、自分で着物を着られる人が増えてきております。
着物塾を開催しはじめて、男女合わせて100名以上の方が着れるようになりました。
野倉先生のはからいで、
この度のお茶会も、お能、琵琶演奏も楽しめる、大変有意義な会となりました。
様々なものに触れ、実力を磨き、30歳くらいになっていくと、
こういった伝統的、文化的な事にも興味が出てくるようで、大変嬉しいです。
5月17日〜20日
志学奉仕団として、14回目のご奉仕に行ってきました。
天皇皇后両陛下、皇太子殿下も大変お元気で、心よりありがたく、うれしかったです。
お掃除は4日間、皆さんで一生懸命やってきました。
綺麗になりました。
平成21年10月から皇居勤労奉仕に申込み、
人数が減っている現状を何とかしようと年二回参加してきた。
当時の目標。
それは、勤労奉仕が参加者であふれ、我々が入れなくなるという状態を作ることだった。
今年は参加希望者が多く、抽選で落ちるようになった。
悲しいが、うれしいです!!
4月27日、28日
キャリアコンサルティングでは、年に一回大抽選会をし、
一組7~10名ほどで班を作り、班ごとに社員旅行に行きます。
必ず「くにまもり的要素を入れる」ことをルールにしました。
今回は、第一陣と言うことで、緊張感?を持って出発。
・中條高徳先生のお墓参り
・旧造り酒屋跡のお店「萱」でお蕎麦をいただく。
・松代大本営見学(全長6キロの縦横穴。昭和天皇をお迎えするかも知れないと言う予定があった)
旅館にて宴会!から二次会で夜中まで。
・国宝 八角三重塔
・旧常田舘製糸場 素晴らしく面白い解説が聞けました!
・河原のテントで魚料理
・上田城見学(真田昌幸、恐るべし!凄い!)
・真田丸ドラマ館見学
・柳町通り散策(岡崎酒店の亀齢という純米酒、美味しいです! 武田味噌さん、沢山味噌買いました)
・締めは、上田駅前の居酒屋で一時間ちょっと飲み会、そして、・新幹線で静かに宴会。
10人という人数が12組ほど出来るので、社員が日本全国へ旅に出ると言うことは、色々な経験になり、器も広がる気がしました。
今後、皆さんの報告を聞くのが今から楽しみです。
4月10日
遠州流茶道の許状式。
5年間修行の成果を認められ、
『師範』をいただきました。
庵号は『忘機庵(ぼうきあん)』です。
引き続き、茶道を通して人間力を鍛えて行こうと思います。
–しがく新聞5月号より抜粋、加筆
稽古照今、心を豊かにする茶道
–リード
遠州流茶道小堀宗実十三世家元より、この度「師範のお免状」と、庵号『忘機庵(ぼうきあん)』をいただきました。
この数年は月に四回あるお稽古に、ほぼ皆勤で通いました。
ひとつの節目として、茶道を通して何を学び、何に気づきを得たのかを話してみたい。
–本文
奥のお部屋へ、とお家元より呼ばれた。『忘機庵』と一声発せられ、大きな看板とお免状をいただいた。感無量である。
茶道を始めたばかりの頃は、正座もまともにできず、足の痺れとの戦いだった。痺れで集中できず、なかなか作法も覚えられなかった。
そんな私が、まさか師範をお許しいただけるとは、想像もできなかった。
茶道では、日取りや季節に合わせて、お客様の心が豊かになるものを設える。
お菓子やお花飾りは、季節を少し先取りして飾り、お客様に季節の到来を伝える。
設えのなかでも、一番大切にするのが掛け軸。
今日という日に、どんな掛け軸が相応しいかを考える。
お稽古をしていくことで、おもてなしの感性が磨かれていく。
花や書、器などにも、少しずつ興味を惹かれていった。
そんな茶道での経験が思わぬときに活きた。
経営者の会合に、着物で出かけるようにした。男性の着物姿は珍しく、参加者から、自分も着てみたいという声があがった。日頃から、必ず着物でお稽古にいくことで、着物での立ち居振る舞いが茶道を通して板についてきたからではないかと感じた。
さらに、主催者からも「会の格が上がったよ」と言われ、とても嬉しかった。
ペマ・ギャルポ先生より、インド大使公邸での晩餐会に主賓として誘われた。
当時の大使、ワドワ女史が出迎えてくれた。ワドワ大使の前に席があり、不慣れな私は少し緊張した。茶道では、まずは御正客が話し始めるのを思い出し、話を切り出した。
「玄関に蓮の花が飾ってありました。この場をコーディネートされたDr.ペマへの敬意の表れですね。素敵です。蓮はチベット語でペマですからね」
ワドワ大使は感激され、晩餐会の空気が和やかになった。
エストニアから十一名のお客さんが弊社に来られた。
縄文心導のインストラクターで、日本文化に詳しく、大変興味を持っていた。会社に作った、三畳の小上がりの茶室で、和菓子とお抹茶を振る舞うと、最高の笑顔で返してくれた。
すると、矢継ぎ早に質問が始まった。
「茶道はいつの時代に始まったのか」
「誰が何の目的で始めたのか」
「お抹茶の成分は何か」
「点てる人で味が変わるのか」…。
通訳の力も借りて、なんとか全ての質問に答えられた。日本の伝統文化を体験し、学びが深まったことに、満足してくださったそうだ。
日本文化を広めることに、少しは貢献できて自信になった。
百五十名の社員の誕生日に、一人ひとりを会社の茶室に招き、お祝いの小さなお茶会を開いてきた。
エネルギッシュに働く日常に、静の空間を提供する。「いつも有難う」「今年も良い一年になりますように」という想いを、言葉ではなく、一服のお抹茶に込める。
社員は、立ち止まることで、何か大切なものを感じて茶室を後にするようだ。
お礼のメールや手紙を拝見する度に、茶道をやっていて良かったと思う。
正直、「人生や仕事の何に活きるのだろうか」と茶道を始めたのが五年前。
そこから、真剣に打ち込んだ数年間を振り返ると、多くのものをいただき、心が豊かになってきた。
これからも、日々稽古照今の気持ちで精進し、目の前の人のためにと真心込めて、無心の一服をお出ししていく。
4月7日
靖国神社で行われた「桜花の季節御神楽の儀」に社員7名で参列しました。
私以外の6名は初の経験で、
「幻想的で感動しました!」と話していました。
・浦安の舞(昭和天皇御製)
・榊舞 (明治天皇御製)
・玉垣の舞(明治天皇御製)
『わが國の ためをつくせるひとびとの 名も武蔵野に とむる玉垣』
など、246万6千余柱の御英霊に捧げる御神楽の舞は本当に素晴らしかったです。
その後の懇親会の参加者の中には、ケント・ギルバートさんも来ており、久しぶりの再会で会話が弾みました。
参加した社員は、
「こんなに素敵な時間を過ごせたので、明日からの活力にもなります!」
と一同盛りあがっておりました。
何事も経験ですね。
1月10日
書き初めは小学校時代やっておりましたが、
遠州流茶道では年の始の行事を『点初め(たてぞめ)』と言います。
小堀宗実13世家元のお点前を目の前で拝見し、素晴らしい一年のはじめを迎えました。
お家元は今年、還暦を迎えます。
記念の年ということで、お家元好みの棚は至る所に6角形を用いており、
ハイセンスなこだわりを感じさせて頂きました。
寄り付き入り口の掛け軸は何と、初代小堀遠州の父、新介正次作!(400年程前のもの)
寄り付きには、小堀遠州の掛け軸が品良く掛けてありました。
御濃茶席から、点心の席、薄茶席とそれぞれに、新介正次0代目~初代遠州公、2代目3代目~13代目まで、歴代の方々の何らかのお道具や作品が、飾られていました。
こんな贅沢はありません。
一般的に、これほどの物はガラス越しにしか拝見できません。
遠州流茶道宗家、直門で本当に良かったと感動した一日でした。
1月3日
約720名で集合写真を撮影し、昇殿参拝をしました。
例年にも増して着物での参拝者がたくさんいました。
皆さん大変素敵でした!
きもの担当の内田マネージャーから
『着物での参拝は御霊鎮めという意味がありますから・・・・』
との話に多くの方が賛同したのです。
今年も一年、日本を護るために戦ってくださった御英霊に対し、
感謝の気持ちを持って励むことを誓いました。
12月13日
私のささかやかな夢の一つが叶いました。
仲間と共に、着物を着て日本酒を楽しむ会です。
4年前に「開催したいね」と言っていた会が実現しました。
茶道の先輩の野倉幸男先生が懇意にされている南流山の京料理「かねき」さんにお世話になりました。
かねきさんは、大好きなお店の一つです。
お店の1階を貸し切って、皆が着物を着ての会合は、なかなかないようです。
みなさんの着物が本当に素晴らしくて、大将も女将さんも大変喜ばれていました。
これも着物塾でもお世話になっている野倉幸男先生のお陰です。
しがく式のレッスンでも教えているエルトゥールル号の海難事故。
トルコ、日本の絆を強めた実話を映画化。
『海難1890』
(左:トルコのポスター 右:日本のポスター)
涙が止まりませんでした。
是非、劇場まで!
10月25日
遠州流茶道、石川先生のお茶事に招かれました。
行き届いた輝けるお庭、心のこもった各部屋の掛け軸やお道具。
本来なら美術館でガラス越しでしか見られないような逸品ばかり(古田織部の茶杓など)。
お茶事の凄いところは、
そんな逸品でお食事やお酒、お茶を頂けることである。
おもてなしの究極をお見せいただきました。
本日も歴史や伝統文化、おもてなしなど大変勉強になった日でした。
9月12日
神楽坂にある遠州流茶道宗家の門を叩いて五年。入門当初からお世話になっている野倉宗衣さんの茶室開きがおこなわれた。その茶事から私は「おもてなし」というものについて、改めて深く考えさせられた。今回は茶道にみる「おもてなし」に触れてみる。
和菓子をいただき、お抹茶(薄茶)をいただく。これが一般的な茶会だが、本来は「茶事」と言って、懐石料理にお酒、和菓子、お抹茶を楽しみながら、思い思いの話に興じる会である。戦国時代の武将や江戸時代の殿様が過ごしていた、和やかで優雅な時間を味わえる貴重なひと時だ。この度「茶室開き」という、茶室を初めて使うときに催される大変おめでたい茶事を、茶道の先輩である野倉さんが開かれ、私もお招きいただいた。
茶事が始まる前は、寄付(待合所)にて待機する。そこには江戸時代の荷物入れや煙草盆が何気なく置いてある。現代では普通に買えるものではなく、この日のためにと、つてをたどって探したと言う。今まで何度か拝見したお庭も一変し、細部まで手入れの行き届いた緑が程よい湿り具合になっており、竹細工も見事だった。茶室までの通りがけに見えるだけなのに「ここまでするのか」と感服した。
茶室で最も重要なのが掛け軸。小堀宗実家元の「和光同塵」の書は、この日が初掛けだった。用意するまでの苦労を伺っていたので、目にすることができて感激だった。旬の食材で振る舞われた懐石料理は大変美味。だがそれだけではない。さらに感動したのが美しい器の数々。百年以上前の代物が、次から次へと当たり前のように出てくることに本当に驚いた。
茶事のメインイベントがお抹茶(濃茶)のひと時。濃茶の前には和菓子をいただく。振る舞われた栗の和菓子は、知る限り最高のものをと、わざわざ岐阜県まで行って選ばれたものだった。
そして濃茶。これまで十数年も積み重ねてきた茶道の稽古は、この日のためにあったのだろうと思うと感慨深いものがあった。一年以上も前から悩みに悩んで選ばれたのが、百年以上前の堅手の茶碗。心を込めて点てていただいた濃茶は最高の味だった。なんとお抹茶に使う水も、岐阜の銘水がお抹茶に合う軟水だからと、直接汲んでこられたそうだ。そして、同席された方が喜寿ということで、祝いのお能「鶴亀」を謡う。その方を尊敬し慕われている野倉さんの想い溢れる姿に一同目頭を熱くした。床の間の綺麗な花入れ籠には、色鮮やかな季節の花が活けられていた。活け花も何年も前から稽古していたそうだ。しかも一番良い花を活けるために、活けてあった花の三十倍もの量を集め、その中から選ばれた。
茶事が終わり、結構なお土産をいただいて、帰路についた。途中、ふらりと店に入り余韻に浸りつつ考えた。
私は「おもてなし」ということを軽く捉えていなかっただろうか。和菓子や花、庭造り、お家元の掛け軸、懐石料理と器、なるべく江戸時代の道具をと東奔西走し、できうる限り最高のものをと労力を厭わずに茶室開きの準備をされた。そこに至った野倉さんの想いを想像すると、言葉を失った。
本物のおもてなしは「心」から始まる。相手に少しでも喜んでいただきたいという純粋な心。あの心に一歩でも近付きたい。できる限りのおもてなしをしていくことを、今後の人生のテーマにし、目の前の人の喜ぶ顔を楽しみにして生きていきたい。
◆しがく新聞2015年10月号の巻頭コラムより
9月4日
志学青年奉仕団が感動の4日間を終了し、その懇親会に招かれました。
皆さんの感想を聞かせて頂き、心から感動しました。
天皇皇后両陛下よりご会釈を賜り、自然と涙が出ましたと多くの学生から聞きました。
また、隅々まで見学させてもらえるとは思わなかった。
宮内庁庭園課の職員さんに感動しました。
といった感想も多かったです。
今回の経験を親に話したら、感心した親もいたのですが、多くはそうでも無かったとのこと。
ですが、おじいさん、おばあさんは例外なく喜んでいたそうです。
普段はあまり話さないのに、皇居の話をしたらドンドン会話が弾んだとのこと。
学生の皆さんから感謝されて、私まで幸せな気持ちになりました。
学生のうちから、皇居や赤坂御用地に入ったり、天皇皇后両陛下、皇太子殿下よりご会釈を賜ることは、世界的に見ても奇跡です。