野倉宗衣さんの「茶室開き」

9月12日

神楽坂にある遠州流茶道宗家の門を叩いて五年。入門当初からお世話になっている野倉宗衣さんの茶室開きがおこなわれた。その茶事から私は「おもてなし」というものについて、改めて深く考えさせられた。今回は茶道にみる「おもてなし」に触れてみる。

和菓子をいただき、お抹茶(薄茶)をいただく。これが一般的な茶会だが、本来は「茶事」と言って、懐石料理にお酒、和菓子、お抹茶を楽しみながら、思い思いの話に興じる会である。戦国時代の武将や江戸時代の殿様が過ごしていた、和やかで優雅な時間を味わえる貴重なひと時だ。この度「茶室開き」という、茶室を初めて使うときに催される大変おめでたい茶事を、茶道の先輩である野倉さんが開かれ、私もお招きいただいた。
 茶事が始まる前は、寄付(待合所)にて待機する。そこには江戸時代の荷物入れや煙草盆が何気なく置いてある。現代では普通に買えるものではなく、この日のためにと、つてをたどって探したと言う。今まで何度か拝見したお庭も一変し、細部まで手入れの行き届いた緑が程よい湿り具合になっており、竹細工も見事だった。茶室までの通りがけに見えるだけなのに「ここまでするのか」と感服した。
 茶室で最も重要なのが掛け軸。小堀宗実家元の「和光同塵」の書は、この日が初掛けだった。用意するまでの苦労を伺っていたので、目にすることができて感激だった。旬の食材で振る舞われた懐石料理は大変美味。だがそれだけではない。さらに感動したのが美しい器の数々。百年以上前の代物が、次から次へと当たり前のように出てくることに本当に驚いた。

茶事のメインイベントがお抹茶(濃茶)のひと時。濃茶の前には和菓子をいただく。振る舞われた栗の和菓子は、知る限り最高のものをと、わざわざ岐阜県まで行って選ばれたものだった。
 そして濃茶。これまで十数年も積み重ねてきた茶道の稽古は、この日のためにあったのだろうと思うと感慨深いものがあった。一年以上も前から悩みに悩んで選ばれたのが、百年以上前の堅手の茶碗。心を込めて点てていただいた濃茶は最高の味だった。なんとお抹茶に使う水も、岐阜の銘水がお抹茶に合う軟水だからと、直接汲んでこられたそうだ。そして、同席された方が喜寿ということで、祝いのお能「鶴亀」を謡う。その方を尊敬し慕われている野倉さんの想い溢れる姿に一同目頭を熱くした。床の間の綺麗な花入れ籠には、色鮮やかな季節の花が活けられていた。活け花も何年も前から稽古していたそうだ。しかも一番良い花を活けるために、活けてあった花の三十倍もの量を集め、その中から選ばれた。
 茶事が終わり、結構なお土産をいただいて、帰路についた。途中、ふらりと店に入り余韻に浸りつつ考えた。
 私は「おもてなし」ということを軽く捉えていなかっただろうか。和菓子や花、庭造り、お家元の掛け軸、懐石料理と器、なるべく江戸時代の道具をと東奔西走し、できうる限り最高のものをと労力を厭わずに茶室開きの準備をされた。そこに至った野倉さんの想いを想像すると、言葉を失った。
 本物のおもてなしは「心」から始まる。相手に少しでも喜んでいただきたいという純粋な心。あの心に一歩でも近付きたい。できる限りのおもてなしをしていくことを、今後の人生のテーマにし、目の前の人の喜ぶ顔を楽しみにして生きていきたい。
◆しがく新聞2015年10月号の巻頭コラムより


コミュニケーションマジックは相手が主役

これは、しがく新聞05月号のコラムです。

◆リード:
マジックを始めて早10年。私のコミュニケーション能力を支えてきた一つにマジックは欠かせないものである。マジックの師匠であるMr.ヒーローは、このたびハリウッドにあるマジック界の殿堂「マジックキャッスル」にメンバー入りを果たした。これを機会にマジックを通して見るコミュニケーションについてお話していこうと思う。

◆本文:
出会いは約十年前の起業家交流会だった。Mr.ヒーローは最初、普通にその交流会に参加していて、毎月のように顔を合わせていた。それがある日、突然サングラス姿で現れ「これからは、マジックを通して人を笑顔にし、笑いと感動を与えていきます」と力強くスピーチしたのだ。会場の至る所から苦笑が漏れた。懇親会の席で「ムロさんもマジックやろうよ」と何度か誘われ、私も重い腰を上げた。簡単なマジックを覚え、部下やお客様に披露してみた。するとある日、変化が起こった。今までの人生で見たこともないリアクションをしてくれるのだ。私のことを「マジックの人」とか「面白い人」と呼ぶ声も聞こえてきた。これには自分自身が一番驚いた。
失敗談もある。仲間五人で食事をした際、いつものようにマジックで盛り上げ、話題の中心にいた私を横目に、友人が少し寂しそうな顔をしていた。私はなんということをしてしまったのか。笑いや感動どころか、寂しい思いをさせてしまったのだ。コミュニケーションマジックで大切にしているのは、相手の立場に立つということだ。「自分が主役ではなく、相手が主役なのだ」とMr.ヒーローに常々言われている。私は、その教えに背き、自分が主役になってしまっていたことに、ただただ申し訳ない気持ちで一杯になった。その後は心を入れ替えて全員が楽しめるように気配りをするようになった。

人と会うときは、自分で調べたニュースを一つ持って行きなさい。矢野彈先生から教えていただいたことだ。コミュニケーションにおいて大切な相手の立場に立つということは、このように相手に想いを巡らせることだ。例えば、海外の人で言葉が通じないとき、マジックが大いに役立った。三枚のトランプの中で一枚のカードが変わる「チェンジカード」というマジックがある。カードを相手の国旗に変えると、硬い表情が驚きに変わり、まるで友達のように表情が和らぐ。たとえ言葉が通じなくとも、相手のことを考えていけばコミュニケーションを図る手段は多くある。
Mr.ヒーローの下には、およそ五百名の会員が集まり、ほとんどが経営者である。多くの経営者は、多少のお金はあるけれども時間が無く練習ができないという。それにも関わらず、なぜこれだけの人数が集まってきたのだろうか。Mr.ヒーローは千を超えるマジックを試したと聞く。そして生まれた、手先が器用でなくても、練習時間をそれほどさかなくても、笑いと感動を作り出せるコミュニケーションマジックを伝授してくれているからだ。Mr.ヒーローの周りにはいつも笑いがある。そして、「マジックで周りを喜ばせられる人物になれる」という夢を与え続けている。夢を与えてもらった人が、自分の周りを笑顔にし、楽しませるという夢が叶っている。ここに人が集まる一番の要因があるのだと思う。
私もマジックのお陰でブータン王国の首相や、海外の大臣や要人、スポーツ選手からお笑い芸人まで多くのご縁をいただいた。十年間で千名以上の初級マジシャンを誕生させてきたことで、マジックの神様からご褒美をいただいたのだと思っている。
表紙コラム


「まとまること」の重要性

これは、しがく新聞04月号のコラムです。

◆リード:
日本の人口は約一億二千七百万人。状況の良い人がいれば、悪い人もいる。国内には約二百五十万社の企業があり、当然、状況の良い会社、悪い会社がある。世界には約二百の国と地域があり、これもまた状況の良い国と悪い国がある。悪い状況をいかに打開するか。今回は「まとまる」という一つの言葉から考えてみたい。

◆本文:
心と体のバランス。快活な日々を送れている人は、このバランスがとれているように感じる。それは、生き方に関して自分の考えが「まとまっている」からだろう。一日の中で何に大事な時間を使うかを理解している。日々何の進歩もない人は「重要ではなく、緊急なこと」に振り回されて日々を送っているのではないか。なぜ仕事をするのか、何のために生きているのか。こういったことを「まとめる」ことで自分の置かれている状況は一変する。自分の生きるスタンスを定め、感謝の心を持ち、時間の使い方の棚卸しをするとよい。
「まとまること」によってチームが良い方向に行くケースは実に多い。スポーツにおいて強いチームの選手に聞くと「チームが勝つことが第一です」「優勝が目的であり個人の成績は考えていません」と口を揃える。ここに人をまとめる絶大なるヒントが隠されている。それは「わかりやすいテーマ」と「魅力的な目標」が掲げられていることだ。強いチームは、信頼を勝ち得た監督から日々のミーティングなどを通して、これらが徹底されているはずだ。
「わかりやすいテーマ」と「魅力的な目標」はあるか。低迷する組織は考えてみるとよい。リーダーは信頼を勝ち得ているか。日々徹底してミーティングをしているか。漠然とした「テーマ」と「目標」ではない。「わかりやすいテーマ」と「魅力的な目標」。これがポイントなのだ。

国家であれ、企業であれ「まとまらないこと」で、うまく機能しなくなる。会社であれば倒産、国家であれば崩壊だ。中国の人口は約十三億人。しかし、選挙権は約一億人の共産党員にしかなく、残りの十二億人には与えられていない。現在、中国国内のいたる所で市民によるデモが繰り広げられている。共産党員と庶民の経済格差や、チベット人を約百二十万人も虐殺するなど、共産党による傲慢な統治に不満がたまっているのだろう。そこで中国政府は、ネットを監視する公務員を七〇万人も配置し、共産党に対する不満や共産党に仇なす動きなども含め、情報を統制している。さらには、悪いことは全て日本のせいにし、プロパガンダで外部に敵を作りだし、内部を「まとめる」動きをしているのだ。そんなまとめ方をしていると、中国国内のように大変な事態を招くこともあるのだ。
しかし、我々日本人が気をつけなければならないのは、分断され「まとまらない」状況をつくられることだ。先進国としては考えられないことだが、日本にはスパイ防止法が無いため他国のスパイや工作員が野放しになっている。スパイや工作員は、テレビ局や新聞社をはじめとした情報機関で何食わぬ顔で働いていると聞く。まとまりの良い日本人を情報操作し、日本の不祥事を必要以上に煽る。そうして、日本が割れる状況を作る。様々な形で分断化を実行し、自国に利益をもたらそうということなのだ。
どんな規模の組織であれ「まとまる」ために互いに共感し合える「わかりやすいテーマ」と「魅力的な目標」で意思統一されることが大切だ。国で大切なのは「右翼でもなく、左翼でもなく、中翼(仲よく)」
故人佐々木将人氏のこの言葉を思い出す。
4月号表紙コラム


国際化社会だからこそ着物を着よう

これは、しがく新聞03月号のコラムです。

◆リード:
二〇〇六年にブータン王国を訪れ、衝撃を受けた。空港の職員、街を歩く子供たち、国会議員、ブータン人が全員民族衣装を着ていたからだ。洋服を身につけた我々は、堂々と民族衣装を着ているブータン人に羨ましさを感じた。この時に「日本でも、着物を身につける人を増やしていきたい」「私も着物を着て堂々と街を歩きたい」と思ったものだ。

◆本文:
着物を頻繁に着るようになったきっかけは、三年前から遠州流茶道を習い始めたことだ。茶道のお稽古をはじめ、年間六十回ほど着物を着るようになった。そうすると次第に社員や、リーダーシップの基礎を身につけようと通う会員の中にも「私も着物を着たい」と広まっていった。
七月の「海の日」に毎年開催している屋形船に乗るイベント。昨年参加した約五九〇名のうち、実に九十五パーセントの方が浴衣で参加した。新年恒例の一月三日の靖國神社での初詣。約六二〇名のうち、約一八〇名が着物を着て来られ、とても華やかな雰囲気だった。二月十一日の建国記念の日に開催した第六回国護り演説大会。着物を着る機会を増やそうと「着物で来場した方は入場料半額」としたことで、小雪が舞う中でも約六十名の方が着物で来場され、登壇者も五名が着物で演説をした。
「家族に着物の話をすると、母や祖母の着物や浴衣を出してくれた」「着物や浴衣で出かけると凄く喜んでくれた」。会員からは、こんな声が聞こえてくる。自分の着物姿を家族がとても嬉しそうな表情で見てくれたのが印象的だったようだ。ご年配の方からすると、若い人が着物を着てくれるだけで嬉しいようで、日本の伝統文化が受け継がれていくという喜びもあるのだろう。着物で出かけると、見知らぬ人に声を掛けられたとか、外国人から写真をお願いされたと楽しそうに語ってくれる。

外食に着物で出かけると、大抵一番良い席に通される。私の経験だけではなく、茶道の先輩からもそんな話を聞く。また、夫婦揃って着物でミラノの街を歩いたという先輩は、おしゃれなイタリア人から、洋服のときには感じたことのない羨望の眼差しで見られたそうだ。なるほど海外だからこそ着物なのだ。着物は、海外旅行や大使館への訪問など、外国人との交流で日本人を理解してもらう一つの武器なのだ。
日本には、幕末から明治にかけ国際舞台に出ていくために、まげを切り、洋服を着て、外交を一生懸命してくれた先人がいた。日本は近代国家だと西洋人に認めてもらうために、西洋文化を積極的に取り入れた時代だったからであろう。その時代から約一五〇年、今一度着物を見直し、伝統文化を守っていく必要があるように思う。
四十七都道府県にはそれぞれ特有の織物があり、織物職人や仕立て職人がいることをご存知だろうか。しかし、着物を着る人の減少とともに、日本の伝統文化である着物産業が廃れつつある。それでも、着物を着る人が増えれば、着物産業が息を吹き返し、着物という伝統文化が復興するきっかけとなるかもしれない。
今後益々発展する国際化社会において、外交や国際協力、自国の経済力などで存在感を示すことも大切だ。しかし、外国人から見れば中国人、韓国人、日本人は見分けがつかないという。だからこそ着物を着ることで「ここに日本人あり」という、わかりやすい存在感が必要なのではないか。これは世界に向けたクールジャパン戦略の一つにもなる。いつの日か、新内閣記念写真の撮影で全員が着物姿で写り、その凜とした姿が国内外に広まることを望む。
表紙コラム


何のために靖國神社へ行くのか

これは、しがく新聞02月号のコラムです。

◆リード:
毎年恒例、十六回目を数える靖國神社での集団参拝に六一九名で行ってきた。安倍首相の参拝や映画『永遠の0』の影響なのか、正月三が日で靖國神社崇敬奉賛会への入会人数は例年の一五〇%と聞いて驚いた。しかし、まだまだ靖國神社に対して「なんとなくイメージが悪い」という人が多くいるのも事実だ。今回はこの「なんとなく」について考えていこうと思う。

◆本文:
靖國神社。今から十七年前、職場の先輩からこの靖國神社の話を聞き、試しに本を二冊読んでみた。同じ年頃の若者が戦い、散っていったことに衝撃を受けた。これは、当時戦ってくれた若者に感謝を伝えに行かなければならないと感じ、七十名ほどで集団参拝に行った。最近は言われなくなったが、「明治神宮ではダメなのか」「商売に影響がでる」「右翼だと思われるぞ」など散々言われた。しかし、戦時下の若者たちの行動や発言を知れば知るほど励まされていた私は、周りに何を言われようとも集団参拝を続けてきた。
なぜ日本では靖國神社に対してこうした悪いイメージがあるのだろうか。テレビ、新聞などのマスコミでは次のような報道をしている。「A級戦犯が合祀されている」「アジア諸国(実際は中国・韓国)の感情を逆なでする」「国のために戦った人を称えると軍国主義に陥る」。マスコミの流す情報だけを見ていればこうした悪いイメージを持つのも頷ける。しかし、A級戦犯とは法律の世界ではご法度な事後法で決定したことで、戦勝国としては恥ずべきことであり、触れられたくない事実である。また一九五六年にサンフランシスコ講和条約に則って戦犯の名誉回復がなされ、A級戦犯はすでに日本には存在しないのである。それを声高に叫んでいる人々は自らの不勉強さを晒していることになる。そもそも靖國神社は、明治天皇が明治二年に、国家のために一命を捧げた方々を身分・勲功・男女の区別なく慰霊顕彰するために建てられた。吉田松陰や坂本龍馬も祀られている。

自国のために戦った戦没者に対して国を上げて顕彰することは、世界を見渡せば当たり前のことである。大東亜戦争(太平洋戦争)当時海軍大尉であった奥野恒夫氏は私にこう話をしてくださった。「世界では列強に負けた国々の人は皆奴隷として扱われた。日本も負ければ、自分達の家族が奴隷にされてしまう。国民全員がそういう気持ちだった」と。
自分の家族のために、自分の故郷のために「人としての誇りを捨てさせられ奴隷にされるぐらいなら、自らの命と引き換えにしてでも」と家族の幸せを願って戦ったのだ。靖國神社では戦争を称えているのではなく、公の為に命を投げ出した彼らの想いを大切にしているのだ。他国がとやかく言うことではなく、ましてや自国民が否定することはあってはならないことなのだ。中途半端な情報しか持っていないと、上手く世渡りすることばかりを気にしてしまい、曲げてはいけない信念や本当に大切な事を見失った人間になってしまう。だからこそリーダーになる人間は正しい情報を得て、信念を持って正しい行動をする必要がある。
教育者として私が考える靖國神社とは、公精神を感じるための最初の扉である。周りの人の幸せを考えて行動した御英霊と自分を比べ、日々の自らの生き方を振り返る場なのだ。死して尚、公精神を教えてくれる。自己中心的な自分に喝を入れ、自分の決意を固めに行く場でもある。慰霊顕彰だけで終わるのではなく、未来へ繋ぐ想いを引き継ぐために、私はこれからも靖國神社へ参拝に行く。

表紙コラム


今すぐ始める与える人生

これは、しがく新聞01月号のコラムです。

◆リード:
若者に「人から奪う人生がよいか、人に与える人生が良いか」と問うと、多くの人が「与える人生が良い」「世の中の為になることをしたい」と答える。ただ、今すぐに誰かの役に立とうというのではなく、「将来的には」と考えているようである。声を大にして言いたい。将来ではなく、今から始めてもらいたい。

◆本文:
若者に接していて最近感じることは、「世の為、人の為になることをしたい」と考えている人が多くいることだ。ただ、今すぐに誰かの役に立とうというのではなく、将来的にと考えている若者が多いように見受けられる。
人に与えられることと言えば、相手の利益となることをするのはもちろん、考え方や意見を尊重し、一緒に喜んだり、笑ったりする。一緒に泣くこともできる。お金が無くとも見返りを求めず体を張って手伝うこともできる。自分の損得抜きで、相手中心に考え、話し、行動することがまさに与えていることと言える。逆に人から奪うとは何か。物質的な物を奪うのは論外だ。しかし、たとえ物を奪っていなくても、時間に遅れるのは時間泥棒だ。人を不快にさせるのは機嫌泥棒である。損をさせたり、手柄を奪ったり、仲間はずれにしたり、人間は物心がついた時から、何かと人から奪いながら生きている。
人生全ての行いがプラスにはならないものだ。加点・減点を繰り返して生きていく。『古事記』に登場する日本の神様でさえ、親兄弟を悲しませ、周りの神様を困らせる。どうせプラスマイナスの人生なのだから、少しでも多くプラスなことを積み重ねて、魂を磨きたいものだ。人に与えるとか、世の中の役に立つというのを、五年後、十年後の目標と考えている若者が多いようだ。それは一つの固定観念であって、日々の行動が相手にとってプラスなのか、マイナスなのかを考えれば、今からでもできることは山ほどある。

家族と同居しているのならば、家族としっかり向き合うことから始めるとよい。「しっかり挨拶をする」「『ハイ』と返事をする」「靴をそろえる(後始末をする)」。この三つは教育者・森信三の言葉だ。即実行してみるとよい。誰も悪い気はしないし、気持ちがいいものだ。あまり多くのことをしていないので威張れることではないが、私の家事の手伝いは、毎朝のハタキかけと、バスタブから洗濯機に残り湯を運ぶことだ。靴もそっと揃えている。会社では、自分から元気に挨拶をし、労いの言葉をかけている。また以前、しがくセミナーで講演いただいた幸南食糧の川西社長に教わった、社員全員で一日二つゴミを拾う「ワンデー・ツー」運動は、まず自分からやってみた。すると自然と周りもやるようになり、社内は以前にも増してきれいになった。社員の誕生日には、事業部を飛び越えて社員同士が色紙一杯にメッセージを書き、お祝いをする光景をよく目にする。私も全員に必ずプレゼントを贈り、可能な限り個別で会ってお互いに言葉を交わす。私の誕生日に社員一同から着物をプレゼントしてもらった時は、幸せな気持ちで一杯だった。
人をよくするような与える人生を送るために、簡単にできることはすぐ行動するべきだ。自分の人生の総合点は常に変化する。今だけではなく、プラスなことをし続けるのだ。そうすれば人生を終えるときに、多くの人に与えたことを実感できるはずだ。私も一つでも徳を積み重ね、幸せを感じる人を増やしたい。

表紙コラム


学生諸君、採用側は命懸け

これは、しがく新聞12月号のコラムです。

◆リード:
御社で学ぶ学生はなぜ育つのですか、なぜちゃんとしているのですか、どういうことを学生に話して育てているのですかと、多くの経営者の皆様に聞かれる。一回二時間の就職塾の内容を一枚の紙面で表すのは難しいが、九段下に来られない学生のためにも、ここ最近どういうことを学生に話しているか、ヒントになればと思い紹介させていただく。

◆本文:
この時期に就職先が決まっていない大学四年生は本当に心から焦っている。今年は十月の段階で約四割弱が決まっていないそうだ。私達の所に来る学生も、四、五十社受けたというのは珍しくない。それでもめげずに九段下まで、何かヒントを掴もうと訪れる学生には敬意を表したい。
病気に例えると、私生活に原因があることも多い。病気を治すことも大切だが、病気にならないように私生活を変えることがより大切である。就職活動も病気と同じで、根本的に何かを変えないから落ち続ける。
人事部の人がどういう気持ちで採用をしているか分かっているだろうか。採用した人が会社で役に立たなければ採用の失敗。失敗が続けば、採用担当者は評価が下がっていくのは容易に想像できる。そんなのは誰だって望まない。少しでも昇給や昇格したいのは当然だ。子供の教育費や家のローンがあればなおさらだ。採用側は命懸けなのだ。面接で背伸びをして上辺だけ取り繕ったところで全てを見抜いている。採用されないのは至極当然のことである。
経営者の視点で言えば、良い人ならいつでも採用したいのが本音だ。良い人とは成長する人だ。君は入社して一、二年後に成長すると思われているだろうか。成長する人とは、一生懸命に頑張る素直な人だ。君は人が見ていないところでも一生懸命に頑張っているだろうか。それを腹の底から自信を持って面接で言えたなら、採用の確率はかなり高くなる。
自信を持つために今日からでよいので、ゴミ拾い、トイレ掃除など、誰も見ていなくても人の為に頑張りなさい。自信はつけてもらうのではなく、自分の行動の中から掴み取り、内側から湧き出てくるものだ。 そうやって少しでも誇らしい自分を作りなさい。一週間でも十日でも続けて、次の面接の際には「変わろうと思って、十日前からやっています!」と正直に言いなさい。

一月にもなれば多くの学生が「三月三十一日までに就職が決まらなかったらどうしよう」と考え始める。たとえ就職が決まらなくても、絶対に就職浪人だけはしないほうが良い。派遣、契約社員、アルバイトでもよい。ご縁のあったところで働き、どんな形でも社会に出なさい。正社員で社会人生活をスタートするだけが全てではない。
巨人の山口投手や松本選手は育成選手としてスタートし、二軍での厳しい競争を勝ち抜きレギュラーの座を得たのだ。牛丼の吉野家の阿部社長はアルバイトで入社してそこから社長になったのだ。自分の直感を信じて、ご縁を頂いたところにお世話になり、目の前にある仕事を一生懸命に頑張り、人の為に働きなさい。
いま不安に思う必要はない。何かを学び、何かに気づくために、就職活動が続いているのだ。全ての経験は数年後に武器になる。 明るく元気で素直に「一生懸命に働きます。不器用だけれども成長していきます」という向上心と本気の熱意を持っていけば、自ずと就職先は決まっているだろう。
面接官と勝負するのではなく、自分の心と会話をしなさい。このような感覚を学生に伝えている。

表紙コラム


いわゆる従軍慰安婦問題とは

これは、しがく新聞11月号のコラムです。

◆リード:
最近、韓国が賠償問題で騒ぎ立てている「いわゆる」従軍慰安婦問題。あまりのデタラメさに呆れかえる日本人も増えてはいるが、まだまだよくわからない方も多いようだ。韓国がこれほど世界に発信しているのは、中国が資本を提供して成り立っている事実もあるのだが、まだあまり知られていない。今回は、一人でも多くの方に慰安婦について知っていただくために、「いわゆる」従軍慰安婦問題を取り上げたい。

◆本文:
韓国政府が声を荒らげている「従軍慰安婦問題」は戦後に作り出された話である。戦時中、従軍記者や従軍看護婦はいたが、従軍慰安婦という存在は無かった。「従軍」とは、軍隊に随伴する者のことで、軍に所属する。当時、戦地売春婦(慰安婦)はいた。軍の駐留地の近くに慰安所を出店すれば儲かるからだ。そこで、経営者は出店を軍に交渉し、兵隊の健康管理や性病の有無など、安全に関しての指摘、確認をした上で軍の許可をもらった。韓国政府がいう「軍の関与」とはこのことらしい。
韓国の元慰安婦が大勢で出てきて賠償しろと日本に抗議活動をしている。これは三つの点で矛盾している。
一つ目は、戦後賠償として日韓基本条約を結び、当時の韓国の国家予算とほぼ同額の経済協力金を日本政府は韓国政府に支払った。韓国人への個別の賠償は韓国政府の要望で韓国政府に一任した。元慰安婦がどうしても賠償金を主張したいなら、韓国政府に請求しなければならない。また、韓国政府・韓国人は日本に対して今後一切戦後賠償を請求しないというルールも締結した。
二つ目は、経営には朝鮮人または朝鮮系日本人が多く、慰安所に強制的に連れて行かれ働かされたというのは、韓国の国内問題でもある。また、当時は貧しい家庭が多く、娘を売るケースもあった。売られた女性が大変な想いをしたのはわかるが、それを日本政府に言うのは筋違いだ。
三つ目は、性奴隷(セックススレイヴ)と言いふらしているが、まったくの虚言である。当時の慰安婦の報酬は超高額。軍人が月収二十円から七十円だったのに対し、個人差はあるが月収約千円という大金をもらっていた。当時は二ヶ月で家が一軒建つ程の報酬だ。当時の新聞広告に募集記事も多く残っている。常に応募数は数十倍だったとか。奴隷ではなく高給な職業だ。

仮に日本兵が現地の女性を連れ出し、強制的に慰安婦にさせていたとしたら、朝鮮人に限らず、日本人でさえ暴動を起こしていただろう。当然そういう話は出ていない。無かったからだ。
そもそも、韓国政府に大騒ぎをするきっかけを与えてしまったのは日本の政治家である。河野談話でおなじみの河野洋平氏、宮沢喜一氏、加藤紘一氏。当時、韓国に言われるがまま、しっかりと調査もせずに謝罪をしていたことが十月十六日の産經新聞で明らかになった。国際社会、外交において謝罪は、全面的に認めたことになる。
韓国は、女性人権団体を巻き込み、アメリカのグレンデール市に慰安婦像を建ててしまった。ブエナパーク市やミルピタス市でも進めようとしている。現地の日本人の子どもへのいじめも始まっている。
このまま黙っていては、ウソをでっち上げた韓国の言い分が正しいと世界に広がり、日本は「野蛮な性奴隷国家」という構図になってしまう。私たちにできることは、河野談話を撤回させること、安倍政権、政治家が韓国に対して堂々と戦いを挑む世論を巻き起こすことである。国民の覚悟としては、ここまできてしまった以上、韓国との情報戦争に全国民参加の決意が必要ではないだろうか。

表紙コラム


公精神と人望を高め人間力を磨け

これは、しがく新聞10月号のコラムです。

◆リード:
最近「人間力の定義は何ですか」と問われた。「人間力」という言葉は各方面で使われるようになっているが、その定義は十人十色だ。統一した定義付けは難しいだろう。だから、ここで敢えて「人間力」の定義付けをするつもりはない。今回は、私自身が二十年以上に渡り二十代の教育にかかわる中で考えてきた「人間力」についての考えをまとめてみた。

◆本文:
人間力とは何か。世の中に明確な定義はないが、私が考える人間力とは、知識・技術の面と、人格の面。この両方を兼ね備えた人としての総合力である。世のリーダーに求められるものこそが、この人間力であろう。リーダーの役割は、組織の目標を達成し、チームのメンバーを幸せにすることだと言える。そのためには専門知識に偏ることなく、幅広い知識が必要であり、実力が求められる。
それでは、人間力が試されるのはどういう時か。それは窮地に追い込まれた時である。その局面を最善手でどう乗り切ってみせるのか。人間力がある人というのは、家族の将来、会社の将来、日本の行末など自分だけではなく、周りのことを考えた上で「押すか引くか」「攻めるか守るか」を冷静に判断する力があり、それを決定できる力もあり、かつ周囲を納得させる説得力と人望を持っているものだ。このように、真のリーダーに求められるのは、私利私欲に走らず、周りのことを考えられる公精神や人望であると言える。
「歴史上の人物の中で人望がある人物といえば誰か」と問うと、西郷隆盛や乃木希典を挙げる人が多い。この二人の共通点は周りから「さん」付けで呼ばれていた点である。「西郷さん」「乃木さん」と親しみを持って呼ばれるほど人望が厚かったということだ。歴史上の人物から人間力を学ぶとするならば、人望があった人物なのかどうかも一つのポイントとなる。
歴史上の人物も、今を生きる人物も、本当の人望というものは日頃の生活で目立つものではない。ここぞという時に、自分の判断力、決断力、そして統率力により、周囲を引っ張っていける人物にこそ本当の人望がある。

逆に、目先にとらわれる、私利私欲に走る、慌てふためく、動揺する、判断に迷い、決断も遅れる。そして周りにも動揺が走り不協和音が起こる。これが人間力のないリーダーである。
さて、人間力をつけていくためには何をすれば良いのか。専門知識・技術は当然として、幅広い一般教養的な知識と、様々な技術を身につけていくことであるのは容易に想像できる。ただし、最も重要なのは、公精神と人望をどうやって磨いていくのかである。一つの方法は、歴史上の偉人から、本などで学ぶことだ。世の多くのリーダーはそのようにして学んでいるだろう。プロイセンの宰相ビスマルクは「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という名言を残している。偉人から学ぶことは多い。しかし、一番の近道は、実際に公精神、人望のある師匠を見つけることだ。そして、一分一秒でも長くその人と一緒に居ることである。メモをとって覚えるものではなく、発言、行動、立ち居振る舞いなど、五感で感じて体で覚えていくのだ。机上ではなく、人と人との付き合いの中で磨かれていく。人間力を磨くとはそういうことなのだ。
今後の日本が、たとえ良い状態になろうと、悪い状態になろうと、各業界に人間力のある人物が一人でも多くいることが望ましい。そうであれば、国民を幸せにし、国の未来も明るくなるはずである。
表紙巻頭コラム


教育者として感じる母親の偉大さ

これは、しがく新聞9月号のコラムです。

◆リード:
身内の話で恐縮だが、本コラムで父のことにたびたび触れてきた。一人の経営者として、長年自営を続ける父から得られるヒントは大きく、周囲からの評判も上々だった。ただし、一人の教育者としては母親の偉大さを感じている。父親以上に子どもへの影響が大きいと言われる母親の存在。上京するまでの十八年間、母からどのようなことを言われて育ったのかを今回は書いてみたい。

◆本文:
父の仕事は行商である。今もなお現役だ。母は父のサポートをしながら、室舘商店という小さな商店の店番をしている。今は不定休だが、子どもの頃は朝から晩まで年中無休で営業していた。畑仕事が年中あり、常に動きまわっている。それが母親の印象だ。「きちんと後片付けしなさい、テレビを見過ぎでしょ」といつも怒鳴られていた。他の家の子が羨ましくなることもあった。ただし、テストの点数が悪くても、おねしょをしても怒られた記憶は一切ない。一番言われたことは「好き嫌いをするな、何でも食べろ」だった。寒い地域の味付けは塩辛いイメージがあると思うが、我が家はとても薄味だった。母が健康を気遣った味付けにしてくれていたのだと思う。
室舘商店には当然カップラーメンも並んでいたが、母からは「食べては駄目だ」と言われて育った。初めて食べたのは小学校二年生の時のスキー大会。振る舞われた豚汁を食べて盛り上がっていた時、友人がカップラーメンを食べ始めた。羨ましくなって、母に「食べてもいい?」と尋ねた。もの凄く納得のいかない顔をしながらも許してくれた。それでも、子どもの頃はカップラーメンをほとんど食べることなく育った。母はしっかりと食育をしてくれていた。
今でも社員を連れて青森の我が家に遊びに行くと、母は、トマト、アスパラ、ナスなど、裏の畑で採ってきて振る舞ってくれる。皆が「甘い!旨い!」と食べるのを母は嬉しそうに見ていた。帰り際「採れたての野菜を食べるとパワーがでる。食事は大事だな」という話題になった。子どもの頃の食卓には新鮮な野菜や魚などが一杯あった。それが当たり前だった。母にしつけられ、健康な体をつくってもらったとしみじみ思う。

母が唯一バスケットボールの試合を見に来てくれたのが高校の県大会だった。小学校から八年間続けたバスケットボールは私の自慢だった。その日、スターティングメンバーに入り、母に上手いところを見せようと張り切った。しかし、意識し過ぎたせいか、いつものプレーができない。三回連続ミスをしたところでベンチに下げられた。私が部活をどれだけ頑張っていたのか母は知っていた。だからこそ、ボロボロの数分間しか見せられず、とても悲しかった。帰りのバスではお互い無言だった。母も掛ける言葉が無かったのだろう。せっかく見に来てもらった試合がこのような形で終わり本当に申し訳ない気持ちで一杯だった。でも、言葉に出さずとも母は常に私の味方だった。冬の新聞配達の時には、わざわざ早く起きて薪ストーブに火を入れてくれていた。玄関を開けると、雪が三〇センチ積もっていたが、道路までの二〇メートルはきれいに雪かきされていた。
振り返ると、母から何か特別な教育を受けたわけではない。母親として当たり前であろうことを一八年間、日々淡々とやってくれた。「後片付けをしろ。遊び過ぎるな。家の手伝いをしろ」子どもの頃は本当に口うるさく感じたものだ。しかし、一つひとつの言葉は、子どもの成長を信じた愛情に溢れた一言だった。母に育てられた土台があるからこそ、今の私があると感じる。

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リーダーシップの基礎教育~しがく式~

これは、しがく新聞7月号のコラムです。

◆リード:
若者にリーダーシップの基礎教育を教える「しがく」を七月より開設。創業から十年で一万人を超える若者に人間力養成の教育を行なってきた。蓄積されたノウハウを体系化したのが「しがく」のメインプログラム「しがく式レッスン」である。今日は日本をよくしていくリーダーを今まで以上に輩出すべく生まれたこの「しがく式レッスン」について語りたい。

◆本文:
リーダーシップの基礎を身につける。これが七月からスタートする「しがく」の教育テーマである。普通に生きてきた若者は、まず何から手をつければ良いのかわからないのが現状だ。夢がある・なしは一先ずどちらでもよい。実力がつけば、見合った夢や希望が後から出てきて、人生に選択肢が生まれる。そこで、リーダーシップの基礎を身につけ、若者が実力を上げていくことができる教育システム「しがく式レッスン」を作り上げた。
「子供は難しいとあきらめる、簡単だと飽きる。少しだけ難しいのが良い」これは、ヨコミネ式保育の横峯氏から学んだことだ。なるほどと思い、早速取り入れた。以前習っていた空手もしがく式に影響を与えている。はじめは白帯を締めて稽古に参加。実力がつけば橙・青・黄・緑・茶・黒と順々に上がっていく。一つ上の橙でさえ輝いて見えた。黒帯は若者の言葉で言うところの「カミ」だった。これを名札をぶら下げるストラップの色に導入し、段階的にレベルアップを実感できるようにした。
薩摩藩でおこなわれていた郷中教育も、大変参考になった。明治維新で中心となった志士をはじめ、たくさんの偉人を生み出した郷中教育。先輩が後輩に教えていく教育方法であり、チームで励まし合ってレベルアップする。勉学だけではなく、水練や剣道など体力作りも重視した教育だ。しがく式レッスンでは青帯になると後輩指導が許可される。先輩に教わってきたレッスンを後輩におこない、スタンプカードに印鑑を捺す。こうして、繰り返し指導経験を積んでこそ指導力が身につくのである。

昨年、私は居合道三段の試験に落ちた。悔しかったが、これは大変良い経験になった。教えただけで終わらせない。本気で審査をすることが、実力を身につけさせるには一番重要なことなのだ。審査員に緩みや隙が少しでもあれば、勝ち取ったランクに価値はない。実力が足りていない者が合格できないよう徹底させた。当然ランクが上がるにつれて、要求されるレベルは高くなる。居合道を参考にし、六ヶ月以上の修行期間が必要なランクもつくった。
真剣であり、面白い。もちろん実力がつく。社会ですぐに活用できて、成果にも繋がる。白のテーマは「明るく元気」。試験では、暗くて、元気がない人は受からない。白で受けるレッスンは十四個。「第一印象」「健康」「漢字テスト」「話の聞き方」などを教わる。「桃太郎」の朗読も取り入れ、聞きやすい話し方や感情移入を訓練する。人前に立つ恥ずかしさも克服していける。橙のテーマは「信頼」。信頼感のある話し方、服装、立ち居振る舞いを審査する。橙では十七個のレッスンがある。地理のレッスンを通して、都道府県名や国境が曖昧な若者が多いことが浮き彫りとなった。青は「自己主張」、黄は「エナジャイズ」、緑は「公精神」とランクが上がる毎にテーマもレベルアップしていく。
実力をつけるには時間が掛かる。道元の言葉「霧の中を歩くと知らず知らずに服がしっとりと重くなる」のように、仲間と楽しみ励まし合いながら、真剣で厳しい「しがく式レッスン」に挑戦してもらいたい。

※energize やる気を与えること

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本物の人物になるために

これは、しがく新聞6月号のコラムです。

■リード
先月号のコラムでは「本物とは口コミで広まるもの」というタイトルで、「本物が本物を呼ぶ」という、本物と口コミの関係について書かせていただいた。思った以上に多くの方から反響をいただいた。「本物」というキーワードがこれからの時代のテーマになってくるであろう。今回は、私が目指す本物像に関して少し触れていこうと思う。

■本文
最近こういう質問を受けた。「室舘さんが考える本物の人物とはどういう人ですか?」私が考える本物の人物とは、「自分の身を削ってでも世の中に貢献する人物」である。歴史上の人物でいえば、楠木正成、後藤新平、渋沢栄一などの名前があがる。現代にも、数多くの本物の人物がいる。コラムで何度かご紹介した私の父も本物の人物であると自負している。反対に本物の人物とは言えないのは、「今だけ・自分だけ・お金だけ」の人だ。政治家、財界人を見る時「日の丸が似合うかどうか」で判断するのが私流の本物の見極め方だ。日の丸が似合わない人は、どこか国益を軽視し、自分の立場や商売に重きを置きすぎている感がある。こういう人間の言うことは、あまり感動もしないし、参考にしない。
どうやったら本物になれるのか。一つの考え方は「専門性」を持つことだ。特に若者に言いたいのが、何かのジャンルでナンバーワンになれということだ。「これだけは絶対に負けない」という自分独自の強みを見つけ、それを人並み以上に磨き抜くのだ。それが、社会のためになっていれば、世間はあなたのことを「本物の人物」と評価してくれることだろう。
さて、皆さんには暇な時間があるだろうか。私にはほとんど存在しないことに最近気づいた。私の手帳には、スケジュールだけではなく、小さな目標から大きな志までが記してある。これらを達成するためには自分の器を広げる必要がある。人間学やリーダーシップ、政治、歴史、国際情勢、地政学や軍事学など幅広く学び、伝統文化に触れ、時代の流れを読み、世間のニーズを研究する。体のケアも大切な仕事だ。もちろん様々な方との懇親の場も貴重である。暇な時間などない。時間が空いたら考えることや読む本、社員からのレポートが常にあることは、私にとっては幸せなことである。そこに日々成長している実感がある。

参考にしている本物と言われる方々には共通点がある。それは、その道を極める段階で、自分の持っている時間・お金・体力を全てその一点に投下していることだ。その時期は、人付き合いは悪く、飲み会などには行かない。家庭も顧みず家族も呆れ果てる。世間の流行には疎くなる。本物になっていく人は、その割り切りと、決意がある。「今の時期は一般的な人の生活はあきらめよう」「自分には今やらねばならぬことがある」「今はこれを極めるのだ」そう言い聞かせ、納得して人生を歩いて行く。ここに喜びを見出すのだ。テレビや本で取り上げられるような人は人知れずそういう時間を過ごしていることは容易に想像がつく。これからの時代は本物の時代である。この時代を生き抜く若者に言いたい。人に負けない専門性を持て。覚悟を決め、勇気を持って没頭するのだ。
最後に我々の目指すところは何かをお伝えしたい。それは世間から「リーダーシップを学ぶなら九段下へ行け」と言われることである。そのためには、リーダーシップについて徹底した研究や訓練が必要であろう。ここで学んだ方々が実社会で活躍することで、いつの日か必ず「本物の環境だ」と評価される日が訪れるだろう。

コラム表紙


本物とは口コミで広まるもの

これは、しがく新聞5月号のコラムです。

■リード
新製品、新しいサービス、そして自分自身。一生懸命売り込むことももちろん重要だが、本当によいもの、よい企業、よい人、いわゆる「本物」と出会うと、人は頼まれなくても誰かに話したくなる。人から人へと口コミで広まるのだ。小手先にとらわれず、本物を追求することが、上手くいくための秘訣ではないかと思う。今回は当社の事業を通じて本物と口コミの関係について話していきたい。

■本文
十周年を迎えるキャリアコンサルティング。私はスーパーの店員から若者向けの教育会社に転職して二十三年を数える。振り返れば目の前の若者に一生懸命教育することばかり考えてきた。若者の中にも人間力やリーダーシップを身につけたいという方はたくさんいる。しかし、お金を払ってまで学びたいという方は意外と少ないのが現実だ。会社設立当初は、ご友人を三名ご紹介いただいて、やっと一名に入会していただくくらいだった。入会後一年も経てば十人中九人が何かしらの理由で辞めていった。勉強とは続かないものだという割り切りもあった。ただ結局は教育に魅力がなかったのだ。

そこから地道な努力を続けてきた。多くの改善を繰り返し、その甲斐もあって、今では半数以上の方が入会一年を過ぎても学び続けてくれている。認定しているプロ講師の資格をとったメンバーさんは五十名を超えた。毎月のしがくセミナーでは四百名以上が集まる。お正月に開催している恒例の靖國神社参拝には六三〇名が参加した。

二〇〇六年一月に出会った人間学を学ぶ月刊誌『致知』が、自分の考えに大きな影響を与えた。致知をとおして、「本物の書物には、本物の読者が集まる」ということを知った。本物が本物を呼ぶのだ。ここで言う本物とは「偽者ではない」だけではなく「見かけだけのものではない」ということだ。致知と出会い、本物を意識するようになったことで予期しない幸運なことが巡ってくることになる。

就活中の学生にも、いままで培ってきた教育のノウハウをぶつけてみてはどうか。そういう想いで始めた学生への就活支援事業。有料のNEXUSで、ここ二年間で学んだ約千名の内、就職を希望し、内定が決まらなかったのはたったの一名だ。無料のプレミアムスタイルには、二五四八名の二〇一三卒生が登録した。内定率は九八・〇七パーセントを記録した。そのうちの七五・七四パーセントは口コミで集まってきた。無料だからというだけで、ここまで口コミで集まるとは考えてもいなかったが、プレミアムスタイルが役立ち、満足してくれた学生が、友人や後輩を紹介してくれるのだろう。大変ありがたいことだ。本物を追求し続けたからこそ口コミにより広まっていった。

それだけではなく、取引先の企業からも紹介をいただくようになった。「キャリアコンサルティングには良い学生さんがたくさんいる」ということで求人のある企業の経営者を紹介していただけるのだ。学生と企業の縁を大事にしてきたことへのご褒美をいただいているという感覚だ。目の前の若者に何が与えられるか。本物を目指し実力をつけ、情熱を維持し続けねばなるまい。

本物を追求することを掲げ、指導の仕方からカリキュラムの内容など、全てを見直し始め、徐々に改革を試みてきた。そして、さらなる進化を目指して、この七月から「しがく式」という教育プログラムを開始するに至った。ここに、若者に必要なリーダーシップの基礎教育を凝縮させた。この教育を軸に、本物を目指す精神で社員一同社業に邁進したい。

 


遠州流茶道から学ぶ人間力

これは、しがく新聞4月号のコラムです。

■リード
私は様々な方から一見経営とは関係の無いような勉強会・習い事を紹介される。政治家の朝食会、歴史の書籍の輪読会、ゴッホや浮世絵について、マジックに居合道…。そんな私が茶道を学び始めたきっかけも、やはりお世話になっている経営者からの紹介だった。今回は茶道を通して学んだことをお伝えしたい。

■本文
この春、遠州流茶道の直弟子として、準師範のお許しをいただけることになった。遠州流茶道とは、江戸時代初期の大名であり、総合芸術家の小堀遠州を流祖とする、日本を代表する武家茶道である。四三〇年もの歴史があり、特徴は「綺麗さび」と言われる、作法や道具の美しさである。「主人は客の心になれ、客は主人の心になれ」という教えのもと、常に相手の立場に立つことを大切にしている。
「ご機嫌よろしゅうございます」。最初のご挨拶はこの言葉から始まる。最初は舌を噛みそうな感じがして窮屈だった。きちんと正座をし、小堀宗実家元にご挨拶をする。今でも一番緊張する場面である。続いて、大奥様、若奥様、先生方、皆様とご挨拶をする。九十歳を超える大奥様のご挨拶を受けたとき、自分はここまで丁寧に心を込めて人にご挨拶をしてきただろうかと恥ずかしい気持ちになったものだ。相手の目を見て、心を込めてゆっくりとご挨拶をする。別れを惜しむようにゆっくりと席を立つ。日頃から意識をしていきたいと思った。
最初に学ぶのは、お菓子やお抹茶のいただき方だ。一つひとつに無駄な動きがなく、全て意味がある。お抹茶をおいしくいただくために、甘い和菓子をいただく。その後でお抹茶をいただくと、和菓子の味がより一層引き立つ。お菓子をいただく前は隣に「お先にいただきます」、自分が最後の方なら「ご相伴させていただきます」と声をかける。シンプルだが、普段、周りの方にこのような気配りができているだろうかと考えさせられる。

茶碗には正面があることをご存じだろうか。必ず茶碗の正面が自分の方を向いて出てくる。いただくときは、茶碗の正面に口をつけることを遠慮し、横にずらしてお抹茶をいただくのが作法だ。茶道でよく、茶碗を回しているように見える仕草は、実は茶碗の正面を外すためにしているのだ。何とも日本人らしい仕草ではないか。
床の間に飾る掛け軸やお花にも、必ず意味がある。主人が客を想って準備をし、客からの質問を楽しむように会話をする。お花一つ飾るのにも、十本程度の中から一番良いものを選ぶ。自分は、お世話になっている方に何かを差し上げるとき、果たしていくつの候補から選出しているのだろうかと反省させられる。
茶碗、茶入れ、茶杓など、時には古いもので四百年前のものを拝見できる。自分の袱紗を下に引き、なるべく畳から上に持ち上げないようにかがんで拝見する。お点前のときもそうだが、ゆっくりと丁寧に扱う振る舞いを目の当たりにしたとき、四百年前のお道具が残っている理由がわかった。
人に会った時のご挨拶、周りの方々への配慮、物の扱い方、事前準備など、お稽古で感じたことを実践してきた。するとどうだろう。身の周りの物が壊れにくくなり、トラブルや嫌なことが減った。人間関係もさらにスムーズになった。今や茶道は海外でちょっとしたブームだそうだが、私は外国人の前に多くの日本人に茶道の素晴らしさを学んでもらいたい。茶道を伝えていくことで、心の豊かさを持った日本人をもっと増やしていきたい。

 


国護り演説大会開催の意義

これは、しがく新聞3月号のコラムです。

■リード
二月十一日、建国記念の日。第五回国護り演説大会を開催した。「消された国の歌」をテーマに演説をした星野薫さんが聴衆を魅了し、見事優勝に輝いた。決勝進出者八名中六名が女性であり、来年は男性の演説者にも期待したい。今回は開催五年を経て、改めてなぜ「国護り演説大会」を開催しているのかをお話したい。

■本文
世界の誰もが羨む奇跡の国である日本。治安の良さ、民度の高さは東日本大震災で世界中に証明された。戦後、先人の努力によって蓄えられた日本の財産は純資産額二百五十兆円。断トツの世界一だ。世界中の製品で必要とされる部品や技術など、日本無くしては成り立たない。日本は特許収入も世界トップクラスだ。そんな日本に対して、ニュースを見ると、たまに間違った解説を耳にする。「国の借金千兆円、どうする、子どもの世代に押しつけるのか」。借金だけが残ってしまうかのように感じてしまうマスコミのミスリードに騙されてはいけない。経済規模が大きくなれば、当然、負債額も増える。同時に資産額も増える。次の世代に素晴らしい財産を残してくれた先人に感謝である。

しかし、これだけ素晴らしい日本でも、油断をすれば瞬く間に財産や安全を奪われてしまう。元警察官僚の佐々淳行氏の言葉で「悲観的に準備し、楽観的に対処せよ」とある。国の安全保障は自衛隊だけがおこなうものではない。全国民でおこなうものだ。平和な時代だからこそ、一人でも多くの若者が「国を護るのは自分だ」という自覚を持って欲しい。

多くの若者は、自分のことで精一杯で、忙しい日々を送っている。そんな彼らも、同年代の人が日本の良いところを学び、それを語る姿に格好良さを感じれば、自分も日本のことを話せるようになりたいと思うものだ。日本を憂い、伝統や文化を後世に伝えようとする意識。国を背負い、政治家や教育者、経営者を目指している姿。自分のできる範囲から一歩ずつ日本を良くしていこうと努力する生き方。これらを目の当たりにすると、どうなるか。もちろん、自分の夢や欲望も大切だ。しかし、いつまでも子どものように自分の事だけを考えているのは格好悪いと感じ、個人主義から抜け出し、公を考える大人になっていくはずだ。

人はなぜ、何かを護ろうとするのか。当然、嫌いなものを護ろうとはしない。好きだから、大切だから一生懸命護ろうとする。日本の未来を背負っていく若者が、果たして護るべき日本のことを好きなのだろうか。大切だと思っているだろうか。甚だ疑問があった。

『国家の品格』を著した藤原正彦氏は、「感性や美的感覚は、大人が感動する姿を見て子どもが真似る」と言っている。同じことは国に対する姿勢にも当てはまるだろう。両親、教師をはじめとした周りの大人の日本に対する態度を見て、子どもの日本観が固まっていくと言っても過言ではない。大人として反省点は無いだろうか。

「日本が好きで大切だ。護りたい」と子どもたちに心から思ってもらうにはどうすれば良いか。大人が子どもの前で日本に感動している姿を見せること。日本が世界に貢献していく上でも、末永く繁栄していかなければならないと熱く語ること。もちろん、語る大人が、年相応の魅力を持っていなければならない。こうした「日本を大切にしたい」という気持ちをつくることこそ、国を護るために最も必要な基礎である。そのために、今後も国護り演説大会を通して、メッセージを発信し続けたい。